【映画レビュー】「結婚前夜」男の偏った基準に閉じ込められた女性たち

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写真=SOOFILM
結婚は人生最大の冒険に違いない。恋愛と結婚は確かに違う。今自分のそばにいる恋人は24時間一緒にいる訳ではないため、一生を共に過ごす人生のパートナーとして相応しいかどうか、どうしても疑問が生じてしまう。

物であれば返品も可能だが、自分が思い描いた結婚相手がその人でなかった場合、返品はできない。では、一体どうすればいいだろうか。現在の恋人が真の人生のパートナーなのだろうかという疑問が“マリッジブルー”と呼ばれる結婚前の不安として表れる。しかし、もし未来を知ることができ、それから結婚することができれば、当然マリッジブルーは生じないだろうが、それは推理小説の結果を全て知ってから読むことと同じくらい気の抜けた炭酸飲料のような結婚生活になるだろうからそれも楽しくない。

映画「結婚前夜」は、結婚前の神経症、マリッジブルーを抱える男女4人の複雑な心理を描いた映画だ。この映画で注目される点は、4人の男女の複雑に入り組んだラブコメディではなく、誰かの勝手な基準で規定されてしまった女性たちの話である。

花屋の社長ゴンホ(マ・ドンソク)は、前世で国を救ったような幸運な男性だ。ウクライナから来た絶世の美女ビッキー(クジャル)と結婚予定であるからだ。しかし、美しい彼女と結婚するゴンホの悩みは別にある。ビッキーが本当にゴンホを心から愛し、結婚するのかが分からないことだ。ゴンホはビッキーが本当に彼を愛し、母国から遠く離れた極東アジアの韓国で結婚するのか、それとも永住権取得のために自分と結婚するのか、確信が持てない。

クラブ通いに明け暮れていたイラ(コ・ジュニ)は、一夜を共にした男性との間に子供ができてしまう。大急ぎで結婚することになったが、問題はイラの父親が宗教家であることだ。結婚前の純潔を誓った目に入れても痛くない娘のイラが、クラブ通いに明け暮れていた上、結婚前に子供までできてしまうとは夢にも思っていなかった父親だ。

テギュ(キム・ガンウ)とジュヨン(キム・ヒョジン)は、初恋同士で結婚する幸運なカップルだ。しかし、テギュが激怒する事件が発生する。それは結婚相手のジュヨンが他の男と寝た過去が明らかになったためだ。演劇「クローザー - CLOSER」でラリーがアンナに「僕より上手い?」と追及するように、テギュはジュヨンに「その男と同じ布団に寝てみて良かったか」としつこく問い詰める。それも、ジュヨンの職場である診療所にまで押しかけてである。

ゴンホとイラの父親、そしてテギュの3人の男性には共通点がある。自分の物差しで自分の彼女や娘を見ていることだ。

イラの父親は純潔主義にこだわり、自分の娘がクラブに頻繁に通っていることや派手な服を好むこと、そして男と寝た事実を信じられない。彼は自分の宗教観を娘も受け入れ、結婚前の純潔を守ると信じて疑わず、男性の目の保養になるような派手な服には見向きもしないと信じている。自分だけの厳格な基準を通して娘を見た結果、彼は自分が信じたいことだけを真実だと受け入れ、自身の信念に反することは信じないという偏った考えを持つようになる。

ゴンホの問題は疑心暗鬼だ。2人の間には特に問題が無いにもかかわらず、ビッキーが韓国で永住権を得るため自分に計画的に接近したのではないかと疑っているためだ。

テギュは利己的な愛を見せる。妻となる女性の過去を問題にしているが、テギュ自身も“少し遊んだ”過去がある。しかしテギュは自分の過去は問題とは思わず、妻となる女性に過去があるという理由だけで激怒し、婚約破棄を叫ぶ。彼の基準こそ男性の俗物主義を赤裸々に反映したものではないだろうか。

このような観点から見て、映画「結婚前夜」はマリッジブルーという結婚前の神経症に関する映画である前に、人間の偏った基準を明かした映画として見ることができる。また、女性たちがこのような男性中心的なイデオロギーと男性中心の偏った視点から抜け出し、主体性を確立していく過程を見ることができる映画でもある。愛する人が本当に自分の一生のパートナーなのかを問う前に、自分が勝手に決めた基準に結婚相手が合うか合わないかを突きつけていないかを問う映画。それが「結婚前夜」である。

記者 : パク・ジョンファン