【ドラマレビュー】「清潭洞アリス」白馬の王子様は“3放世代”に有効か?見飽きた形式と内容

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写真=SBS

こんなタイプの“白馬の王子様”の設定は新鮮

「清潭洞(チョンダムドン)アリス」には、ロマンスを主張する他のドラマとは差別化される点が一つある。主人公チャ・スンジョ(パク・シフ)が、ドラマの笑いの7割以上を担当しているのだ。主人公たちの笑いは、ロマンスの甘さを減らし、ドラマを軽くするとでも思われていたのだろうか。コメディでない以上、笑いを担当するのはほとんどが主人公の周辺人物だった。

彼は世の中の価値をただ“お金”でだけ判断し、貧しい人からは絶対“眼識”は期待できないという、生まれながらの“貴族論”を掲げる典型的な俗物ではない。これまでの白馬の王子様が持つ威厳も持っていない。行動も偽悪的だが、視聴者は彼の本音が分かるので愛おしく思う。

高慢な口調で激しい訛りを隠し、他人に見られないところではおかしな仕草をすることをはばからず、偉人たちの名言を唱えながら自分に陶酔して生きる男性主人公、これ以上になく軽いけれど、愛おしい。冷酷なように装っているが根は優しいという、ありきたりな設定からもう一歩踏み込んだパターンだ。

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“3放世代”を取り上げているが、結局は“シンデレラもの”

しかし、いざ恋愛と結婚、出産を諦めた“3放世代(お金がなく恋愛、結婚、出産の3つを放棄した世代)”の目に、このドラマはどのような意味として映るのだろうか。例にない不況の中で暗鬱な未来を目の前にした若い世代に、このドラマが慰めとなるだろうか。何一つ持ち合わせていない“3放世代”が、果たして共感の涙を流すことができるだろうか。彼らにもっとも重要なのは、愛だろうか、それとも生き残ることだろうか。

トレンディな流行りの言葉が飛び交っているだけで、ハン・セギョン(ムン・グニョン)の置かれた現実は、その他のシンデレラもののヒロインのそれとまったく変わらない。彼女が「愛はある」ということを信じている稀な人だということを知った瞬間、心が動く男性主人公の設定も、差別性がないのは同じだ。

最初から白馬の王子様とかわいそうな貧乏娘の物語だったなら、かえって良かったかもしれない。漠然とかわいそうなヒロインでなく“3放世代”を語っているのだから、そこに属しているが何一つ持ち合わせていない人たちは、反対に剥奪感を覚える可能性もある。“自分”を指しているのに“自分の話”でないからだ。

社会の不平等構造、表面的な上流社会などを痛烈に皮肉る方法も、もはや新鮮ではない。お金持ちは大抵浅はかで、貧しい人は一般的に正義に満ちているという二分法、それぞれで自我陶酔に陥り、お互いに憎悪または軽蔑するシーンも同じだ。

ハン・セギョンが忘れていた価値を取り戻す設定、それがチャ・スンジョを通じてでなければいいと思う。自分が属する階層でないところに入って幻滅を感じ、持っているものの大切さに気づくというありきたりの設定でないように。「苦しいから“3放世代”」に留まるのではなく、彼らの置かれた現実を確実に描くドラマになってほしい。

記者 : ハン・ギョンヒ