【スターコラム】カン・スンユン、YG練習生時代の1000日秘話 ― Vol.1

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カン・スンユンが、オーディション番組出身の新人歌手の成功神話を作り続けている。16日の正午にリリースしたデビュー曲「雨が降る」で主要音楽配信チャートを席巻し、音楽ファンの心を梅雨の雨のようにたっぷりと潤しているのだ。「雨が降る」は別れを経験した男の心を表現したロックバラード。この曲でカン・スンユンは切ない声で見事に表現したという評価を得ている。歌手として成功裏に一歩を踏み出したカン・スンユンは、今月末に強烈なロックの曲「WILD AND YOUNG」で再び大衆の前に立つ予定だ。そのような彼が、NAVER スターコラムの読者の皆様のために、Mnetの人気オーディション番組「SUPER STAR K2」への出場や、突然スターになった後、YGエンターテインメント(以下、YG)の練習生となり1000日間耐えてきた忍耐の修練記について語る。1日目から1000日目まで、歌手デビューするまでにカン・スンユンが過ごしたYG練習生としての1000日秘話をスターコラム独占で2回連続連載する。読者の皆様のご関心をお願いしたい。/編集者

NAVER スターコラム:カン・スンユン


「SUPER STAR K」トップ4出身のカン・スンユン、YGの練習生に

こんにちは!!カン・スンユンです。僕の曲「雨が降る」を愛してくださったすべての方々に感謝申し上げます。まだ若い僕に、このように人生初のコラムのチャンスを下さっただけに、期待を裏切らないよう頑張って書きます。未熟な文章ですが、楽しくお読み頂ければ幸いです^^

僕が初めてYGとミーティングをしたのは2010年の年末でした。そしてYGの練習生として最初の練習をしたのは2011年3月9日です。実はその前にYGの他にもたくさんの事務所からオファーを頂きましたが、どの事務所にしようかと比べていました(笑) その中で最初にミーティングをしたのがYGでした。

ヤン・ヒョンソク社長、PSY兄さんが一緒に来られましたが、面接の場で「一生懸命考えてみます」と答えました。その時僕の出演料が安かったわけでもなく、イベントの営業もしていましたので、今考えてみると調子に乗っていたと思います。

ヤン社長はそんな僕に、YGに入れば他の男子練習生と一緒に暮らしながらダンスなど、足りない部分を補うことになるとおっしゃいました。もちろん、YGが最高の事務所だったので、入りたい一方「現在こんな位置にいる僕が練習生?」という気持ちもありました。

もちろん、すぐにデビューだとは思いませんでした。僕が「SUPER STAR K2」の他の参加者に比べて実力が足りないと感じたので、一種の被害意識もありました(泣) 実力を磨き上げる時間が必要だとは思いました。それでもいざ練習生となるとあまりにも遠く感じられたのです。BIGBANGのG-DRAGON兄さんや、SOL兄さんもYGでとても長く練習生生活をされたでしょう? 当時僕が歳を取っていたわけではありませんが、長い時間を費やし、アイドルのようなヤングなイメージを作ることは難しいのではないかと心配したほどでした(笑)

しかし、他の事務所からもどんどんオファーが来るようになりました。複数の事務所とミーティングをしました。とても高い契約金を提示する事務所、僕を最初の所属歌手にするという事務所もありました。すでに最高のスターが所属している事務所もありました。しかし、いずれも僕が望む方向で、最高のアーティストと作業できるような環境を整えてると提案されました。最高のセッション、バンド、僕をアジアのスターにするという提案まで。

しかし僕は契約金が高いからといって、アーティストとしての価値が高くなるとは思いません。そういうふうに一つ二つ除外しているうちにYGを含めた二つの事務所だけが残りました。

その二つの事務所の中で悩んでいる時でした。僕の携帯番号は当時色々なところに知られていた状況だったので、知らない番号から電話がかかってくると出ませんでした。そのため、YGからの電話にも出なかったのです。知らない番号だったので何度も拒否ボタンを押すだけでした。それがYGを怒らせたのです。最終的に「来たくないのであれば来ないでください」というメールが来たのですが、それがとてもカッコよかったです。僕の脳裏に刻まれました。

ヤン社長が最初に会った時、僕に「芸能人という意識は捨てろ。同じ練習生だ」とおっしゃったことが頭に浮かびました。悪い男の魅力があるでしょう^^ 他の事務所の場合は僕に何があっても来て欲しいといってくれましたが、ここは僕に冷たかったのです。来ても来なくても別に良いとのことでした。

それがYGの魅力でした。僕は当時“ホット”でしたが、そういうのはどうでもよく、才能だけを評価するという意味でしょう? この事務所がそれだけプライド、自信があるので、僕が元々持っているスター性を利用することはなさそうだと思いました。本当に僕が大物になれるように育ててくれる事務所はここだと思いました。


YG練習生スタート!ダンス音痴を克服し、ダンスを楽しむ!

番組に出てから母は、営んでいた店の営業を止めていた状況でした。歳もありますので僕が稼いだお金で生活しようと言ったところでした。しかし練習生生活をすると少なくとも1~2年はお金を稼げないでしょう? 母はお金の心配は要らないと言いましたが、実はそこが一番心配でした。その時までに番組に出演し、イベントの営業にいって、CM撮影をしながら稼いだお金は、使うだけだとなくなるお金だからです。母が何とか生活できるように残りのお金をきちんと管理しておいてから練習室に入りました。これからスタートです!!

初めて練習生たちと挨拶をしましたが、僕を見る視線が冷たく感じられました。正直オーディション番組に出演したからといって特別待遇でいきなり入ると、僕はよそ者になるしかありません。冷たい視線で見られて当然だと思いました。そこで、自分から近づいて頑張る姿を見せようと決心しました。まず、練習生たちに90度で挨拶をしました。「はじめまして。カン・スンユンと申します。色々と教えてください」と。

そう挨拶すると180度変わりました。今までの番組放送を通じて僕のイメージに対する偏見を持っていたのです。「SUPER STAR K2」の放送では大胆な高校生、遊び好きな高校生に見えていたので、鼻っ柱をへし折るべきだと思ったそうです。ですが僕が先に頭を下げてから入ると、幸い良い評価をしてくださいました。いじめなどなく、笑いながら出発しました。

しかし練習を始めてからすぐ壁にぶつかりました。ダンスという壁です。そのストレスがひどすぎて、1人で宿所のベランダで空を見上げながら涙を流す時もありました。どうしてもできないので。ダンスを習ったことがありませんでした。以前、オーディション準備と番組のためのダンスを習ったことはありますが、ダンスに対する理解が全くないので、本当に大変でした。

先生も僕の速い成長を求めていたので、表面上は僕を完全に無視しました。そのように叱られると、宿所に戻ると1人で泣く日々でした。先生のダンスを見ると頭では理解できますが、体がついてきませんでした。鏡を見ながら踊る僕の姿は、漫画のキャラクターのようでした、ふふふ^^ まさにパニックでした。

プライドが傷つき、自分がみじめに感じられ、本当に大変でした。何としてでも他の人たちのように褒められたかったです。その時は先生からの褒める言葉一つが聞きたく、歯を食いしばりました。そうすると、何とかできました。どうやっても無理に思えましたが、本当に不思議なことに、汗を流した成果がありました。練習生として入り5ヶ月間、YGの中で練習するチームのうちトップではありませんが、その下までは腕を上げたのです。

それからは先生にダンスで認められました。「この振り付けはスンユンが一番うまいが」という褒め言葉です。その時からは本当にダンスが好きになりました。ダンスってこんなに面白いことだったのだと。


練習生としてオーディションを受けた「ハイキック3」にキャスティング

そうやって練習生生活に弾みがついて頑張っている中、MBCシットコム(シチュエーションコメディ:一話完結で連続放映されるコメディドラマ)「ハイキック3~短足の逆襲」(以下「ハイキック3」)のオーディションの話が来ました。当時、YGの練習生の中で何人かがオーディションを受けることになりましたが、僕もその1人でした。たくさんの方々が、僕が「ハイキック3」にストレートでキャスティングされたと思っているようですが、オーディションを経てキャスティングされました。公開で行われる、数百人が列になって並んでいるようなオーディションでした。その時は、特に演技への情熱もなく、できればいいだろうと思っていました。だからと言って、音楽一筋というこだわりがあったわけでもなく、オーディションというチャンスを与えてもらったので頑張ってみました。

オーディションで仮の台本を見ながら演技をしましたが、下手な演技はしたくありませんでした。学んだことも、したこともなかったのですが、そう思いました。いざ行ってみると、台本をただ渡されて、詳しい説明などはありませんでした。演技は俳優の仕事だからです。僕なりに解釈して演じました。何もない舞台があって、監督と作家さんが前に座っていました。

それでも顔が知られているので、「釜山(プサン)出身だから、訛りを使ってみるのはどうだ?」と言われ「頑張ります」と答えました。僕は僕の訛りが面白いと思ったことはありませんが、みんなが笑ってくれました。僕は大真面目に演じたのに(笑) 「この他に準備してきたことはないのか」と言われ、たとえ合格出来なくても、できることは全部やってみようとの思いで、やったこともないミュージカルを演じました。「ジキルとハイド」の人気ナンバー「今この瞬間」が好きでそれを歌いました。歌ってから合格するかどうか分からないが、チャンスをいただけるのであれば頑張ると挨拶してから会場を後にしました。

オーディションの後、何の知らせもなかったのでダメだと思って練習生生活を続けていましたが、連絡が来ました。脚本家さんとミーディングをしましたが、「君は元々この『ハイキック3』で準備していなかった配役だ。君が入ることのできる役は実はなかった」と言われました。しかし、訛りが長所になり、演技もしたことのない僕が唐突に演じる姿を前向きに評価してくださったようで、監督が僕の役割を新しく作ったと言ってくれました。脚本家さんと僕に関する話を何時間もしたことを覚えています。今までどう生きてきて、どのようにしてこのような夢を抱くようになり、練習生生活をしていて、性格はどうで、これが好きでこれは嫌いで……などといった話です。僕に関する全てを話したと思います。

「ハイキック3」の撮影に入ってから、大変な部分がありました。以前は他のスケジュールがなく、練習だけに集中できましたが、撮影があるたびに練習を抜けなければならず、流れが切れてしまうのです。放送序盤、僕の出番が少なかったときは月に多いときでも2、3回程度の撮影でしたが、次第に回数が増えていき、ますます練習の流れが切れて、とても大変でした。

撮影から戻ってくると他の仲間たちの実力はさらに上がっていて、それに追いつくためにはその倍の時間を1人で練習しなければなりませんでした。当時、始めたばかりの授業もあって、今までやったことがないものなので、最初から学ばなければ後から付いていくことができませんでした。そうやって、参加できない授業がどんどん重なっていくと、完全に取り残されてしまいました。

もはや、これまでのように寝ないからと言って追いつけるレベルではなくなったのです。そこで、とてもストレスを受けました。「ハイキック3」で僕の出番が多くなる前までは、欠けた部分のレッスンを別途で受ける形で並行しましたが、実は、僕に与えられた時間の2倍は練習しない限り、追いつくことが不可能な状況になっていました。僕が撮影に行くことが、他の練習生の立場からすれば羨ましいことでしたが、僕だけレッスンに遅れるという事実にプライドが傷つきました。そこで大変だとも言えずに、頑張る姿を見せることしかできず本当に大変でした。

大変ではありましたが、撮影するときだけは良かったです。半年以上、毎日同じような練習ばかりしていたので、撮影に行くとただ楽しかったです。その楽しさがあったからこそ、耐えられたんだと思います。そのように頑張っているうちに、演技も面白くなり始めました。僕なりに上手くなりたいとも思いましたし、演技をするときは一生懸命にやりました。控え室に入った瞬間からはYGの練習生ではなく、「ハイキック3」のカン・スンユンになるのです。

目の前で芸能人を見るのも不思議でした。その方々とご飯も一緒に食べて、笑って。それがただ良かったんです。役者と同じことを感じること、カメラの前で演技をすること、全てが好きでした。本当に幸せな時間だったんです。そうしているうちに演技の腕も徐々に上達したようで、ある瞬間から台本を受け取ると僕の出番が増えるようになり、メインエピソードも一つずつできました。

心の中で「あらら?」と思いました。出番が増えて良くなったことは、毎日撮影しなければならないため、それまで中途半端になってしまっていた練習生生活をやめられたことです。本当に苦しんでいた状況でその部分が整理され、演技だけに集中できるようになりました。そうして自信もつき、自然に演技ができるようになったのです。

キム・ビョンウク監督もそのような姿を前向きに評価してくれて、相乗効果があったと思います。「ハイキック3」の序盤は、イ・ジョンソクの家に行って隣に座っているだけだとか、そのようなシーンが全てでした。しかし、台詞が増え、その家に居座るようになったのです。ほぼ全てのエピソードに絡むようになり、最終的には123話のうち100話に出演しました。

監督や先輩の方々が、演技と歌手を並行するようにとアドバイスもしてくれました。演技を学ぼうとせず、今の僕の初々しい演技やその他のことは、時間が経てばきっと自然になると仰ってくれました。練習をすると、型にはまった演技になりがちだと。

書いているうちに長くなり過ぎましたね。「ハイキック3」を撮ったら、僕の練習生生活の前半戦もほぼ終わりです。いかがでしたか?それでは、第2部でまたお会いしましょう。ありがとうございます^^

文:カン・スンユン

「NAVER スターコラム」は、注目の俳優やアイドル、アーティストたち本人がコラムを執筆。話題のスターが直接書いたコラムをお届けしています。

記者 : カン・スンユン、NAVER芸能、編集 : OSEN ソン・ナムウォン局長、写真 : カン・スンユン、YG