「神々の晩餐」神々は“悪行”だけを偏食する?

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アイデンティティを取り巻く葛藤は消え、スマートなドラマだけが残った

写真=MBC
「僕が彼女の名前を呼んだ時/彼女は僕のもとへ来て花になった」(キム・チュンス―花)

ラブレターに似合いそうなこの詩は、実は“名前を呼ぶ行為”そのものに盛り込まれた象徴について語っている。ある対象に名前を付けることで、私たちはその対象を認識し、対象のアイデンティティはその名前に定義される。記号学で“signifiant(シニフィアン=記号表現・意味するもの)とシニフィエ(signifie=記号内容・意味されるもの)の関係は思いつき”としてあるのも、これと特に変わらない意味を持っている。

そこで、MBC「神々の晩餐」に初めて接した時に、興味を感じた。あらゆる出生の秘密が絡みあっているこのドラマは、結局“ハ・インジュという名前を巡る戦い”と判断することが出来るからだ。本来はソン・ヨヌである、偽のハ・インジュ(ソ・ヒョンジン)は、自分が本当のハ・インジュとして選ばれた瞬間から、名前にふさわしいアイデンティティを持つために努力する。

踊って楽しむことが好きな、本来の自我を抑えるのもその一環だ。長い伝統を誇るレストラン「アリラン」の後継者“真のハ・インジュ”になるためだ。そのため、ドラマの序盤に彼女がクラブで出会ったキム・ドユン(イ・サンウ)に「大韓民国のソウルには、27歳のソン・ヨヌという女が生きていたのよ!」と叫ぶシーンは切ないものがあった。ハ・インジュになるために抑えていた元々の自分を、見知らぬ人の前で表現するしかないソン・ヨヌの本音が盛り込まれたシーンだったからだ。


「神々の晩餐」人気はあるが、残念に感じる理由

しかし、回を追うと「神々の晩餐」はつまらないものになった。自我間の衝突を経験する、偽ハ・インジュの内面の葛藤は跡形もなく消え、ただ本当のハ・インジュ(コ・ジュニョン、ソン・ユリ扮)を追い出すため卑怯な手段に走ってばかりになるからだ。人々がよく語る“悪女”のキャラクター、それ以上もそれ以下の役割も果たせていないのだ。悪行を繰り返し、バレたら嘘で逃れようとし、それもままならないと涙で同情を引こうとする、知り尽くされているパターンである。だが実は、この役がそれなりにドラマの中で機能している理由は、安定的な演技をみせる女優ソ・ヒョンジンのためである。

偽ハ・インジュが単面的になり、ドラマも力を失った。全32話のうち第25話まで放送された時点で本当のハ・インジュ、コ・ジュニョンは、ようやく父のハ・ヨンボム(チョン・ドンファン)に実の娘であることを認められた。第26話では、母のソン・ドヒ(チョン・インファ)が記憶を取り戻す内容が放送される予定である。まとめると、これまで出生の“秘密”だけでドラマが展開されてきたも同然だ。その中で、秘密の裏に隠された人物たちの物語には、スポットライトが当てられていなかった。

いっそのこと、出生の秘密は早く打ち明けてしまって、その次の話に移っていたらどうだっただろうか。育てた娘と実の娘を、不本意ながら天秤に掛けるしかなかった夫婦のジレンマ。そして自分の記憶喪失により実の娘が分からなかった母の自責の念。安楽な環境の中でも息を潜めながら暮らすしかなかった偽ハ・インジュの悔恨と、それにも関わらず諦めきれない欲望。「神々の晩餐」は、出生の秘密以外にも語れる話が多かった。残りの分量でこれを全部描くとしても、猛スピードの展開の中にこれらを十分盛り込むことが出来るかは不透明だ。

「絶対善、絶対悪はない、人物が持っているストーリーなど、すべてを存分にお見せしたい」「ただ才能を持たない人が才能を羨ましがったり嫉妬したりするドラマではなく、持ち前の才能の中で目標を持って努力する話を描きたい」。1月に行われた制作発表会で制作陣が明かした抱負である。この抱負を、終盤に差しかかっているドラマで表現できないでいること。これが「神々の晩餐」が大衆の人気を集めているにも関わらず残念な作品として残る理由である。

記者 : イ・ミナ