「南営洞1985」チョン・ジヨン監督“辛かった…しばらく休みたい”

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古希(70歳)を目前にした老監督のダイレクトな語調は相変わらずだった。二十歳の青年の勇気は彼より大胆なのだろうか。はっきりとした信念と頑固な性格、年齢を実感させる目じりのしわは、苦労した歳月を代弁する勲章である。彼はまるで止まってしまった韓国の心臓に心肺蘇生をするために立ち上がったようであった。

映画「南営洞(ナミョンドン)1985」(制作:アウラピクチャーズ)のマスコミ向け試写会があった5日、チョン・ジヨン監督(66)に会った。雨が降ったせいだろうか、何だかチョン・ジヨン監督は少し落ち込んでいるようだった。苦痛の末に生んだ問題作が今になって心配にでもなったのだろうか、老将の顔には憂いが漂っていた。「緊張しましたよね?」と軽く声をかけた。すると監督は「ホホホ」と笑いながら特有の笑顔を見せてくれた。

「映画を完成させたら、もし緊張していたとしても緩んでしまう。監督によっては公開を前に観客が何人来てくれるのかについて考え過ぎていらいらしたりもするが、私は自分がすべきことをしたと思うので気楽だ。公開する日までのマーケティングや広報などは私ではなく、専門家の仕事だ。だから緊張もしない。ただ運に任せるだけ(笑)」

「『南営洞1985』を見る間、観客たちに心地悪くなってほしい」

―「南営洞1985」は故キム・グンテ議員の自伝的手記「南営洞」を原作にした作品だ。社会的な反響が大きいと思われる。

チョン・ジヨン監督:大きな反響を期待している。私の作品が多くの人々に議論を巻き起こすということは、社会のある問題を暴いたという意味を持つ。問題の中心にいる彼らに問題を投げかけること。それはとても楽しいことだ。

―いつからこの作品を計画していたのか。

チョン・ジヨン監督:以前からこのような問題を暴く必要があると思っていた。忘れてはならない歴史であって、必要な記憶だと思った。ちょうど故キム・グンテ議員の記録が存在していたし、(それを基に)行動で実戦できるようになった。拷問を様々な方法で表すことがポイントではない。ちゃんと見せることが重要だ。

―「南営洞1985」は衝撃的な拷問シーンがあるにもかかわらず、R15等級となった。

チョン・ジヨン監督:むしろ私はR12等級を受けてほしかった。等級の判定に最も大きな影響を与えるのが暴力性と扇情性だが、この映画は扇情性の面では問題がなかった。もちろん裸体シーンはあるが、全くエロティックなシーンではないからだ。問題になるのは“暴力性”だが、その基準は“青少年が暴力を模倣する懸念があるのか”だった。だが「南営洞1985」の暴力性は、模倣心理を刺激しない。青少年たちも人権の問題だと受け入れてくれると信じた。だからこそ「R12等級だったらもっとよかったのではないか」と思った。しかし今までの韓国の映画等級の慣例基準で考えると、R15+に値すると思う。これくらいでも満足する(笑)

―赤裸々な表現に心地悪さを感じる観客もいると思うが。

チョン・ジヨン監督:心地悪さを感じてほしい。ホラー映画の監督は観客に恐怖を感じてほしいだろうし、悲しい映画の監督は観客に悲しさを感じてほしいだろう。私も映画で主人公が感じた苦痛を観客に感じてほしい。そのような気持ちで作った。だからこれまでの作品よりはるかにつらかった。

―拷問をどこまで表現すればいいのかに対して悩みはなかったのか。

チョン・ジヨン監督:撮影する前に拷問被害者を取材したが、想像もできないくらいひどかった。視覚的に見ることができないほどで、避けた拷問もかなりある。例えば針で爪の下を刺す行為や人を逆に吊るす行為など、言葉で言えないくらいの拷問が多かった。そのため、故キム・グンテ議員がされた拷問をできるだけ再演してみようと思った。私も拷問をされた経験がないので、キム・グンテ議員が手記で表現した部分は「十分描かれたのだろうか」という疑問がある。映画を撮影しながら「拷問を象徴的ではなく、赤裸々で直接的に表現しよう」と思いを固めた。ただ「視覚的に不快なものにはしない」と一線を画した。徹底的に計算して撮ったシーンだ。

―被害者を探してインタビューをしたが、どんな気持ちだったのか。

チョン・ジヨン監督:私もその時代を経て今の年齢になったが、当時の状況は詳しく知らなかった。被害者たちの話を聞くとただ涙が出た。本当にひどかったから……故キム・グンテ議員は実際、民主化闘争の後に国会議員や長官にもなって一定の補償をしてもらった。しかし彼のような人は非常に少なかった。ある日、畑で働いていると突然スパイだと濡れ衣を着せられて捕まり、懲役20年の刑を言い渡され、出所したら家族はバラバラになっていて……惨憺過ぎる。彼らの20年、30年は誰が補償してくれるのか。彼らの証言を少しでも知らせたくて、映画の最後に少し語った。映画が公開されたら「南営洞1985」のサイトにインタビュー映像を掲載するつもりだ。長くて退屈かもしれないけど、1度くらいは是非見てほしい。

「怪物イ・ドゥハン、僕には可愛いイ・ギョンヨン」

―映画「折れた矢」のチームと意気投合したことで、たくさんの期待を集めた。

チョン・ジヨン監督:ただ有難いだけだ。パク・ウォンサンは自身の俳優人生の中で一番成功的な役割だったと言ってくれた。僕に対する信頼が生まれたのだ。僕はその信頼を利用したと言えるかな(笑) 今まで私自身が考えるペルソナを作れなかった。映画は30年間作っているが、多くの作品を制作したわけではないので、ペルソナと言えるくらいの人との交流は少なかった。せいぜいイ・ギョンヨン、アン・ソンギ、チェ・ミンスくらいだ。パク・ウォンサンとは2回目の作品だが、あまりにも苦しめたため、彼に対しては特別な気持ちを持っている。パク・ウォンサンが僕のペルソナだと断定することはできないが、彼とは十分な交流があった。

―熱演を見せてくれた7人の俳優は、精神的にとても辛かったと思う。

チョン・ジヨン監督:そうだ。特にキム・グンテを演じたパク・ウォンサンは、被害者の心と体で苦痛を感じていた。イ・ドゥハン役のイ・ギョンヨンも加害者としての苦しみを十分に感じたと思う。自身の体で苦痛を感じたわけではないけれど……。

―拷問シーンの撮影は難しそうだ。

チョン・ジヨン監督:実は拷問シーンを撮影する際、いくつかのトリックを使った。詳しいことは秘密だが、映画が公開されたら明らかにする予定だ。その他のことは俳優たちが直接耐えてくれた。水を鼻に注ぐシーンがあったが、我々は事前にパク・ウォンサンと約束をした。彼に「できるかぎり耐えてほしい。もうダメだという時に振り切ってくれ」と注文した。監督として悪い要求だったが、リアリティを生かすための措置だった。幸いパク・ウォンサンは受け入れてくれた。

―監督にとっても30年の映画人生の中で一番大変な時期であったと思う。

チョン・ジヨン監督:撮影する時には気付かなかった。ただ「体が疲れているからだろう」くらいしか認識できなかった。ところが撮影が終わっても治らなかった。その時気付いた。約1ヶ月間拷問するところ、拷問されるところを見ながら、私自身も拷問されていたのだ。だから簡単に治らなかったのだと思う。おそらくイ・ギョンヨンも私と同じ苦しみを感じていただろう。パク・ウォンサンは言うまでもない。他の俳優ならすぐに逃げ出したと思う。

―イ・ギョンヨンが演じたイ・グンアン(「南営洞1985」ではイ・ドゥハンという名前を使った)拷問技術者は、現在行方が分からない状態だと聞いた。もしイ・グンアンがどこかで「南営洞1985」を見るとしたら?

チョン・ジヨン監督:間違いなく「僕はそんなに悪くなかった」と言うだろう。映画の中でイ・ドゥハンがそうだったように、イ・グンアンも故キム・グンテ議員に会って許しを願った。そして監獄から出た後に、牧師として新たな人生を始めたように見えた。しかし世の中が変わったと思ったのか、自身は「拷問技術者ではなく、尋問技術者だった。愛国者だ」と主張したではないか。信念が強ければ最後まで貫くべきだと思うが、彼は世の中の変化と共に信念も変えてしまった人だ。

「体も精紳も疲れた。2年の休息期間を持ちたい」

―第17回釜山国際映画祭の記者会見で、大統領選挙の候補らに「南営洞1985」を是非見て欲しいと言ったが。

チョン・ジヨン監督:本当に“是非”見てほしい。我々はみんな野蛮な時代を経て、今の姿で生きているのではないか。韓国の国民もそうだが、指導者はさらに過去に対して考えなければならない。我々のつらい過去を改めて確認しないと、韓国の将来をうまく設計することもできないと思う。そのような気持ちで是非見てほしい。

―故キム・グンテ議員の妻であるイン・ジェグン女史も釜山で映画を見たと聞いたが。

チョン・ジヨン監督:私に対するコメントはなかった。一言も。私は映画を見ながら泣いている彼女の姿を見た。その姿を見ると……胸が痛かった。

―監督はダイレクトな話法を使っている。プレッシャや不安は感じないのか。

チョン・ジヨン監督:韓国で何かを隠したがる人々は誰だろうか。その何かが世の中に出た時に損をする人たちだ。だから彼らが隠そうとするものを絶え間なく水面上に出さなければならない。誰かが蓋をしようとするものに対して絶えず考え、明かそうとすることが、我々のような力のない者の義務であり、権利だと思う。もちろん力のある者に押されているため、簡単ではないだろう。しかしそれを暗闇から明るいところに引き出そうとする努力は続けなければならない。私も行動を止めないつもりだ。我々が共有すべき、美しくて胸の痛い物語が多い。

―「南営洞1985」をどれだけの観客に見てほしいのか?

チョン・ジヨン監督:釜山国際映画祭で上映される前は100万人だと思っていた。ところが釜山で上映された後、反応がかなりよかった。私が、「100万人が見てくれるだけでもいい」と言ったら、周りの人々がもうちょっと欲を出してもいいんじゃないかと褒めてくれた。それで今はもうちょっと欲を出している(笑)

―次期作でもチョン・ジヨン特有のダイレクトな話法が楽しめるのか。

チョン・ジヨン監督:大変だ。少し休みたい。2年くらい休むつもりだ。久々に連続で2本の映画を作ったら体力的にも疲れたし、特に「南営洞1985」で精神的にも疲弊した。短い撮影期間中に自分自身をあまりにも苦しめすぎた。休みながら充電する必要があると思う。もちろん2本の作品に多くの方々が関心をたくさん見せてくれたおかげで、力と勇気をもらえた。次期作のことはしばらく忘れてほしい。休みが必要だ。

記者 : チョ・ジヨン、写真 : ムン・スジ