「南営洞1985」忘却の時代に辿り着いた“拷問の記憶”

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写真=ユ・ソンホ

単純で、愚直かつ正直なチョン・ジヨン監督の演出力

「アウシュビッツ以降、叙情詩を書くことは野蛮だ」

批判理論を導いたフランクフルト学派の思想家、テオドール・W・アドルノはナチスとヒトラーのユダヤ人虐殺に対し思いを込めた比喩で痛烈に批判した。否定を通じて真理にたどり着こうとした“否定弁証法”を主に主張したこのドイツ出身の哲学者にとってアウシュビッツで代弁される自国の野蛮な行為は、確かに治癒できないトラウマになったのだろう。

昨年12月末、拷問の後遺症で亡くなったキム・グンテ元民主統合党の常任顧問は、自伝手記「南営洞」に「死の影が迫ってくるたびにアウシュビッツ収容所を連想し、そのような非人間的な状況に対する絶望に身震いしました」と述懐した。第2次世界大戦当時のあのアウシュビッツの話だ。

骨の髄まで沁みる死への恐怖と、歯ぎしりするほど野蛮で非人間的な暴力に対する絶望。テオドール・W・アドルノが捨てたものが叙情詩だったら、映画監督のチョン・ジヨンが諦めざるを得なかったことはある種の映画的仕掛けや修辞ではなかったのだろうか。アウシュビッツを連想したというキム・グンテの痛みと苦しみを映画化しながら厳粛になるしかなかったある種の悲壮感のことだ。

そのように故キム・グンテ常任顧問の手記をもとにして作った映画「南営洞(ナミョンドン)1985」は、チョン・ジヨン監督のそのような気持ちが映画にそのまま投射されたと見られる。それがチョン・ジヨン監督の馬鹿力を反映された避けられなかった選択だったなら、「南営洞1985」は106分という時間の間、苦痛の重さにスクリーンで向き合うようにした後、やっとその選択が結果的に正しかったことを確認させてくれる。

エンディングクレジットが出てくるまで観客は、キム・グンテ議員が22日間苦しめられた拷問の時間を一つ一つ、そして苦痛に見守るしかない。「南営洞1985」はその苦痛に向き合うことこそ、私たちが持たなければならない姿勢で、記憶に刻んで置かなければならないと言っている。

写真=アウラピクチャーズ

ソウル大学に通った共産主義者を取り調べ、拷問する愛国者たち

「南営洞1985」は、状況説明は省略したまま取り調べ室に連れてこられた一人の男、キム・ジョンテ(パク・ウォンサン)を照らすフラッシュの明かりとともに始まる。闇の中で抵抗する一人の男、そして彼を武力で制圧する公安の刑事たち。映画全体を押さえ付ける苦しさと無力感は、すぐ怒りとため息に変わってしまう。それもそのはず、チョン・ジヨン監督はその時代に関するディテールの描写や人物の背景などは大胆に省略し、“拷問の時間”にジャンプしてしまう。

ただ民主化運動をしただけの一人の男がいきなり捕まえられ、何の理由もなく叩かれ服を脱がされる侮辱を経験した後、やっと「ここが南営洞か」と口を開く。その後続く暴力、そして拷問する刑事たちは彼を“ソウル大学に通った共産主義者”と責め立て、自分たちは国のために献身する“愛国者”と言う。彼の先輩たちが北朝鮮に行った前歴があったキム・ジョンテが連座制を避けられなかった時代、2年後拘束されたソウル大学の学生、パク・ジョンチョルが「ポンと叩いたらふっと死んだ」という警察の発表とともに冷たい遺体になって戻ってきた時代。それは軍部独裁の80年代であった。

だが、罪がないから告げることもない。拷問が始まるところだ。なかなか状況を描写しない映画は、回想シーンを通じてしばらく民主化運動を休んでいたキム・ジョンテを見せる。街の銭湯で妻と幼い息子、娘の前で捕まえられるシーンを通じて彼が平凡な日常生活をしていたことだけは確かに見せてくれる。それから拷問技術者のイ・ドゥハン(イ・ギョンヨン)が“怪物”のように登場し、「南営洞1985」は本格的に苦痛のレベルを上昇させていく。

写真=アウラピクチャーズ

苦痛な拷問シーンとさらに苦しい幻想の意味

綺麗に片付けられている各種の拷問道具。キム・ジョンテが拷問される中で死ぬことを防ぐために随時見る懐中時計、そして洗練された手つきと節制された話術。この拷問技術者が注ぎ込む水と粉トウガラシで満身創痍になるまでキム・ジョンテは我慢に我慢を重ねる。

以前、高校の先輩だという人脈を言及した南営洞対共分室の総責任者であるユン社長(ムン・ソングン)に「愛国こそパク・ジョンヒの維新独裁とチョン・ドゥファンの光州(クァンジュ)虐殺、それについての米国の傍観などを正すことだ」と声をあげた彼だった。だが、人生をまるごと伝えたような陳述書を寝ずに書き続けていたキム・ジョンテも、結局動物以下の扱いをするこの冷血漢の拷問には耐えられなくなった。

キム・グンテ顧問の妻のイン・ジェクン議員が目をぎゅっと閉じたという電気拷問のシーンが続いてる間、カメラはしつこくキム・ジョンテの顔と全身をクローズアップする。死の恐怖があごの下まで近づいてきそうな苦痛とこれによって引き起こされるしかない嘘の自白。そしてものすごい肉体の苦痛がスクリーンから伝わってくるとき、チョン・ジヨン監督はキム・ジョンテの疲弊した内面を覗かせている。

恋人を奪われた腹いせでキム・ジョンテを暴行したイ係長が申し訳ない気持ちで投げてくれたパンと牛乳、食欲という生存の欲望の前で、キム・ジョンテは普通の格好をした元気な自身と対面する。この幻想は、拷問を受けるときにたびたび力になってくれた妻の声や、連れられてくる直前に息子と行くことを約束した平和な海を思い出すこととは明らかに違うレベルのものだ。ハム・セウン神父をはじめ、背後の人物を偽りで密告したキム・ジョンテにチョン・ジヨン監督は、そのように動物扱いされる前の本人の姿を見せ「あなたは悪くなかった」と慰めたかったのかもしれない。

実際、映画的に見るなら単純すぎるこのような象徴も「南営洞1985」では重たい響きとして機能するしかない。キム・ジョンテの内面を慰めるこのシーンが代表的だ。だが、この響きも直接的な拷問シーンの細かい描写のうえに立てられたことを忘れてはいけない。

その極限の肉体的、物理的苦痛に必然的に伴う深く傷付いた内面を経験していない者であるなら、どのようにしてそれを想像することができるのだろうか。(このような演出に対しては賛否が分かれる可能性が明らかに見えるのだが)洗練されるどころかあまりにも単純で愚直に見えるこのような話法は、その後提起される記憶と許しの問題につながっている。

写真=アウラピクチャーズ

あなたなら簡単に許せますか?

映画の後半、20年以上が経った時点でキム・ジョンテは閣僚会議で国家保安法撤廃の件に対して意見を出すと(故ノ・ムヒョン)大統領が「穏健だ」と評価するような保健福祉部の長官になった。それと同時に刑務所で服役中であるイ・ドゥハンと単独面談した彼は交錯した運命の前でひざまずくあの拷問技術者に何も言うことができない。

パク・ウォンサンの卓越した演技が目立つこのシーンでチョン・ジヨン監督が強調することは、キム・ジョンテの震える手のような微細な部分だ。「お前が死刑される前、世の中が変わるならそのときは俺を殺せ」と言ったその拷問技術者がひざまずくときも拷問を終えたあと、彼が歌った「クレメンタイン」だけはキム・ジョンテの耳元から離れない。

だから「南営洞1985」は生半可に“許し”について話さない。拷問の時間が終わりかけていた頃、軍医官から連絡先を持ち出したことや南営洞から出て行く直前までも“民主主義”に対する定義を曲げなかったキム・ジョンテに、結局イ・ドゥハンは狂気じみた暴圧を加える。

その狂気こそ単純に“時代の痛み”として中和することのできない野蛮の正体だ。何の情報も与えず闇の中のフラッシュの明かりから始まった同映画は、そのイ・ドゥハンを後にしたままカメラを見つめるキム・ジョンテの目をクローズアップする。果たしてあなたたちはこの人を許すことができるのかと、私はまだ許せないという怒りの眼差しだ。

限られた時間と空間でかなり単調に展開される「南営洞1985」がはっきり見えてくる感情で観客の心を動かせるのは、拷問への精密な描写のようにキム・ジョンテ、いやキム・グンテの心理を正直かつ濃密に描いているためだ。そういう長所は、エンディングクレジットとともに登場する拷問被害者の証言によって、実話に基づく従来の映画の感動とは違うレベルの熱い感情を与える。

写真=イ・ジョンミン

「折れた矢」に続く“被害者”の話…大統領選挙に影響を?

司法被害者'の問題を扱った「折れた矢」に続き、拷問被害者のキム・グンテ議員の話を描いたチョン・ジヨン監督は「南営洞1985」で実名を使わなかった理由に対し「この映画は、キム・グンテ議員や拷問技術者、イ・グンアンだけの話ではない。時代の加害者と被害者両方が映画に込められていなければならない」と話す。

「南営洞1985」に刻まれたこの耐え難い“拷問の記憶”こそ、2012年に観客たちが覚えておくべき広義のそのなにかであるという意味であろう。イ・ジェオ議員まで登場する証言映像も、この映画が召喚した記憶を単純に時代の恐怖に縮小してはいけないという監督のサインのようなものだ。そしてチョン・ジヨン監督は「この映画が今年の大統領選挙に影響を及ぼすことは望ましくないではないか」とも言う。

ちょうど「南営洞1985」がプレス試写会を通じて公開された5日、「五賊」「灼けつく喉の渇きに」のキム・ジハ詩人が「この時代に必要なものは女性のリーダーシップ」という趣旨の発言をし、議論を呼び起こした。誰かにとって記憶はなくなったり、再構成されたりするものだが、また誰かにとっては永遠に刻印される刑罰のようなものになるのだろう。もしかしたら忘却の時代を生きているかもしれない私たちに今「南営洞1985」が訪れてきた。そしてプレス試写会後、もう一度探してみた遺言のビデオでキム・グンテ顧問は、このように呼びかけていた。

「希望は信じる人に先に来ます。希望は先に立ち上がる人だけ見ることができます。皆さん、一緒に立ち上がりましょう。皆さんは一緒にしなければならないし、一緒にすることができます」

記者 : ハ・ソンテ