【コラム】2NE1のCLへのお便り ― チャン・ウチョル

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「悪い子」のミュージックビデオの再生数が何回なのか数えきれないほどだ。「オンニヤ~(お姉さん)」という部分が口慣れしてしまいそうなほど、事務所の広報資料通り、果たしてハマってしまうのか……。むしろ、この一曲だけを聞きすぎて飽きてしまうのではないかと思い、他の曲も少しずつ混ぜている。アジーリア・バンクスやエイサップ・ロッキーやニッキー・ミナージュのような、つまり、周りで「悪い子」の話をしていると一度くらいは口にしたことのあるアーティストたちだ。このように一緒に並べて聞いて、改めて見てみると面白い。2NE1のCLが今、何をやらかしたのか、ピンとくるとでもいおうか?

CLは格好いい女だ。(こんなこと、何度も耳にしているかとは思うけれど、本人もそう思っているのだろうか?)少なくともステージでは、完璧に近い格好いい女を追求していた。何より自信だと思う。自分が今何をやっているの分かっているという人の顔は、似たり寄ったりの同年輩の女性アーティストとは明らかに違うから。努力だけではとうてい不可能なことだ。スキルではなく本能で、“タレント”だから。こんな話も結構耳にしているとは思う。つまりCLは持って生まれた才能があるということ。それ、信じてもいいですよ。感じたままに話していることなので。(本音は分からない。分かることもできないし、分からなくてもいい)それに、見えているほど、見えている以上に領域表示が明らかなので、CLには称賛を惜しむ必要がない。

そういえば、皆で一つのステージを作る時も、CLはCLならではの集中力を引き出していた。どれだけ絢爛なカラーが飛び交おうとも、最終的には一つを選び出すことができるという、理屈的にそういうことだっただろう。そんなCLのソロだなんて、胸を躍らせていたのは、ヤン・ヒョンソク代表だけではなかったはずだ。冒頭でも言ったように、他の色んな歌と一緒に「悪い子」を聞いていると、余計明らかに感じられてくる。CLの野望が、鋭利な衝動が、燃え上がる情熱が。

聞けば聞くほど、「悪い子」への拍手が恥ずかしくなくなる。この曲が、他のどの曲よりどれほど良いのかどうかはこれからも聞きながら考えてみるが、少なくともこの曲が、他のどの曲よりも前進しようとし、結局それだけ何かを開拓した点は、眩しいくらい明らかである。それは最もCLらしいといえる。「オンニヤ~」とガンガン響くビート。これは、本当に大物だ。

かと思えば、疑問に思う部分もあるが。折悪くも大衆性という問題、そして真のクールさという問題だ。何かを開拓した曲だと、格好いいと褒め称えている次第だが、“もっと、もっと、もっと”と叫びたい気持ちを、走る馬に鞭と思って聞いてもらいたい。

大衆性と言えば、どこか“妥協”を前提としているように聞こえるだろう。どこか更に突き出すことができるのに、一定の線に合わせている。大衆を相手とするマーケティングの純理だろうが、CLならば大胆に吹っ切ることもできるのではなかったか、ということだ。あの彼方高い所へ向かうアーティストならではの特権として。ジャンルの枠としては“トラップ”を行き来しているだけでなく、わざわざ「悪い子」というタイトルを抱えているのに、どこか消極的で物足りない感じもする。一定のラインで待ったをかけたとでもいおうか?“あの野郎”と叫び喚いたBIGBANGのG-DRAGONの凄まじい一発が既にあったからなのか?「悪い子」の英語タイトルが、5文字のあの単語ではないとしても、「THE BADDEST FEMALE」とは……。さらに、歌詞をもう少し緻密にしていたらどうだったであろうか。「目で笑うのは基本、私の涙は武器」などは、どう考えても「悪い子」の台詞には聞こえないので。

また、クールさという問題。ミュージックビデオを見てみよう。まずそこには、お金を大量に投下した痕跡が顕になっている。ラグビーボール一つ、ただ床に転がるものは使っていない。そのような“完璧な”ビジュアルを追求する傾向は、これまで2NE1が披露してきたもの、もしくはYGエンターテインメント(以下「YG」)のカラーといってもいいだろう。(韓国でこれほどのクオリティとは大したものだと、作った方も見る方もレッテルを貼っている)しかし、それはそれほど固守すべきものなのだろうか?CLが歌う「悪い子」のような歌ならば、むしろそこから脱して流れるように新しくすることもできるのではないか。“ブランド物をリフォームしてでも”違う一面を見せようとすること、普通のTシャツ1枚、ビキニ1着が与えるエネルギーをCLが丸ごと自分のものにすることで違う一面を見せようとしたようだが、それは少し見慣れている。

まるでアーティストが幼い頃に暮らしていた所というニュアンスを匂わせる昔の町のイメージは、そちら方面のミュージックビデオでよく見られる設定だ。最近もソランジュの「Losing You」やエイサップ・ロッキーの「Wild For the Night」のようなミュージックビデオが思い浮かぶ。一定の“ドキュメンタリー”的な属性を見せようという考えだが、「悪い子」後半のシーンはセットという限界があまりにも赤裸々だったので、こちらが当惑してしまった。一番クールだとされるCLが、クールさという罠にハマらないように!祈りたい。

行き過ぎだと言われて、そうなのかとそれに合わせようとせず、洗練されすぎて大衆には通じないだろうという言葉にも、反対に自分を投げ構図を確立してしまう、そんなアーティストであって欲しい。むやみな期待ではなく、CLがこれまで見せてくれたものから自ずとできた信頼である。アーティストが何かに合わせなければならないのならば、それは自分との厳しい戦いに向けての挑戦でしかないのではないだろうか?

うむ、頑張れという話にしては、多少酷に聞こえたかもしれない。釜山(プサン)で“Bombino Records”という素敵なレコードショップを運営しながら「BASSMENT」という素敵なイベントも開くボン・ブエノ(VON BUENO)さんは、「悪い子」についてこう言った。「僕がYGなら、この歌をAmon Tobin(アモン・トビン)、DJ/rupture、Dub Boyにリミックスさせて、12インチのレコードにし、半分は売って半分は世界のDJにプロモーションする」と。こういう話はどうだろうか?音楽配信ランキング“総なめ”とはまた違うクールさがありそうではないか?何より、面白そうだ。

ここはソウルで、ある程度の限界とはいつもぶつかる問題である。でも、「ここでこの程度なら、それなりに頑張った」に決して留まらないで欲しい。通じる人同士、お互いに信頼し合い影響を与えたり受けたりしながら、自分も知らないうちに変身していき、勝ち得ていく。さあ、それでは、「悪い子」のステージを拝見する出番だ。いつものように、やりたい放題に!勝手に!心行くままに!そして、良い詩集をいつも近くに置くように。

文:コラムニスト チャン・ウチョル

「NAVERコラム - チャン・ウチョル編 -」では、今話題の人物にクローズアップし、コラムニストのチャン・ウチョル氏が執筆。韓国で注目が集まっている人物や出来事についてお届けします。

記者 : チャン・ウチョル