SHINee、世界も認めた彼らが帰ってきた!鮮烈デビューと13年に及ぶファンへの愛 ― Vol.1

Kstyle |

2月22日、SHINeeが韓国で7thアルバム『Don't Call Me』をリリースし、待望のカムバックを果たした。2018年12月のオンユの入隊に続き、キー、ミンホも国防の義務についたことで、この間、グループとしての活動を休止していた彼ら。ミンホが除隊した昨年11月から、カムバックへのファンの期待ははち切れるように膨らみ、SHINeeは準備を重ねてきた。

そして1月末日、オンラインでスペシャルライブ『The Ringtone: SHINee is Back』を開催し、復活への弾みをつける。中でも新曲の「Marry You」が注目を集めたのだが、その理由は、彼らの足跡を辿れば、自然と明らかになる。


鮮烈デビューと、13年に及ぶファンへの一途な愛

2008年5月、彼らは「누난 너무 예뻐(ヌナンノムイェポ:お姉さんはとても綺麗の意)」で鮮烈にデビューする。自分達を“コンテンポラリー・バンド”と位置付けるメンバーたち。日本では“バンド=ロック・バンド”をイメージしがちだが、英語では“バンド=グループ”も意味し、コンテンポラリー(現代的)を超え、“ちょっと先行く、ハイセンスな”ボーイズ・グループとして世に出た。また、自己紹介では全員が揃えて右手を上げ、「輝くSHINeeです」と挨拶し、事実、彼らはここから13年に渡って輝き続けていく。彼らが「ビッドル(輝くアイドル)」と呼ばれるのも、当然のことだった。

デビュー当時、14~18歳だったメンバーがデビュー曲でテーマにしたのは年上女性への愛。それを洗練されたコンテンポラリー・サウンドにのせ、彼らは年上女性だけでなく、世のすべての女性のハートをキュンとさせる。音もダンスもスタイリッシュかつアーバンで、パフォーマンスはフレッシュ&爽やかな香りをまとい、その印象を強烈なものとした。

それから7年が経過した2015年、彼らは「Love Sick」(4thアルバム『Odd』収録)で、ラブ・ストーリーの続きを歌う。弟みたいな僕に、冗談ばかり言う彼女。主人公は彼女に「いまだに僕の人生のEverything」と想いを馳せ、愛は日々、深まり、遂には恋の病から「I need a doctor」と呟き……。今回の「Marry You」では「I need a doctor」など「Love Sick」の歌詞を引用しながら、デビュー時からの物語を続け、「今でもとても綺麗だよ。(君は)今でも僕の人生のEverything」と告白。13年間、思い続けて来た女性に「(左手の)4番目の指(薬指)を下さい」とプロポーズする。しかも「Marry You」では彼らを特徴づけるダンスを封印し、ボーカルに全力を注いで。彼らが表現する“お姉さん”は年上に限定することなく“ファン”と解釈できよう。

このように、どれほどの歌手が10年超に渡り、一貫して変わらぬファンへの愛を歌い続けることが出来ようか? メンバーのファンを愛する思いは13年間、一途で揺らぐことはなく、ファンのSHINee愛もまた同様。双方の愛は共にブレ知らずで、彼らはそれに応えるように、世界中のファンに、オンラインを通じてプロポーズする。再出発にあたり、SHINeeは原点に立ち返るようにデビュー時のテーマを再び取り上げ、壮大なラブ・ストーリーをロマンチックに描くことでファンに感動をもたらしたのだった。


歴史を作った日本デビュー

韓国デビューの翌2009年8月、彼らは初来日を果たし、東京・中野サンプラザホールでミニ・ライブ&ファンミーティングを開催。「もっと、いろんなところでコンサートがしたい」と抱負を述べた。そして翌2010年12月26日に東京・代々木第一体育館で初の単独日本公演「SHINee WORLD」を行う。当初、1公演を予定していたが、デビュー前にも係わらず、10万件以上の応募が殺到したという事から、彼らが日本でいかに人気を博していたかが分かろうというもの。これに昼夜2公演で応え、24,000人を動員。アンコールでは、一日遅れのクリスマスプレゼントとして、2011年の日本デビューを発表した。

2011年6月22日、SHINeeは「누난 너무 예뻐」の日本語バージョン「Replay -君は僕のeverything-」で日本デビューを果たす。それを前にした6月19日、彼らは記念イベントを行うのだが、それもまた破格だった。会場となったのは、ビートルズが数々の名曲をレコーディングし、スティーヴィー・ワンダー、ロッド・スチュワートら世界的ミュージシャンがライブを行ったロンドンのアビー・ロード・スタジオ! ここで彼らはアジアのアーティストとして初めてライブを開催し、会場前には世界各地から熱狂的なファンが詰めかけた。日本デビューを記念するイベントながら、彼らは世界を視野に入れ、世界もまたSHINeeを望んでいたのだ。

この日のステージでは、日本デビュー曲を“アビー・ロード・スペシャル・バージョン”で披露。バックにはポール・マッカートニー、U2らのレコーディングにも参加しているロンドン・メトロポリタン・オーケストラのミュージシャンたちを従え、華麗な歌声をロンドンでも輝かせていた。

同年下半期の活躍を振り返ると、アビー・ロード・スタジオという歴史的聖地も、彼らに相応しい場所だったことが理解できる。アビー・ロード・スタジオが彼らを選んだ、とも言えようか。

6月の日本デビューに続き、8月に2ndシングル「JULIETTE」を、10月には3rdシングル曲「LUCIFER」をリリース。デビュー年に隔月というショート・スパンでシングルをリリースし、それらを全てヒットさせてきたのもSHINeeの“輝き”ポイントだった。これらはオリコン・ウィークリー・シングル・ランキングの最高位で、それぞれ、2位、3位、2位を記録し、シングル・ランキングで“デビューから3作連続TOP3入り”は海外アーティストとして史上初! 彼らはここでも歴史を作った。

さらに注目すべきは3作の音楽性の振り幅の広さ。少年ぽさの残るR&Bチューンのデビュー曲から、「LUCIFER」ではエレクトロ度を高め、表情もグッと大人びたものとなり、様々な貌を見せた。僅か半年での変化は、その後の活躍を大いに予感させるものだった。


圧巻のパフォーマンスが生む、驚愕の動員力

日本デビューが発表された2010年12月26日の日本公演(@東京・代々木第一体育館)は初のアジアツアー「SHINee WORLD」の初日でもあった。つまり、ワールド・ポップ・スターとしての第一歩がここから始まったのだ。また、ツアー第一弾は、東京、ソウル、台湾、中国、シンガポール、名古屋、大阪で行われ、延べ11万人を動員。文字通り、彼らの世界が表現されるツアーには、その時、その時の彼らの“今”が詰まっていた。

その後、2014年の「SHINee WORLD III」ではアジアの枠を超えて、メキシコ、南米にも進出。2016年9月からスタートした「SHINee WORLD V」では約10ヶ月をかけて世界を周り、アメリカ、カナダでもライブを開催。世界中のファンを喜ばせた。

もちろん、彼らは「SHINee WORLD」と言うタイトルで日本でもツアーを開催している。
2012年、4thシングル「Sherlock」で、オリコン・ウィークリー・シングル・ランキング2位をゲットし、「デビューから4作連続TOP3入り」という快挙を成し遂げたSHINeeは、その勢いのまま、初のジャパン・アリーナ・ツアーを開催し、7都市20公演で20万人を動員した。

その後も彼らの勢いはとどまるところを知らなかった。2013年6月、日本盤2ndアルバム『Boys Meet U』をリリースした2日後、2度目のアリーナツアーを行い、しかも、初日から三日間、その舞台として選んだのは埼玉・さいたまスーパーアリーナ! 「もっとSHINeeを知ってほしい! もっとたくさんの人に会いに行きたい!」との想いを込め、9都市15公演を行い、22万人を動員! どんどんスケールアップしていく姿は頼もしく、ファンには誇らしくもあった。

『Boys Meet U』はオリコン・ウィークリー・アルバム・ランキングの2位を記録し、翌2014年、彼らは3rdアルバム『I'm Your Boy』でデビュー以来初となるウィークリー1位を記録する。そしてリリースから4日後、ファンへのラブレターとも呼べるこの作品を引っ提げ、3度目のジャパン・ツアーを開催。20都市30公演(動員数:20万人)を行うのだが、注目すべきはこの前半部に地方都市でのホール公演を組み込んだこと。J-POP界の頂点を極めようとも、更に強まる「もっとSHINeeを身近に感じてほしい!」という想いの発露として、各地の市民会館などを訪れ、彼らは平均して3日に1公演の驚異的なペースで日本を周ったのだった。

そして翌2015年3月、3度目のジャパン・ツアーのスペシャル・エディションとして、デビュー以来目標のひとつに掲げてきた東京ドーム公演を2デイズで行う。パールアクアグリーン一色に染まったドームで、巨大会場が手狭に感じるほどの熱いパフォーマンスを繰り広げたメンバーたち。予定時間を1時間もオーバーし、“伝説”となった公演を届けてくれた彼らにファンはサプライズで恩返し! スタンド席に黄色で、初日には「THANK U SHINee」、二日目には「WE LOVE SHINee」の文字を浮かび上がらせ、感謝のメッセージを贈ったのだ。

2015年の東京ドーム公演以降、SHINeeがジャパン・ツアーにドーム公演を組み込むのは定番となった。しかも、2016年の4度目のツアーでは東京だけでなく、京セラドーム大阪でも2公演を開催。10ヶ所20公演に35万人が詰めかけ、日本ツアーでの累計動員数が100万人に達す。2017年の5度目のツアーにも東京・大阪のドーム公演(それぞれ2日間!)がセットされ、2018年の「SHINee WORLD THE BEST 2018~FROM NOW ON~」は東京、大阪のドームのみで開催。4年連続となったドーム公演は、4公演合わせて計18万人を動員し、彼らは日本のツアーで通算120公演を行い、延べ168万人を動員。この動員力の高さこそ、彼らのステージングの素晴らしさを実証している。


記録で振り返るSHINeeの歩み

韓国でのデビュー年、彼らは華々しい活躍を見せ、その年の賞レースでは、「Mnet KM Music Festival(現MAMA)」「ゴールデンディスク賞」「ソウル歌謡大賞」という3つの授賞式で新人賞を受賞し、“新人グランドスラム”という快挙を成し遂げる。この偉業を達成する新人アイドルはSHINee以降2015年迄現れることがなく、“大型ルーキー”ぶりを見せつけた。

翌2010年10月、彼らは同じフレーズをリピートさせて高い中毒性を放つフックソング「Ring Ding Dong」をリリース。SBS「人気歌謡」で1位に該当するミュティズンソングの栄冠を3週連続で手にし、自身初となる“トリプル・クラウン”を達成。2012年4月、スリリングでカリスマ性溢れるパフォーマンスが魅力の「Sherlock」でも、同番組の“トリプル・クラウン”をゲットする。同時にアメリカのビルボードはこの曲を「2010年代最高のK-POP」6位に選出。世界もまたSHINeeを認めたのだった。

韓国で精力的に活動した2013年、3枚目のアルバムをチャプター1、チャプター2に分けて発売し、その後、それらを併せて、リパッケージ盤として発売。とりわけ、チャプター1のタイトル曲「Dream Girl」の勢いがハンパなかった。各テレビ局の音楽ランキング番組の1位を総なめにし、計10個のトロフィーをゲット。MBC「SHOW CHAMPION」では前人未踏の4週連続1位を、Mnetの「M COUNTDOWN」ではトリプル・クラウンを記録する。さらに、10月にはミニ・アルバム『Everybody』もリリースし、パフォーマンスのダンスも更にレベルアップ。これらが評価され、この年の「MelOn Music Awards」では、3大大賞の一つ「アーティスト賞」を受賞する。また翌年1月の「ゴールデンディスク・アワード」では、アルバム部門の人気賞、本賞、さらにCeCiアイコン賞を受賞。「ソウル歌謡大賞」でも本賞と人気賞、韓流特別賞を受賞し、二つの式典で三冠王となった。

2015年、クリス・ブラウンの大ヒット曲「Turn Up the Music」へのプロデュース参加で知られる、イギリスのプロデュース・ユニット、LDN Noiseからの楽曲提供で、彼らは再びK-POP界を制す。LDN Noise作編曲のハウス・チューン「View」は延べ9回に渡って、音楽番組の1位を獲得し、ファンキーな「Married To The Music」も高い評価を得る。結果、彼らは翌2016年1月の「ソウル歌謡大賞」で2年連続人気賞を受賞、「ゴールデンディスク・アワード」でも、本賞、人気賞を受賞し、2017年1月の「ソウル歌謡大賞」「ゴールデンディスク・アワード」でも受賞。SHINeeは2010年代の音楽賞授賞式には欠かせぬ存在となり、人気のバロメーターとなる音楽ランキング番組でも常にトップの座に君臨。前述したように日本でもオリコン・チャート上位の常連として快進撃を続け、日韓両国で唯一無二の輝かしい存在感を今なお放っている。

SHINeeが創り上げたアイデンティティ…走り続ける彼らの魅力を紐解く5曲 ― Vol.2

SHINee、力強いパフォーマンスで新たなイメージを確立!待望される日本への再上陸 ― Vol.3

ライター:きむ・たく

■リリース情報
SHINee 7th Full Album「Don't Call Me」
好評リリース中

UNIVERSAL MUSIC STOREでも販売中
UNIVERSAL MUSIC STOREでしか手に入らない“限定超レアな完全独占ビジュアル”を使用したメンバーソロビジュアルA5クリアファイルの特典をプレゼント

記者 : Kstyle編集部