「泣く男」イ・ジョンボム監督“チャン・ドンゴン&キム・ミニを限界まで追い詰めました”

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4年ぶりの復帰だ。映画「アジョシ」(2010)で620万人の観客動員に成功し、韓国アクション映画の新しい地平を切り開いたイ・ジョンボム監督(43)が「泣く男」(制作:ダイスフィルム)で戻ってきた。

「泣く男」はたった一度のミスで全てを諦めて生きてきた殺し屋ゴン(チャン・ドンゴン)が、組織の最後の命令でターゲットのモギョン(キム・ミニ)と出会い、任務と罪悪感の間で葛藤しながら繰り広げられるストーリーを描いたアクション映画だ。イ監督の専門分野であるノワールは前作より濃くなり、ストーリーもより深くなった。

「ハリウッドもできなかったリアルな銃器アクション…嫌になるほど研究した」

興行の成績表を受け取ったイ監督は「黙々と受け止めている」と伝えた。「泣く男」は今年韓国で公開された青少年観覧不可判定映画の中では最高のオープニングスコアを記録し、健闘しているが、イ監督の前作「アジョシ」との比較は貼られたレッテルのように付きまとっている。

「僕の前作(「アジョシ」)について、観客が思ったより強く意識していました。『アジョシ』は(キム)セロンちゃんを助ける話です。『泣く男』は最初から子供が死にます。この部分を受け入れられない方々もいるようで…重要なのは、『アジョシ』がとても漫画風の映画である一方、『泣く男』は人の内面にこだわった映画です。『男たちの挽歌 - A BETTER TOMORROW』風のノワール映画ではないということです」

写真=CJエンターテインメント
イ監督は「アジョシ」を通じてカリ、アーニスの武術アクションを披露し、韓国アクション映画の新しい地平を切り開いたと評価されている。多くのスタイリッシュなアクション、「アジョシ」流の映画を生み出した張本人でもある。イ監督は前作の栄光を糧に「泣く男」でも身体を主に使うアクションを引き続き披露したくはなかった。ファンの期待に応えるために同じ話を繰り返す過ちは犯さなかった。このような悩みの末に彼が選んだのは他でもなく銃器アクションであった。

「嫌になるほど銃器に関する映像を探して見ました。これまでの映画で表現された銃器アクションは銃が持っている恐怖、凄まじい恐ろしさをそのまま表現することができずにいました。映画で表現された銃ではなく、銃が持っている本当の恐ろしさを表現したかったです。それでこそゴンが殺し屋として持っている精神的な傷が蓋然性を持てると思いました。『泣く男』に出演した外国人の俳優たちも『ハリウッドでもこれほどリアルな銃器アクションは見たことがない』と話していました」

リアルな銃器アクションを披露するために監督と俳優たちはアメリカと韓国の特殊部隊の要員たちを直接取材し、銃を撃つ時の動きまで細かく研究した。チャンミアパートで展開される昼の銃器アクションシーンでゴンが銃弾を回避するために車の内部ではなくタイヤの後ろに隠れる設定も、実際の特殊部隊の要員たちの行動策の一つである。銃弾が車のガラスを貫くことはあっても、車輪を破壊することはできないという。

「もう一回」…チャン・ドンゴン、キム・ミニを最後まで追い詰める

心理の流れが明確に描かれているモギョンと違って、チャン・ドンゴンが演じたゴンは様々な感情の欠片を持つ多層的な人物だ。ゴンがターゲットのモギョンを見つめる複雑で微妙な感情はこの映画を貫く情緒である。映画の最後でチャン・ドンゴンが子供のように悲しく泣くシーンもイ監督が「泣く男」を通じて見せたかったゴンの寂しさを端的に届ける場面だ。色々な意味で、「泣く男」はチャン・ドンゴンにとって挑戦とも言える作品であったはずだ。

「モギョンが観客の共感を得やすい、比較的易しいキャラクターであるなら、ゴンはものすごく繊細な人物です。一部の観客のみなさんが“チャン・ドンゴンが演じる殺し屋”に対するそれなりの理想を持って映画館を訪れたようですが、スタイリッシュなキャラクターではなく重い内面を持つ殺し屋を描いたという点において、僕もチャン・ドンゴンさんも一抹の後悔もありません。これまでチャン・ドンゴンさんの素敵な外見に関心が集まっていたならば、『泣く男』を通じてはチャン・ドンゴンという俳優の新しい顔をお見せしたかったです。エンディングが重要な理由もこのためです。僕が知っている限りでは、チャン・ドンゴンさんがこれまでの作品でこのように子供みたいな泣き方をしたことはありません。チャン・ドンゴンという俳優の中のどんでん返しとも言えましょうか」

チャン・ドンゴンが真っ直ぐなイメージから抜け出し、トラウマ、ジレンマに陥った殺し屋に扮したなら、キム・ミニはすぐにでも崩れ出しそうな危うい女性モギョンを演じた。「火車」(監督:ピョン・ヨンジュ)を通じて一度女優としての可能性を再評価されたキム・ミニは「泣く男」を通じて自身の限界をもう一度乗り越えた。イ監督はキム・ミニについて「年齢に比べ、ものすごい深さを持っている女優だ」と絶賛した。

「キム・ミニさんが、血まみれになったチャンミアパートから素足で歩いて出てくるシーンがありますが、そのシーンの表情の演技が圧巻でした。『泣く男』はモギョンの成長ストーリーを描いた映画でもあります。ゴンの指示通りに動いていたモギョンが結局は自ら銃を持ち、現実と直面します。受身的な人生から逃れようとするモギョンの意志を盛り込んだシーンがそのチャンミアパートのシーンです。キム・ミニさんがすごく上手く演じてくれました。表情一つですべてを物語っていました」

イ監督は俳優たちが「これくらいなら大丈夫」と話す度に「もう一回」と叫んだ。さらには撮影監督が「いいのではないか」と疑問符を付けても最後まで俳優たちを追い詰めた。「大丈夫」と言えるのは、限界以上の演技を披露できるエネルギーが残っているという意味だという。

「俳優たちが話すには、自ら限界を設定して演技をするということでした。その限界を超える演技を引き出すのが監督の役目です。チャン・ドンゴンさん、キム・ミニさんを最後まで追い詰め、僕のせいで二人が大変だったかもしれないのですが、結局は俳優たちも満足できる演技が披露されたというところに達成感を感じています」

ノワール、ヒーリングそして映画監督のジレンマ

イ監督が特にノワールジャンルを愛する理由は何だろうか。イ監督は「ジャンル的な面白みとともに人の暗い面、内面を描くにはノワールほど良いジャンルもない」と伝えた。ただしイ監督がノワール映画を作るにおいて、忘れることなく守ることがあるという。女優を手段として扱わないという原則だ。実際にイ監督の演出デビュー作「熱血男児」のナ・ムニ、「アジョシ」のキム・セロン、「泣く男」のキム・ミニまで。イ監督の映画でヒロインは常に男性を許し、変化させ、慰める人物として描かれた。

「ヒロイン、女優はすごく大切に扱うべきです。一度使ったら使い捨てという態度はノワール映画で特に避けなければならない点です。実は僕は女優がいつも怖かったです。ナ・ムニ先生は母親のように、セロンちゃんは壊れやすい女優のように、キム・ミニさんは別れた恋人あるいは前妻のように慎重にまた慎重に接しました」

イ監督は次回作として高校生を慰められるヒーリングムービーを作りたいと伝えた。「ワンテンポ休みたいです。血と刀が飛び交う映画から少しは抜け出したいとも思います。高校生を商業的に利用する映画ではなく、心より慰める映画を作りたいです。僕も学生時代は悪いことをたくさんしました。ダンスを踊って、歌を歌って、コンビニでアルバイトをする人生も“大丈夫”と慰めの手を差し伸べてあげたいです」

最後にイ監督は監督としてのジレンマについて打ち明けた。忠武路(チュンムロ、韓国の映画中心街)で監督として生きるということについてイ監督は「果てしない誘惑に揺れること」と語った。お金と華やかな芸能界の生き方に酔い、道に迷って一瞬にして奈落に落ちかねないのが映画監督の人生だという。

「見栄を張ったり、誘惑に悩まされやすいのが映画監督です。そのような誘惑に惑わされず、しっかりしていないといけません。もう一つの悩みは、なぜ良い映画を作る方々はいつも貧しいのだろうかという点です。韓国の観客は韓国映画が海外の映画祭で注目されていないと愚痴をこぼしますが、自らが良い映画から目を背けたことはないか聞いてみたいです」

記者 : キム・スジョン、写真 : イ・ソンファ