【ドラマレビュー】「馬医」と「人医」の違い…肯定の逆説を語るドラマ

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「馬医」を面白くする4つの要素

“馬医”が“人医”となり、卑しい身分を克服する奇跡的な話。歴史的事実と虚構を織り交ぜた長編のファクション(factとfictionの合成語、事実と虚構を織り交ぜた作品)ドラマ。

歴史的事実を現在の観点から見ることは、時代劇が持つ強みである。一人の人物の成長物語であり、彼の恋愛ストーリーが基本の構造を成している「馬医」は面白い。ここにペク・クァンヒョン(チョ・スンウ)の自然な演技もドラマをより面白くしている。

写真=MBC

過去の歴史にタイムスリップする

現在使われていない言葉、イントネーション、衣装、時代的背景は、私たちの意識をタイムスリップさせる。すでに過ぎ去った過去で意味がないわけではなく、私たちの人生と関係のある部分を見つけ、また比較しながら歴史の人類史を感じるようにする。

先日ペク・クァンヒョンが言った「気になるなら5プン(朝鮮時代のお金の単位)」という流行語は、このドラマが歴史の再現ではなく、現在の観点で新しく書かれていることを意味する。

歴史学者、E.H.カーの「歴史は現在と過去との絶え間ない対話だ」という有名な言葉は、歴史がただ過去のものではないことを意味する。歴史が現在を照らす意味のある事実になってこそ、歴史は現在との連続線上で柔軟に理解できる。それと同時に歴史には、我々の人生の文化様式の系譜を新しく構成する生きた知識という意味もある。


馬と人間の類似性?

“馬医”が“人医”になるということには、疑問を感じるかもしれない。だが、実際の人間を解剖することを禁止した朝鮮時代で馬を治療する馬医は、動物の解剖学的知識を人間のための医学知識として活用できる。

ヒトゲノムプロジェクトで明らかになったように人間と動物の遺伝子はさほど大きく変わらない。様々な動物の生体実験は、人間のための医学知識としても使われる。

あたかも嘘のような、馬医が人医になった歴史的事実を根拠とした「馬医」は、馬の生体情報が人間の生体情報と接点を見せるという点でかなり興味深い。馬をはじめとする各種の動物を治療した経験を生かして王の胆石を発見し、その症状がますます彼の診断通りになることは極端な例であった。

これは、ただ医学書籍にある知識を実際に活用することに止まらず、新しい医学的知識の発見と医学のパラダイム、つまり人間も動物だというより高いレベルまで認識の範囲を拡大することだ。

差別意識に抵抗するドラマ

人間が馬と類似な臓器と身体構造を持っているということは、人間も哺乳類で臓器が皮膚の外ではなく、皮膚の中にあるということから起因する。より広く見ると、人間と動物を分離して考えるのはある種の神話で、人間も動物であるということだ。王と馬を比較することで、王の体も普通の人と変わらないという事実を語る。

ペク・クァンヒョンが王の病気を馬から引き出したことは、科学的観察を通じて胆石を見つけ“新しい医学の歴史”を描く。これと同時に人間と馬の境界を崩し“馬を通じて人間の生体情報を把握できる”ということを認識する。これは“民と王を分離する認識への抵抗”を意味する。

ペク・クァンヒョンは、彼が御医(オイ:王の主治医)になることを阻止しようとする御医のイ・ミョンファン(ソン・チャンミン)に対し、現在でも有効な真理観を持って自身の処遇に対する不当な認識をなくすことを促す。

「身分が人格を意味するものではない」「皆に平等な機会が与えられなければならない」「誰もが自身の夢を叶えることができる」「既得権によって不当に夢を叶える権利を奪われてはいけない」卑しい身分にもかかわらず、彼は堂々と正しいことを言う。

自由主義を目指している今は、身分の制約は表面上には見えないが、誰もが同じスタートラインから出発し、競争できると思う人はいない。そう信じるなら、新自由主義社会の偏った資本の流れと富と身分の世襲という現実をまったく認識できずにいることと同じだ。
これは「馬医」が過去の歴史ではなく、逆に現在の私たちに向けた非常に政治的なメッセージを投げかけるドラマだと考えざるを得ない理由だ。


「馬医」に含まれたシンデレラストーリーがこのドラマの全てではない理由

「馬医」のペク・クァンヒョンが実は高官の息子だということは、彼を馬医だと汚く、粗末に思うたくさんの人の偏見を無意味にする。だが、このドラマが身分を上げるシンデレラストーリーを題材にしているわけではない。

すでに身分と関連し不当なことを経験したが、それに屈せず現実で自身の夢を淡々と積極的に実現していくペク・クァンヒョンは、そのような身分への浅はかな満足やそれを守ろうとする稚拙な方法とは遠い人である。ひたすら人を助け、人の命を救うために有用な知識を見に付け、より広い世界のためにその知識を使うことを希望する人であるためだ。

稚拙な暗闘が登場する同時間帯のドラマ「ドラマの帝王」が暗い現実をコミカルに描く“逆説的な悲しみのドラマ”であることに対し、「馬医」は不合理で不条理な現実の中でも抵抗し、主体的な人間として生きていこうとする「馬医」の険しい人生が小さい希望で満たされる“肯定の逆説を語るドラマ”だと言える。これが「馬医」に注目する理由である。

記者 : キム・ミングァン