CROSS GENE タクヤ「韓国に来てから積極的に…自分の意見を言わないと損します」

OSEN |

すらりとした高身長に優しい口調。JTBC「アブノーマル会談」で活躍しているCROSS GENEのタクヤは、韓国人にお馴染みのこれまでの日本のスターたちとは少しイメージが異なる。

「アブノーマル会談」での彼の役割は、韓国人が抱く日本のイメージとはさらに違う。世界11ヶ国の“非首脳(非正常)”たちが集まり会談を行う同番組で、彼はMCがよく見えない隅の席で、MCたちが発言権を与えた時だけ慎重に口を開く。歴史問題に触れた“大陸の男”張玉安の言及などに非常に当惑しながらも、3回に1回ほどは言いたいことを言う彼の姿は、この“気の強い”外国人の会談で特に際立つ。

彼は日本の大手芸能プロダクション・アミューズがグローバル企画として準備したアイドルグループCROSS GENEのメンバーで、韓国での生活はもう3年目になる。特有のアクセントは残っているものの、どんな言葉でも思い出す時に一度も躊躇せず、記者の早口を全て聞き取る彼は、番組の中で見せたやや消極的な姿より遥かにスマートに見えた。韓国の女性と付き合うには愛情表現が大変そうだと言うが、一言一言話していく彼の口調は韓国の女性よりも愛嬌があったため、おのずと笑いが出た。

―近頃、とても反応がいいでしょう?

タクヤ:カフェに行ったらよく気付かれます。このように一人でインタビューもするようになったし。CROSS GENEのファンカフェ(コミュニティサイト)に「アブノーマル会談」を見て加入したという書き込みもありました。

―実は最初から存在感があったわけではないですよね(笑) いつ反応が変わったと実感しましたか?

タクヤ:自分で言うのも何ですが、ずっと大人しくしていた僕が「アブノーマル会議」第4回の時、日本語で攻撃した時がありました。その時、印象深く見てくださった方がいたと思います。

―その通りです。番組を見ると恥ずかしがり屋だし、庇護欲を掻き立てる気弱な一面もあります。

タクヤ:僕は少し消極的で静かな性格です。前に出て何かをするタイプではありませんでした。日本では特にそうでした。優しい人。

―優しかったんですか?(笑)

タクヤ:はい(笑) 韓国に来てから、もっと積極的になりました。韓国の人たちははっきりとものを言いますよね。自分の意見をはっきり言わないと結構損します。

―メニューを決める時とか。

タクヤ:はい! ご飯、何食べる?と言われた時「あの……うーん……」と考えていると、早く決めなさいとせかされます。そういう経験をしながら、僕もずいぶん変わりました。

―日本での生活はいかがでしたか? 東京出身ですか?

タクヤ:いいえ。東京から地下鉄で2時間ほど離れた茨城出身です。田舎に近かったです。高校を卒業するまではずっとそこで育ちました。芸能活動を並行することになって、東京に通っていましたが。

―芸能活動を始めたきっかけは?

タクヤ:アミューズは非常に大きな事務所です。オーディションも多いのですが、その中にイケメンオーディション(ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト)がありました(笑)

―どうして笑うんですか(笑)

タクヤ:恥ずかしくて(笑) その時、1万5千人の応募がありました。書類審査や面接、雑誌の読者人気投票を経て、僕は最終選考会まで進みました。

―学校ではずいぶん人気者だったでしょう。

タクヤ:友達が申し込んでくれたんですが、偶然そうなりました。ただ…… 学園祭の時に学年一のイケメンを選ぶのですが、3年生の時に1位になりましたね。最初から芸能人になりたかったわけではありませんが、オーディションを受けながら写真を撮られるのが面白いと思ったんです。その時から、この仕事を考えるようになりました。

―卒業後、上京して日本で芸能人になることもできたのに、どうして韓国に来ることになったのですか?

タクヤ:その時は先が見えませんでした。いつ頂上に登ることができるのだろうかと悩みました。何か変えたいと思っていた時にK-POPブームが起きました。東方神起さん、KARAさんのような方を見ると、とてもカッコ良かったんです。クオリティも高いし、アーティスト性も高くて。ああいうふうになれるならどれだけいいだろうかと思いました。そんな時ちょうど、事務所が韓国で活動するグループを作ると言ったのです。何人かの人に提案していましたが、僕は積極的に取り組みました。

―ああ、選出されたわけじゃないんですね。

タクヤ:そうです。僕が志願したのです。その時は19歳でしたが、母が家から遠くに離れることを反対するだろうと思って、後から話しました。

―韓国での生活はかなり大変だったと思います。街路樹通り(カロスキル)の隣の事務室の地下に練習室があったそうですが。

タクヤ:はい、初めて来た時は事務所が考試院(ワンルーム)を取ってくれました。新沙(シンサ)駅にある考試院でした。そこと練習室だけ行き来していました。ソウルに友達が全くいない状態だったので、メンバーたちと事務所のお姉さん、先輩たちが唯一の知り合いでした。それでも韓国語の勉強をしたり、歌や踊りの練習をしたりしていると、忙しくてストレスが溜まる余裕もありませんでした。

―それでも荷物をまとめて帰ろうと思ったことはありませんか?

タクヤ:荷物をまとめたことはありませんが、北朝鮮からミサイルが飛んでくるというニュースを見て日本に帰り、1週間で戻ったことがあります。ただ休んだわけですね(笑)

―食べ物も結構違うと思います。

タクヤ:辛いものが多いですが、お米があるじゃないですか。スーパーで食材を買うのが僕の仕事です。グループの2番目なのに、僕が米を洗ったりご飯を作ったりしていました(笑) 時間があれば漢江(ハンガン)に行って運動したり、映画を見たり、買い物したり、バスケットボールもよくしています。

―そういえば、身長がかなり高いです。

タクヤ:188cmです。幼い頃に野球をしていたので、体を動かすのが好きです。

―デビューする時はとても話題になりました。でも、それほどすぐに反応があったわけではありませんでしたよね。韓国に来たことを後悔したことはありませんか?

タクヤ:韓国で活動してからすぐに日本に行ったので残念でした。それでもうまくいかなかったというよりは、海外での活動を両立していると思いました。

―日本での方が人気が高いと思います。タクヤさんがメインに立つためでしょうか?(笑)

タクヤ:それは違います(笑)

―実際、韓国語が得意な日本人は他の国に比べて多いでしょう。「アブノーマル会談」にはどういうふうに抜擢されましたか?

タクヤ:打ち合わせがたくさんあったと聞きました。でも、僕のことをほんの少し、よく見てくださったんだと思います(笑) 初めて収録した時に面白いとは思いましたが、バラエティが初めてだったので、実際に番組がどういう風になるのか全く分かりませんでした。今も勉強しています。言葉もかなり話せるようになりました。

―皆、実力がすごいですからね。

タクヤ:はい。僕にはテーマも難しかったです。結婚とか、同棲とか。僕が経験したことのない話が出たら、予め勉強したりします。韓国語もたくさん勉強しています。韓国語能力試験がありますが、タイラーが6級、ジュリアンが5級です。僕は2級(笑) 以前取ったものなので、今テストを受けたらもっと高い級が取れると思います。以前よりもかなり実力がつきました。

―普通外国語は恋愛しながら学ぶものじゃないですか? 恋愛をしたんでしょう?

タクヤ:いいえ、彼女から教えてもらうと、口調が女性らしくなります。僕は女性らしくないでしょう?

―それほど男性らしくもないのですが(笑)

タクヤ:そうですか? 僕は先生に教えてもらいました。読み書きから始めて、文法、会話を学びました。

―学生時代の成績は良かったですか?

タクヤ:いいえ、勉強は嫌いでした。韓国に来て生涯で一番たくさん勉強しています(笑)

―間違った韓国語を使ったことはありませんか?

タクヤ:間違えたことはあまりありませんが、使ってはならない言葉を使って叱られたことはあります。ただとてもおいしいと強調しただけなのに悪口だと言われました(笑) 事務所の姉さんに散々叱られました。

―韓国の女性はかなり怖いですか?(笑)

タクヤ:女性の方だけでなく、男性も言葉が強くて口調もストレートで驚きました。女性の方は、僕は付き合ったことはありませんが、愛情表現もたくさんしているような気がします。街を歩いてカップルを見ると、くっついていたり、ペアルックを着たり、ペアシューズなどを履いたり。そういうのを見ると「ああ、僕には大変そう」と思います(笑)

―そんなカップル、多くないですよ? そんなカップルばかり選んで見ましたね。

タクヤ:芸能界で活動しているうちに恥ずかしがり屋な性格はかなり治りましたが、それでも愛情表現のようなものは恥ずかしいです。「愛してる」という表現もたくさんしていましたが、日本では「アイシテル」とはほとんど言いません。好きだ、ぐらいです。

―今も家事が得意な女性が理想のタイプですか?

タクヤ:それだけを見るわけではなく、色々な条件のうちの一つです(笑) 僕は、第一印象が少しユニークな感じの方が好きです。ペ・ドゥナ先輩のように、可愛いけれど個性的なタイプ。妙な魅力があります。

―これからの活動はどうなりますか?

タクヤ:10~11月頃にCROSS GENEのアルバムを出すと思います。歌手としてうちのグループがうまくいってほしいし、これから演技やモデルなどの活動もたくさんしたいです。韓国で成功したいです。まず、僕に与えられたことを一生懸命にしていけば、これからも道が開かれるのではないでしょうか。

記者 : イ・ヘリン、写真 : キム・ヨンミン