「テロ,ライブ」人生の意味を取り戻すためにリセットボタンを押しますか?

OhmyStar |

※この記事には映画「テロ,ライブ」の結末に関する内容が含まれています。
写真=ロッテエンターテインメント

恐怖と信頼を失った者の選択

映画「テロ,ライブ」は、終始恐怖と信頼で武装したキャラクターがぶつかる内容だ。ラジオ番組に左遷された国民的アナウンサーユン・ヨンファ(ハ・ジョンウ)は、生放送中に「今から漢江(ハンガン)の橋を爆発する」という脅迫電話を受ける。これを悪戯電話だと思い、電話を切った瞬間、麻浦(マポ)大橋が爆発する。報道局長はユン・ヨンファに深夜ニュースに復帰させるという条件のもと、これを通報しないことを指示する。そして、ユン・ヨンファはテロ犯との通話を独占生中継する。

この映画のもっとも大きな象徴は、ユン・ヨンファの耳に付いたイヤホンだ。終始彼の耳に付いたまま、彼の全ての行動を制御している。そうだ。我々はみんな、耳にユン・ヨンファのイヤホンをつけたまま生きている。餓死するかもしれないとの“恐怖”、また別の意味ではイヤホンが正常に動作する時に与えられる“甘い信頼”(肯定、希望)のため、我々はいつも決定的な瞬間に選択することができずに、一生誰かにひざまずき、与えられながら生きている。

我々の大半は、たった一日の給料日のために1ヶ月間を犠牲にする。1ヶ月間が30日だとすると、29日間は誰かの奴隷となり、給料日の1日だけは誰かを奴隷にすることができる。ハ・ジョンウのイヤホンが与える恐怖が支配する日常。そして、その恐怖に29日間黙々と耐えたときに、誰かを合法的に踏みにじり、利用できる1日の快楽を確実に味わうことができるという最小限の甘い信頼、そして、30年間を耐えて一生懸命に働けば、いつかは幸せな日が訪れ、少なくとも一生懸命に努力した30年間の辛い労働からしばらく休めるという甘い信頼。このような恐怖と信頼を動力にして、今この世界は回っている。

それでは、二つの要因がいずれもない人は?ポジティブな人は「自己実現型」「芸術追求型」人間になり、ネガティブな人は自殺や復讐、またはテロのような、既存の人生を清算する“一つの意味”のみを持つ人間になる。


人生の意味を取り戻すためにリセットボタンを押すのか

ハ・ジョンウはプロデューサーを騙し、局長はハ・ジョンウを騙す。放送局は高い視聴率を念頭に置いて、巨額の交渉金を何の迷いも無く迅速に送金する矛盾を見せ(果たして、恵まれない人のための募金放送にこれほど迅速に制作支援金を送るかどうかを考えてほしい)、政府は市民の安全を優先するとしながらも、どうすれば大統領を掲げずに武装鎮圧できるかと絶えず名分探しにだけ没頭する。

そんな中、大統領に媚びるために限りない忠誠心で悪役を名乗った警察庁長官も登場する。(彼は放送でも普段の態度を捨てられず、テロ犯と交渉するどころか本人の地位を振りかざし周囲の人々を振り回す)しかし、方法が正しくても正しくなくても、少なくとも彼らにはここから更に落ちるわけにはいかないという恐怖と、仕事が上手く終わったときの甘い信頼が共存している。

しかし、テロ犯は大統領から得られる一つにしか意味を持たない人間だ。映画の人物は、「これ以上失うことがない」という思いからすでに恐怖心を失ったとき、更には信頼さえも無くなり人生を終える一つの意味しか残ってないときに表れかねないキャラクターを表現した。

「肯定せよ!肯定せよ!自身の人生を肯定せよ!」と絶えず肯定を仰ぐ自己啓発コーチの下で一生懸命に肯定を叫んでいたら、結局富と栄誉を手にしたのは会員ではなく、自己啓発コーチとその会社の幹部だったという驚きの事実を、肯定人生30年目にして、結局事件に至ってやっと気付く映画の中の人物。(ネタバレになるので明かしません)

このような人が実際に現実に登場し、本当にボタン一つで全てをぶっ飛ばしたり、それとも通り魔殺人などで鬱憤を晴らすことになったら、我々はどうすべきだろうか。いや、質問を変えたほうが良さそうだ。このような人が実際に現実に現れなくするためにはどうするべきだろうか。

映画は、観客に最後のメッセージを残してから終わる。ユン・ヨンファからも恐怖と信頼を奪ったのである。イヤホンと死という恐怖を奪い、昇進できるという信頼と、彼の別れた妻と再び幸せに暮らせるという信頼を奪った。いつも低い姿勢で公正に報道するとしていた若い頃にアナウンサーとして言っていた締めのコメントは、最後の瞬間、彼の目の中にオーバーラップされたはずで、今まで恐怖と信頼の中に閉じ込められていた純粋だった自我をくすぐっただろう。

そして、その一言のコメントに依存しているであろう誰かに、プロデューサーを騙す時とは真逆に、心から申し訳ない気持ちを感じた彼は、最後に自己実現型人間と一つの意味だけを持つ人間としての分かれ道で選択することになる。

あなたなら、どうするだろうか。存在するそのままの本当の自我と共に消極的であれ、積極的であれ、それでも世の中の進歩のために一つずつ改善していくのか、それとも全く新しいスタートのためには何もかも新しく始めなければならない“リセット主義”(社会で誠実に働く小市民も、映画に出てくるテロ犯も、公正な社会を夢見るのは全く同じなのかも知れない)で、人生の最後の意味を探すのか。

ハ・ジョンウは選択をしたが、それが必ずしも正解というわけではない。この映画で評価したいのは、少なくとも今の世の中にタイムリーな質問を投げかけたためだ。国家は日々豊かになる一方で、恐怖と信頼が底を突いた人々が増え続け、そして、その誰かが人生の最後の意味としてリセットボタンを押そうするのであれば、「今我々はどうするべきか」という質問だ。

記者 : キム・ハンオル