【PEOPLE】イ・サンミンを構成する5つのキーワード

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イ・サンミン

「ここで止まるなWinア Winア/私が待っていた/忍ア忍ア/君を待ちながら見守る/忍ア忍ア/ウォウォウォウォ5、4、3、2、1ウォウォウォウォウォウォン」――イ・サンミンが制作したプロジェクトグループBROS(ブロス)の「Win Win」より


Roo'Ra

イ・サンミンがリーダーを務めた“レゲエのルーツ(Roots of Reggae)”という立派な名前を持って出てきたグループ。
ほぼ同時期に“Rave Effect”という意味を持ったR.efがデビューした。当時はそれだけダンスグループが新たなジャンルをキャッチフレーズにして頻繁にデビューしていた。ダンスグループのブームを起こしたソテジワアイドゥルがアルバムごとに新しいジャンルを切り開いた。「言い訳」「ただかけただけ」「カクテルの愛」などレゲエのリズムを使った曲が、相次いでヒットしたのはRoo'Raのおかげだと言っても過言ではない。また、イ・サンミンはRoo'Raとして活動したことでメンバーのコ・ヨンウク、シン・ジョンファン、キム・ジヒョン、チェ・リナに出会い、今でも連絡を取り合う仲である。

シャギー

レゲエのルーツというわけではないが、Roo'Raのルーツとは言えるレゲエミュージシャン。
Roo'Raのデビュー当時のイ・サンミンのラップは、シャギーと非常に似ている。ラップスタイルが似ていることが問題になったわけではない。問題はRoo'Raの最高のヒット曲「翼を失った天使」とシャギーの「Oh Carolina」の関係である。忍者の「お祭り忍者」の盗作だと判断された「天上有涯」よりも、その二曲の方がさらに似ているように聞こえると言っても過言ではない。インターネット上では 「翼を失った天使」の盗作疑惑が非難されたが、当時のインターネット上の書き込みには、世論を動かすほどの影響力はなかった。「Oh Carolina」を聞くためには、当時としては途方もない容量のファイルを電話線でダウンロードしなければならなかった。制作者のキム・ジヒョンはセックスアピール、チェ・リナは男装スタイル、そしてイ・サンミンとコ・ヨンウクの反抗的でセレブな雰囲気を前面に出した「翼を失った天使」は、その年、最高のヒット曲になった。

忍者

イ・サンミンに初めて試練を与えたグループ。
もちろんその試練は、彼が作曲した「天上有涯」が忍者の「お祭り忍者」を盗作したため起きたことだった。イ・サンミンが作曲を担当したわけではないが、「翼を失った天使」でRoo'Raに対するネットユーザの世論は悪化し、「天上有涯」の盗作は火に油を注ぐことになった。その間、より大きくなったインターネットの影響力はマスコミを動かし、知っての通りイ・サンミンは盗作の衝撃で自殺を試みた。もちろん盗作は大きな過ちだ。ただしRoo'Raはダンスとラップがある程度できるメンバーを集めて、何ヶ月の間も龍門山(ヨンムンサン)で厳しく合宿させた後、“レゲエのルーツ”で包装し、盗作と言っても過言ではない曲を作ってもミリオンセラーになれた。そのときはそれが可能なときで、多くの制作者がそんな道を選んだ。そのとき初めてグループのタイトル曲を作曲したイ・サンミンもやはりそれを当たり前に受け入れたのかもしれない。当時23歳だった彼は、何が良くて、何が悪いかわからないまま、悪に染まったのかもしれない。

S#arp

イ・サンミンが1stアルバムをプロデュースしたグループ。
メンバーだったイ・ジヘはMnet「音楽の神」でイ・サンミンが手を引いてから仕事が上手くいったと話した。だが、イ・サンミンが作曲した「Yes」は、馬鹿正直なほどファンキーなリズムを刻んでいて、その上に載せたメロディーは、サウンドの緊張感をそのまま表わしながら、韓国歌謡とブラックミュージックの接点を見つけることができた。しかし曲の中間に登場する女性メンバーのラップは、イ・サンミンがRoo'Raの活動のときに見せたラップフローと同じだった。その 反面ミュージックビデオの途中に突然登場するT(ユン・ミレ)のフリースタイルラップは曲全体で最も強烈な印象を残している。イ・サンミンがブラックミュージックを試みたときから、SolidやUPTOWNのようなグループが登場してきた。また、歌謡界ではH.O.T.とSECHSKIES(ジェクスキス)のようなアイドルグループが音楽市場を掌握し始めた。時代が次第に変わっていき、イ・サンミンは音楽スキルを鍛えるか、流行を追うかを選択しなければならないときを迎えた。

Chakra

イ・サンミンが制作したガールズグループ。
Roo'Raがレゲエを前面に出したようにChakraはインド音楽をグループのアイデンティティとして、Roo'Raが3rdアルバムの後からレゲエと関係ない音楽をしたように、Chakraも段々とインド音楽から遠ざかった。Chakraのデビュー曲「恨み」もインド音楽を曲の中間にサンプリングのように入れただけで、曲全体は一般的な歌謡曲のメロディーに近かったし、ラップもイ・サンミン特有のラップフローと大きな変わりはなかった。しかし、ChakraはS.E.SとFIN.K.Lから始まったガールズグループの流行とファッションデザイナーのイ・ジョンウ、写真家キム・ジュンマン、メイクアップアーティストのイ・ギョンミン、ミュージックビデオ監督のホン・ジョンホなどを参加させて、大規模マーケティングで一定水準以上の成功を収めた。また、コンチュリーコッコとDIVAなど、彼が参加した他のグループもすべて成功し、イ・サンミンは新たな全盛期を迎えた。そしてコ・ヨンウクからバービー・キムまで自分のクルーを集めてBROSを結成し、ファミリーの威容を誇示した。彼はミュージックビデオで毛皮のコートを着てリムジンに乗った。時代の変化の中でも、彼は自分が知っている方法でもっと巨大に拡大していくことを選択した。

M.C.ハマー

イ・サンミンが制作したグループX-Largeに参加したラッパー。
一時期、世界的に人気を集めていたが、あらゆる浮沈で今は宗教活動をしていることが分かった。「音楽の神」でイ・サンミンはX-Largeのアメリカでの活動に焦点を合わせたあげく、アメリカと韓国、両国で失敗したと語った。だが、X-Large の「You」のメロディーは当時流行った歌謡曲のメロディーと大きな違いはなかった。それにミュージックビデオはアメリカでは通じにくいドラマタイズ方式だった。一方彼が制作したまた違うグループQOQの「消えろ」はRoo'Ra時代を連想させる、レゲエのメロディーが含まれていた。しかし十分一般的であることができたメロディーとは違って、イ・サンミンはQOQをラップグループのようにプロデュースしたが、Roo'Raのときの彼と大きく変わらないラップを披露した。アメリカ進出、MCハマー、ヒップホップ、人々に見せる姿から傲慢さを感じるようになった。だが、内容は変わらなかった。そして彼は下りはじめた。

チェ・ミンス

イ・サンミンと親しい先輩。イ・サンミンはチェ・ミンスを説得してQOQのミュージックビデオに出演させ、レコードを制作した。また、イ・サンミンが経営したレストラン、GimmeFiveの代表をチェ・ミンスが受け継ぐことになった。GimmeFive は異種格闘技戦が見られるレストランというコンセプトで話題を集めた。イ・サンミンは“100億を売り上げたCEO”と自分を紹介した。しかし GimmeFive はリノベーションする過程で他の株主と異論が発生したり、試合途中に異種格闘技選手が死亡する事故が起きて事業をたたむことになる。表面に現れた事業規模に比べて内部の実情が安定していなかった。その上、制作したグループの失敗もあり、イ・サンミンは莫大な借金を抱えることになった。

イ・ヘヨン

イ・サンミンの元妻。イ・サンミンは結婚1周年を記念してミュージックビデオを制作したが、その2ヶ月後二人は離婚し、イ・ヘヨンはイ・サンミンを告訴した。離婚後イ・サンミンが債務者に返すことになっていた借金13億ウォンに対して、イ・ヘヨンが督促状を受ける状況となったからだ。イ・ヘヨンは債務問題を解決し、告訴を取り消して円満合意した。だが、その過程で財政状態が公開されたことは、イ・サンミンに致命的な一撃を与えることになった。彼はもはや成功した制作者、事業家ではなかった。いつも上手く行っていた、または上手く行っているように見えた彼は、実は失敗で奈落の底に落ちていた。彼はほとんどすべてのものを失った。

キム・グラ

先週までMBC「黄金漁場-ラジオスター」に出演していたMC。
「ラジオスター」はイ・サンミンに思いもしなかった復帰のチャンスを与えた。“敗者復活戦”の資格で出演したコ・ヨンウクは、MCだったシン・ジョンファンと共にRoo'Raのエピソードを話しながら、自然にイ・サンミンの存在を思い出させた。以後イ・サンミンはRoo'Raのメンバーと一緒に出演した。コ・ヨンウクが攻撃して、シン・ジョンファンがそれに協力、キム・グラが雰囲気を盛り上げたとき、イ・サンミンは哀れながらも笑いをくれたし、過ちを犯したが、嫌うことができない可哀想な男になっていた。彼は健康に気を遣うようになって生活が変わったと話し、自身の複雑な過去を素直に受け入れた。出生申告が2年遅れたため、他の人は笑えるが、彼にとっては不幸だった名前、“この赤ちゃん”と呼ばれたことを告白した。友人からの支援で、虚勢と失敗で綴られた過去のスターは、新たな人生を生きる準備が終わったように見えた。しかし彼と笑って騒いでいた「ラジオスター」の友人はみんな消えてしまった。そしてイ・サンミンは2006年の賭博サイト開設疑惑で2010年、懲役1年6ヶ月に執行猶予3年の判決を受けた。そして、2009年の不法貸し出し斡旋疑惑で2011年に不拘束起訴されるなど、波瀾万丈な人生を送った。

コ・ヨンウク

イ・サンミンと20年近く付き合ってきた弟分であり友人。今ではもう“家族”と言える存在。
イ・サンミンは「音楽の神」でコ・ヨンウクが問題を起こして番組から降板した後、彼のせいでもう一度撮影することになったと怒鳴りながらも、ずっと彼のことを心配していた。現在、捜査中である色々な状況とは別に、相手の女性が未成年であったことを知っていただけでもコ・ヨンウクは非難されることを避けることはできないだろう。しかしイ・サンミンがそんなコ・ヨンウクを人間的に広い心で受け入れようとする点は理解できる。イ・サンミンがコ・ヨンウクについて話した通り、もしかしたらRoo'Raのメンバーは年を取った子供なのかもしれない。彼らは何の準備もできていないときに成功して、そのときの大人たちが良くない方法で成功した姿を見たので、その通りに生きた。しかし時代は変わった。SISTARや少女時代のようにきちんとしたトレーニング受けたアイドルが登場し、エンターテインメント業界はより大規模なシステムと徹底した経営マインドが必要になった。昔の大人のようにしたら成功できたし、その後も良い暮らしができると思っていた。しかし、世の中は大人になった彼らにもっと大人になることを要求した。「音楽の神」でコ・ヨンウクは依然として過去から抜け出せないイ・サンミンをからかう。だが、コ・ヨンウクも大人として成長できていなかった。この子供のようなRoo'Raのメンバーは、果たして自分のしたことに責任を取れる大人になれるだろうか。

小僧Roo'Ra

「翼を失った天使」でRoo'Raが全盛期だった当時に活動した子供たち。
そのうちの1人がBIGBANGのG-DRAGONだった。また他の1人は「音楽の神」で成長した姿を見せた。しかしG-DRAGONが最高のアイドルとして成長する間、イ・サンミンは成長できなかった。フェイクドキュメンタリーでもあるが、「音楽の神」ではイ・サンミンの生き方が見られる。彼は過去に様々な事件を起こし、オーディション番組を反対しながらもオーディション番組と同じ方法で芸能人を抜擢しながら、他の制作者には「口座に20億ウォン(約1.4億円)ある」と話している。彼は自ら“間違った方法で生きた”と言うほど自らに満足できない人生を送った。それに自身の内面とは関係なく、カッコいい人生を夢見てきた。もしかしたら今でもそうかもしれない。しかしイ・サンミンは、「音楽の神」で自分が笑いものになることを受け入れていながらも、なんとかコ・ヨンウクのことをかばうおうとする。彼は残っているチャンスを掴もうとしてテレビに出ているが、同時に虚勢を張らずに謙虚な姿を見せている。家族のようなメンバーがこれ以上活動できなくなったときも、テレビに出て笑わせなければならなかった。だが、同時にその番組で同僚をかばおうと努めている。太って、センスが落ちて、お金もない。しかし虚勢を張っていた人生について告白し、ありのままの自分を見せたとき、彼の奥深いところにあった真心が現れた。だからイ・サンミン、ここで止まるな。今からでも耐えたら、いつかは“本当に” Winが待っているかもしれないから。

記者 : カン・ミョンソク、翻訳 : チェ・ユンジョン