【ドラマレビュー】「ゆれながら咲く花」ロマンの花咲く学園ドラマはもはや存在しない

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現実を描いたドラマの登場、痛いが見なければならない理由

いつからか学園ドラマは暗くなってしまった。一時は青春とロマンを思う存分表現できる題材ではなかったのだろうか。そのような風景は遠い昔の思い出になってしまった教育現場、その現実を描いたドラマが登場した。

「ゆれながら咲く花」が現実をそのまま見せるわけにはいかないと思う。これよりもっとひどいと思ったり、逆に誇張されたと思ったりした人もいるのだろう。“教育ドキュメンタリー”とさほど変わらない内容と形式を持つこのドラマが果たしてどれほど関心を集められるのか、その成り行きが注目されている。

写真=KBS

権威がなくなった学校、関係の見直し、難しいが適応しなければならない問題

英「BBC Entertainment」で放送される「Waterloo Road」というドラマがある。現在シーズン8が放送されている同ドラマは、11~18歳の問題児が集まったウォータールーロード総合学校で起きる話を題材にしている。暴力、麻薬、妊娠、出産、教師への反発、しかも殺人事件などが衝撃的に描かれる。2006年に放送を開始したこのドラマに登場する見慣れない風景は、現在の私たちにもだんだん慣れてきている。極端な部分を除いてみればそうだ。

我々の教育現場でも生徒、教師、学校、父兄の間の力の関係が伝統的な形とはますます異なる方向へと向かっている。力のカテゴリーが入り乱れることで起きる混乱は、どの地位にいるとしても困惑することになるのだろう。

個人主義とインターネットの発達は、これから世代間の格差をどんどん広げることになるのだろう。現在それぞれのインターネットコミュニティは匿名性の保障はもちろん、個人の性別と年齢などを問わない。つまり、縦割りのシステムを好んだ人々の居場所はどんどん狭くなっていくということだ。

我々の学校が極端な上意下達の文化を克服するために努力してからしばらく時間が経った。それから抜け出すことに有利な方は、おそらく子供であろう。変化に適応しなければ、すぐに絶望することになるかもしれない。水平的な関係に慣れている子供たちを扱いにくいからである。

ドラマは、私教育の拡大で崩れかけている公教育についても語る。学校は、塾で最高の人気を誇る講師であるカン・セチャン(チェ・ダニエル)をスカウトした。彼の先生だったチョ・ボンス(ユン・ジュサン)は「塾で排出するのは顧客だが、学校では弟子を作る」と言う。“教育”とは何かということを語ろうとする一連の告白として、このドラマの方向性を物語ってくれる。

また、期限付き教員のチョン・インジェ(チャン・ナラ)を通じて彼らをめぐる問題も描いている。影響力を持つ父兄の横暴、それに振り回される学校の様子も赤裸々に描く。

問題児が事故を起こす度にカメラアングルはひどく揺れる。このことで右往左往する大人たちを撮る画面も水平ではなく斜めになっている。意図されたようなそのシーンは、視聴者の気分を悪くする。


気まずい話だが、結果より過程を見せなければならない

「トガニ 幼き瞳の告発」や「愚かなソンピョン」がそうだったように、“教育現場”に関する話は、気まずい。そこが理想的な空間として残ってほしいと思うからだろう。理想とかけ離れた現場を見ることは、非常に気まずいことだ。

一方で暴力といじめ、不平等など、様々な問題が実際より控えめに描かれるしかないということは残念だと思う。いかなる慰めの言葉でも癒されない環境に置かれている学生の姿は、決して描かれないと思われるためだ。

EBSドキュメンタリー「教育大企画―学校の告白」である実業高校の教師は「子供たちが簡単に変わるものですか?大人は?ただ、1年生の時に教室で堂々とタバコを吸っていたやつが2年生になってからは後ろに隠し、3年生になってタバコの火を消しました。それだけでも大きな変化ですね」と語った。

「ゆれながら咲く花」が教育界に大きな変化を与えると思う人はほとんどないはずだ。だが、少なくともその問題点を認識するようになり、それを打開するためのちょっとした関心、努力が芽生えること。それだけでも十分ではないか。恋愛話ばかりの“ドラマ王国”でこのドラマが輝く理由もここにある。

ただ、ドラマの終盤に学校は“理想の場所”となり、教師と生徒、学校は劇的な和解を演出し“ハッピーエンド”を迎えることなどは警戒しなければならない。結果より回復のための一歩一歩の過程を見せることがドラマのリアリティを生かす方法である。痛い現実を扱う敏感なテーマのドラマをなかなか見つけることができないこの頃だが「ゆれながら咲く花」の新たな登場を歓迎する。

記者 : ハン・ギョンヒ