キム・ジョンサン「外国人やハーフでもない、屋台を楽しむ韓国人」

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「何も知らずに始めた演技が今や、人生でもっとも大切なものになりました」

最近、tvNドラマ「となりの美男<イケメン>」、KBSドラマスペシャル「童話のように」に出演した新人俳優キム・ジョンサンの言葉だ。

19歳の時に学園ドラマ「四捨五入2」でデビューしたキム・ジョンサンは、同年、子ども向け歴史ドラマ「ジャンプ」を最後に、しばらくテレビの仕事を止めた。仕事を始めたばかりの新人としては、意外な行動だった。彼はテレビの仕事を止めた理由について、「その時から覚悟を決めたからだ」と明かした。キム・ジョンサンの格別な演技への情熱について聞いてみた。


心に火をつけた路上スカウト

キム・ジョンサンは、元々美術大学を目指していた。芸術高校に進学し、弘益(ホンイク)大学への入学を夢見たが、父の反対で人文系高校への進学を選んだ。当時、キム・ジョンサンの兄は、期待より低い修学能力試験(韓国のセンター試験)の点数だったため、進路について悩んでおり、キム・ジョンサンの父は二人の息子を呼んで「夢は何だ」と聞いた。その時、キム・ジョンサンは、自分は絵が好きで得意だったが、絵でないとダメだという気持ちではないことに気付いた。彼は、美術のために大学に行くというよりは、美術を大学進学のための一つの手段として考えていた。

その時からキム・ジョンサンの真剣な悩みが始まった。彼は学生時代を振り返りながら、自分が人前に立つことが好きだったことに気付いた。ドラマを見ながらその役になりきることに夢中になり、人気グループの歌とダンスを真似していたことを思い出していた時、路上でスカウトされた。キム・ジョンサンにチャンスが舞い降りたのだ。

スカウトされたことで、キム・ジョンサンの心に火をつけた。彼は、ドラマ「四捨五入2」と「ジャンプ」に出演しながらテレビに姿を現した。しかし、彼はこの二つの作品を最後にテレビの仕事をしばらく止めた。俳優本来の姿を整えるためだった。

「若かった頃は、演技が何かも知らずにただ始めた。スターになりたいという夢もなかったし、何も知らず現場に入ったので、よく怒られた。演技を正式に学びたかった。自らの内面をさらに深めて、取り掛かろうと思った。多数の作品のオーディションを辞退して、演技関連学科の入学準備にだけ専念した」


鶏足・軟骨が好きな本物の韓国人

深みのある眼差しのエキゾチックなルックスと色白の肌。外国人または、ハーフみたいだという言葉は、キム・ジョンサンにとって日常茶飯事のことである。食堂のおばさんたちは、韓国語で会話するキム・ジョンサンを見て、韓国人だと考えるより韓国語が上手な外国人だと思う。キム・ジョンサンは、「韓国語が上手だとほめられたことが一度や二度じゃない」と話した。

「外国人やハーフと勘違いする人が本当に多い。最近は、電車に乗るとよく外国人を見かけることがある。外国人の特徴は、目をよく合わせるということだ。韓国人は普通、知らない人と目が合うと避ける傾向があるが、僕は習慣になっているからか、よくアイコンタクトをする。外国人はそんな僕を見て、“あの人はなぜ目をそらさないんだ? 韓国人ではないのか?”と考えるようだ。男性は僕のことを自分と同じ外国人だと思って微笑んだり、頷いたりし、女性の場合はウィンクをすることもある」

キム・ジョンサンは自身の外見のため、女性から誤解されることも多いと明かした。彼は、「僕の外見だけを見て、女の人とたくさん遊んでいるんじゃないかと思われる」と悔しそうに話した。

「いわゆる、僕が女好きで、女性と遊ぶのが好きそうだとよく言われてきた。女性たちは、“あの人は私じゃなくても、他にも女性がたくさんいる”と思うようだが、絶対に違う。クラブの近くにも行ったことがない」

いつもモテる男を演じる姿が認識されてしまったのだろうか。意外にも気さくな彼の性格は、少し驚きだった。彼は、「静かな場所が好きだ。弘大(ホンデ)によく行くが、行き着けの食堂やカフェで主に時間を過ごす。お酒を飲む時は、むしろ屋台に行き、鶏足や軟骨が大好きだ」と明かした。


熾烈だった空白期、焦ってはいなかった

キム・ジョンサンは、自身の実際の姿と人々が自分をイメージだけで判断することから来る“ズレ”に虚しさを感じる。むしろ近い人であるほど無神経に言葉を放ってしまうため、傷が少しずつ深くなっているという。キム・ジョンサンは自身が享受している現実が、決して容易に得られたものではないと断言した。

「僕は、今でも公演している友だちが羨ましい。その友だちは2年、3年と休まず作品をやっている。“どれだけたくさんのことを学んだんだろう”“どれだけ良い人にたくさん出会ったんだろう”という羨ましさがこみ上げてくるが、友だちからは、『あなたは所属事務所に入ったじゃないか』『あなたはテレビに出てるじゃないか』と言われる。人々は、僕がすべてのことを簡単に手に入れたと思っている」

キム・ジョンサンの空白期は、かなり熾烈だった。2010年軍除隊後、カメラの前に立つ機会がなくて、大学路(テハンノ:小劇場が集まっている町)を転々とした。彼は休んでいる間、あれこれ学びながら待つということを学び、誰かが上手く行けば嫉妬もして、自分はなぜダメなのかと挫折もしてみた。

しかし、チャンスがなかったわけではない。空白期でもキム・ジョンサンにはいつもオーディションの機会が与えられた。作品に出演できるかもしれないチャンスだが、彼は自ら断った。彼は「焦りたくなかった」と話した。

「早く軍隊に行ってきたので、時間に対するプレッシャーはなかった。急いで成功を求めてはいなかった。ただ、着実に自分の内面を固めながら、ワンステップずつ上がって行きたかった。『あなた、顔が良いから演技してみて』が答えではなかった」

周りで先に成功した同僚を見ると羨ましくないかと聞くと、彼は、「僕がこの仕事をしながら耐え続け、まっすぐに道を歩いていけば、いつかは僕もその場所にいるのではないだろうか」と答えた。代わりにキム・ジョンサンは、怠けず、さらに精進する姿勢が必要だと自分にムチを打った。頑張っていれば、より良い機会がやってくるという彼の言葉を、信じて疑わない。

記者 : シン・ナラ、写真 : ムン・スジ