「マドンナ」シン・スウォン監督“生きることが死ぬことよりつらい人…彼女たちを語りたかった”

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2012年5月頃、イム・サンス監督の映画「蜜の味 テイスト オブ マネー」がカンヌ国際映画祭競争部門に招待され注目を浴びたときだった。イベントの案内チラシに小さい文字で書かれたシン・スウォン監督との名前を見つけ連絡を取ろうとした。出国の日程が合わず会えなかったが、当時彼女が発表した短編「循環線」は批評家週間に招待されカナルプラス賞を取った。

3年後、やっとシン・スウォン監督に会えた。先月16日ソウル三清洞(サムチョンドン)にあるカフェで会うまで、彼女は2本の長編を発表した。「冥王星」(2013)でベルリン映画祭に進出し、2日に韓国で公開された「マドンナ」(2015)で今年カンヌ映画祭の「ある視点部門」に招待された。これほどなら、韓国より世界が先に注目した監督と言えよう。


怪しいある女の過去を追跡する……未婚の母になった工場労働者

彼女は「マドンナ」を通じて女性の人生により集中した。VIP病棟の看護師ヘリム(ソ・ヨンヒ)の目で、正体の分からない未婚の母ミナ(クォン・ソヒョン)の過去を追跡していく。VIP病棟と似合わないみすぼらしい格好の女性が入院することになり、ヘリムは彼女に関心を持って見守ることになる。映画は現在と過去を行き来しながら2人の人物が置かれた状況的悲劇を描いた。

本来シン監督がつけたタイトルは「VIP病棟」だった。偽の診断書を発行し入院しようとする高位公務員およびお金持ちに対する記事を読みながら構想した内容だ。尊厳死のない韓国の現実にも触れようとしたが、いざ書くと面白くなく、詰まる部分もあった。ここにシン・スウォン監督の友人のストーリーを混ぜ、非正規職のの女性労働者の人物を作るようになった。構造だけを見るとふとイ・ゴンヒ会長が連想されたので尋ねると「その方が長期闘病中とのことを知らなかったため、それを念頭において書いたわけではない」と答えながら笑って見せた。

「全身麻痺の患者チョロ(ユ・スンチョル)と、彼の財産を狙う息子のサンウ(キム・ヨンミン)、そして看護師だけでは、ストーリーを引っ張って行く自信がなかった。そんな中、工場に通っていた友人のストーリーを入れたのである。過食症があったが、工場でその友人のあだ名がマドンナだった。あくまでも太ったことからつけられたあだ名だった。韓国女性たちが労働の現場で経験する現実とともに、命に関する話にまで拡張したかった。お金持ちたちが病院で延命するが、実はそれは神様の領域だ。未婚の母の設定もまた、命の尊さに関する話をするために入れた。

男女の平等が実現されたというものの、経済が脆弱すればするほど女性たちは仕事を失う。生きることが死ぬことよりつらい人がいる。また、弱者を抑圧する人たちもそれなりの理屈がある。間違った価値観だが、理解はできる。ある意味では、弱者たちは強者たちの理屈に慣らされたとも言える。女性も同じだ。誰かに依存する存在でないにもかかわらず、伝統的な価値観ではそう受け入れられるようだ。もちろん、この頃強力な消費の主体として女性が浮上しているが、影でどん底の人生を生きるのが女性でもある」


「映画制作のきっかけは、疎外された人たちの話をすること」

本来シン・スウォン監督は映画監督の夢を抱いていた人ではなかった。中学校で世界史を教えていた彼女は、専業作家になるために地道に小説を書いてきた作家だった。もちろん、映像にまったく興味がなかったわけではない。授業のとき彼女は4コマの漫画を簡単なアニメーションで制作し生徒たちを教えたりした。他校の教師が借りるほど、当時は新鮮な教材だったという。

「そのときに映像を扱う楽しさを漠然と感じたと思う。本来は仕事を辞め大学院に進学して作家になりたかったが、授業料が非常に高かった(笑) その後、韓国芸術総合学校の広告を見ることになり、ポートフォリオを出せばある程度サポートを受けられるとのことで小説を出した。幸い許可が出て映像院に入学することになった」

その後、複数の短編とシナリオ作業をしながら実力を積み上げた。もちろん、簡単な道ではなかった。「時々なぜ教師を辞めたんだろうと思った」との、冗談半分で言った言葉に棘があった。国際映画祭で注目を浴びながらも、投資の問題で作品活動が平坦ではなかったためだ。韓国の独立映画、芸術映画が難しいと言われながらも地道に競争力を上げられたのは、シン・スウォン監督のように黙々と自身の世界を描いてきた映画人たちのお陰なのではないだろうか。むしろ、シン・スウォン監督は「それでも私は少なくとも映画祭で選定されたので幸せなケース」としながら話を続けた。

「逆に海外で先に認められ、韓国に知らせられるのは鼓舞的だ。少なくとも次の作品の投資を受けるときに話す材料ができるからだ。ただし、より多彩な独立映画、芸術映画がでる必要がある。韓国は商業映画はよく作るが、独立映画を育てる裾野も拡大する必要がある。私もまた数百万人が見に来る映画を作りたいとは思わない。地道に作品が作られることが好きだ。そうするためにはスタッフや俳優にもお願いすることなく、正当な代価を支払う必要がある。民間の領域では仕方がないとしても、政策的にサポートが必要な時点だ」

中小規模の映画をしながらシン・スウォン監督は一貫した声を出した。「疎外された人たちの話をしたかった」とするシン・スウォン監督は「周りには深刻なものではなく甘いものを書いてみたらと言う人もいるが、依然として他人の暴力でれ何であれ、疎外された人に関心を持つようになる」と説明した。

「とりあえず何でも書く。無理やりにでも何も書かれていないモニターを見ていると、何でも書くようになる。日ごろメモをたくさんするが、その中から映画にできそうと思われたらシノプシス(作品のあらすじ)を書く。シナリオの過程で変わるケースも多い。それでもとりあえず書かなければならない。特定の俳優を念頭において書いたりはしない。完成したストーリーがすでに活動している俳優と似合わなかった場合、新人をキャスティングする。このように無彩色から始まる」

映画のタイトルを見て実際にマドンナが連絡をしてくる変な想像をしてみた。この言葉にシン・スウォン監督も「グーグルで自身の名前を検索してみると検索されるはずなので」としながら大きく笑った。この後はまたどのような作品で世の中を驚かすのだろうか。彼女のノートに書かれた数多くのストーリーの中のひとつになるだろう。

記者 : イ・ソンピル、写真 : イ・ジョンミン