【コラム】神話からSHINeeまで…コラムニスト&評論家たちが語るアイロニー

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SHOW:神話の博物館

「1998年にデビューし、韓国の音楽史に足跡を残した韓国最古のボーイズグループだと考えればいいね」tvN「SNL KOREA」の「博物館は生きている」で先生がアイドル博物館に展示されている“神話(SHINHWA)人形”を見てこう話す。本当だ。彼らは確かに足跡を残した。最近のアイドルグループの集団ダンスは1999年「T.O.P.」で完成し、個人活動でグループの人気を高め、バラエティ番組で壊れることを恐れなかった最初のアイドルだった。しかし、子どもたちはこの物凄いグループを知らない。神話の平均身長が低いのは、戦争の時ろくに食べ物を食べられなかったためだと思っている。神話に熱狂するのは先生だ。しかし、先生は神話の凄さをあえて説明しない。その代わりにボタンを押して、アンディ人形にはハートダンスを、チョンジンには彼のヒット曲「Wa」の「こっちへ来て/来てくれ/baby」を歌わせる。そして子どもたちに分かりやすく説明をする。「(チョンジンは)女子世界ボクシングチャンピオンの元彼」だったと。

tvN「SNL KOREA」は放送中に神話の歴史を笑いものにした。エリックは初々しかった時代「Yo!」のミュージックビデオで格好良く活躍していた学校でパンシャトル(代わりにパンを買ってくる使いを意味するネット上の新造語)になる。また、制作陣は彼らを“私生ファン(サセンペン:芸能人の私生活まで追いかけるファン)提供サービス”が必要な引退したアイドルだとからかう。しかし、この全てが神話のパワーだ。視聴者たちは並大抵のからかいは全部知っている。からかっても活動に支障をきたすことはない。今も現役であるため引退後を準備しなさいという冗談もできる。そして、今も「SNL KOREA」史上“最高の競争率”を勝ち抜いて観客になったファンたちの歓声の中で笑わせることができる。エリックがデビュー初期の衣装を着てファンたちと一緒に自身のラップを歌い、「それより上手くできる」とラップを披露する後輩アイドルパク・ジェボムとラップバトルをするのは神話に対する賛辞のようなものだ。デビュー15年、平均年齢30代半ばのアイドルグループが団体で「SNL KOREA」に出演して、グループの歴史だけで1時間が過ぎた。「SNL KOREA」でドンワンは「アイドルとしての生活は短かったが、人生は長い」と話した。しかし、神話にとってアイドルとしての生活は人生ほど長い。本当だ。神話は生きている。/文:カン・ミョンソク(ウェブマガジン「ize」の編集長)


DRAMA:「九家の書」の怪物が人間に投げかける質問

怪物に対する問いは、つまり人間に対する問いでもある。怪物とは人間の恐怖、不安、欲望などが投射され作られた他者であるためだ。MBC「九家の書」は、人間と神獣の血を半分ずつ受け継いだ半人半獣のチェ・ガンチ(イ・スンギ)を通じて、怪物と人間の境界について問いかけるドラマだ。第7話で神獣であることに気付いたチェ・ガンチが水に映った自身の姿を眺めるシーンでは、その問いに対する省察を表している。彼が自らを怪物と思うようになったのは、水に映った緑色の目のように、普通の人間とは違う外見に対する恐怖からだった。つまり、怪物は“違い”を“非正常”とした時、言い換えればその“正常”から排除された時に誕生する。チェ・ガンチの母親ユン・ソファ(イ・ヨニ)が神獣の本能を表したク・ウォルリョン(チェ・ジニョク)の姿に怖さや嫌悪感を覚え、彼を“怪物”と呼んだ瞬間、彼が怪物になってしまったように。

また、このシーンでチェ・ガンチが座っていた場所は彼の両親が愛を交わし、彼が誕生した場所だ。つまり「九家の書」で怪物というのは生まれにも絡む。神獣の血を受け継いだため怪物扱いされるチェ・ガンチは、人間社会でも卑しい存在として蔑まれる身分だった。人間の価値が出生によって決まる厳しい身分制の社会において、人間として扱ってくれない低い身分の者たちは怪物と同然の存在でもあったのだ。そういった意味で怪物は差別される社会的な“弱者”に対する隠喩として広まっていく。この作品に“謀反”のモチーフが絶えず登場するのは、そのように差別と抑圧によって維持される身分制秩序に対する不安と恐怖が反映された結果と言える。そして、このドラマは問いかける。怪物という存在が、人間が作り出した他者であるなら、怪物と人間を分ける境界も実は虚構ではないかと。そのため、その境界に立っている半人半獣のチェ・ガンチが自ら「怪物か人間か」と自問することは重要である。なぜなら、そのような問いそのものが人間を人間らしくする力であるからだ。/文:キム・ソニョン(TV評論家)


STAGE:SHINeeはなぜそこまで真剣なのか

SHINeeの新曲「Why So Serious?」はなかなかアイロニーな質問だ。恋に落ちるゾンビというコンセプトからして、単純ではないこの曲には勢いで容易に作られた所がない。SHINeeはこの曲でダイナミックに以前とは全く異なる雰囲気を演出する。彼らはゾンビの歩き方を真似し、びっくりする表情さえもダンスで表現し、ミュージカルのワンシーンのようなストーリーを見せる。しかも、歌謡曲の進行方向と違うこの曲は、記憶に残るクライマックスを作る代わりに、ポイントを並べる形で楽曲の緊張を醸し出す。それぞれ異なる雰囲気のくだりを歌っていたメンバーたちは高音部でハモり曲の密度を高める。しかし、それはハーモニーではなく迫力を作る。高音のアドリブでクライマックスを担当していたメインボーカルジョンヒョンが活動していないにもかかわらず、SHINeeのステージに空白が感じられないとしたら、それは空きを感じさせないほどの緻密な計画と企画があったからだろう。

しかし、生憎にもSHINeeが究極的に描きたいイメージは緻密に構成されたアイドルダンスグループではないようだ。オンユの歌声が優しく曲を包んでいる間、テミンはアグレッシブなボーカルで曲にロックの雰囲気を与える。ロンドン風の衣装だけではなく、ゾンビというアウトサイダーのコードまで「Why So Serious?」はSHINeeの目指している所が異なるバンドであることを公然と暗示している。ひいては「人気歌謡」ではバックバンドまで動員し、ステージ全体の慌ただしさを露出させたりもした。自らギターを弾いたり、強烈なリフレイン(繰り返し)がなくてもSHINeeのステージではダンスグループにはないような一種の活気があり、これはSMエンターテインメントが長い間追求してきたアイドルシステムにロックを移植する実験の一歩進んだ結果物のように見える。そして“よろよろ歩く”それなりの方法を発見した異種交配のアイドルには、この瞬間は達成ではなく、チャレンジの序幕になるだろう。/文:ユン・ヒソン(大衆文化評論家)

記者 : カン・ミョンソク、キム・ソニョン、ユン・ヒソン