JYJ、南米ツアーは「言葉と時空間を越えた音楽の力」

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写真提供:C-JeSエンターテインメント
ジュンスが「Intoxication」を歌うと、すべての観客が大合唱で答えた。韓国人の歌手が歌う日本語の歌を南米のファンが一緒に合唱する姿は、JYJとK-POPが世界のファンとどうやって出会いコミュニケーションすればいいのかを見せてくれた。9日(現地時刻)の夜9時にチリ、サンティアゴにあるテアトロ・コンポリカン(TEATRO CAUPOLICAN)では、JYJの南米ツアー「JYJ South America Tour in 2012 Chile & Peru」が開かれた。今回の南米ツアーは昨年4月にタイで始まったワールドツアーのフィナーレとなるコンサートだった。アジア、北米、ヨーロッパと続いて南米に向かうまで、15の都市で20万人を超えるファンと交流したJYJは、11日の夜8時にペルー、リマのエクスプレナダ・スー・デル・エスタディオ・モニュメンタル(Explanada Sur Del Estadio Mounmental)でのコンサートを最後に、その意義ある足取りを一段落させた。

野宿者まで出た南米での振動

チリは“地球を半周”という言葉が決して大げさではない国である。30時間近くを飛んで到着したチリの首都、サンティアゴは、春がようやく訪れようとしているソウルの天気とは裏腹に、夏も終盤へと差し掛かっていた。この明らかな季節の違いはチリと韓国の距離がいかに離れているかを即座に肌で実感させ、これほど遠い国で異国の歌手に熱狂しているファンへの好奇心を駆り立てた。

コンサートに先立って開かれた8日の記者会見でJYJのメンバーたちは、「遠くよく知らない国」(ジュンス)に自分たちのファンが多いと言う事実や、そのファンと出会うため南米へと出向いた今回のツアーに対し、「想像もつかなかった」(ジェジュン)、「まだ実感が湧かず不思議な気持ち」(ユチョン)と感想を述べている。それは彼らを待っていたファンも同じようだった。少しでも早くJYJに会おうとした約400人のファンは、早朝4時と言う時間にもかかわらず空港へ出向いてJYJを歓迎した。立見席を確保するために、早い人は5日前からコンサート会場の近くで野宿を始めた。その数百人のファンにとっても、JYJがチリでコンサートを開くということは「未だに信じられない」(Maicol Castioolさん 19歳)ことであり、「今からもう足が震える」(Johana Lopezさん 25歳)というほどのことであった。

ただ、コンサートの中身だけを見れば、それは少々物足りない時間でもあった。物理的な距離の限界のために運んでくることの出来なかった装備の問題から、音の鮮明さが押しつぶされた感じがしたし、小さくてシンプルな舞台はJYJの出入りがそのまま見えるほどで、スクリーンの画質も鮮明とは言い難かった。「Ayyy Girl」「Get Out」のリミックスバージョンや今回の舞台のために準備されたシャッフルダンスが新たに披露されてはいるものの、滑らかな繋がりや緩急の調節を欠いた構成は、歌はもちろんパフォーマンスの面でも印象的な瞬間を見せるのが特技であるJYJの舞台としては少々平面的な印象を与えた。

しかし、120年以上の歴史を持つテアトロ・コンポリカンが沸きあがるような、そして先ほど述べた客観的な物足りなさを充分補えるようなエネルギーが、その日、その場所にはあった。JYJのシグネチャーカラーであるレッドをドレスコードに、好きなメンバー別に色分けされた蛍光色の鉢巻をした約3000人のファンは、始めから終わりまで“ハイデシベル”の歓声で自分たちが今日この日をどれほど待ち望んでいたかを熱烈に証明した。「Mi hijito Rico」(ミ・イヒト・リコ)。“マイ・ラブ”という意味でチリの人々が本当に愛する者にだけ使うというその言葉がコンサート会場を埋め尽くしたのである。

JYJの音楽は舞台下のファンへと一方的に流れ行くのではなく、彼らの熱狂的な動きと出会うことでより強く増幅されて再び舞台の上にいるJYJへと伝わった。装置や舞台の限界にもかかわらず、この日のコンサートは100度の沸点を軽く越えてしまった。それはファンと歌手がお互いに送り合った“絶対的な共感”という、コンサートで最も単純かつ本質的な要素が充分に備わっていたからこそ可能なことだった。


感情の領域としての音楽

チリを含めた南米のファンもアジアやヨーロッパのファンと同じで、言葉の壁を越えて耳につくビートやメロディー、パフォーマンスに惹かれてファンになったという。彼らはインターネットを通じてテレビ番組やコンサート動画に接し、歌詞や放送の字幕などは翻訳してくれる人の手を借りて内容を理解する。そして、TwitterやYouTubeを通して歌手と直接コミュニケーションをとるなど、歌手とファンの間にある精神的な距離感や時差をインターネットやソーシャルネットワークが和らげてくれる。ただ、未だに現地では流通システム上の問題で正規版のCDが販売されていないため、通常価格の10倍という値段でCDを購入したり、テレビ番組を通してはまだ好きな歌手の姿を見ることが出来ないなどの限界が生じている。コンサート会場の周りワンブロック以上を囲んでいたファンの歓声は想像もつかないほど熱いものだったがが、道を一つ隔てた向かい側で彼らを眺めている他のチリ人の顔はとても落ち着いていた。南米にもK-POPへの関心が確かに存在しているし、それが成長してもいるのも確かだが、今は余熱の段階を超えて沸騰を始めたばかりなだけに普遍性を得ていると言える段階ではない。今回のJYJによるチリでのコンサートも、ここ数年の間に韓国のエンターテインメント産業で最も重要な話題となっている“韓流”と“K-POP”の現在と成長の可能性、そしてこれからの課題を再確認する場となった。

何より意味があったのは、韓流はビジネスであると共に文化の交流であるということだ。だから“侵攻”や“征服”という狭くて世俗的な言葉を韓流に使っていては充分に説明する事が出来ないし、その真の意義を全て盛り込むことは出来ない。韓流は大切な出会いの現在の姿であると共に歴史の始まりであるということを心に刻むべきである。

JYJを愛する南米のファンの姿は韓国ファンの自負を脅かすほどであった。もちろんその熱気は、南米人によく言われている彼らの民族性からなるものかもしれない。しかしそれと同時に、地球の反対側に住んでいる歌手や音楽を好きになったために、一生で一度も会うことが叶わずして終わったかもしれない歌手と直に対面した瞬間がプレゼントしてくれた感動の温度がそれほど熱かったという意味かも知れない。30時間も飛行機に乗って飛んで来た歌手と、22時間もバスに乗って来たファンが今ここで奇跡的に出会った驚きの瞬間こそが、韓流を取り巻くビジネスやシステムに携わっている人々が胸に刻むべき最も重要な瞬間ではないだろうか。

JYJとの記者会見で、K-POPや韓流という言葉以上に、音楽によるコミュニケーションを図る人として、音楽でファンにどのような意味を与えたいのかを聞いてみた。ジェジュンは、「日本で活動を始めて小さいながらも成功を手に入れた時は韓流という言葉を使うのが苦手でした。K-POPの人気が高まっている中で同じ修飾語でまとめられるのが始めの頃は受け入れ難かったのです。でも今はむやみに否定するのも変ですし、K-POPの中でユニークな人だと言われたら嬉しいなと思います」と語った。また、「POPの元祖と言われるマイケル・ジャクソンも皆がみんなマイケル・ジャクソンと同じ扱いを受けながら全世界の舞台に立つのは望まないと思います。彼だけの特別な部分があると思いますから」と続けている。この答えからJYJの野心とそのための努力が伺えた。亡くなったマイケル・ジャクソンは長い間全世界の人々を熱狂させた。その理由はどこにあったのか。日本語の歌詞で歌う韓国人の歌手とスペイン語を使う南米のファンが一緒に合唱できる理由はどこにあるのか。言葉と時空間を越えた場で、音楽が新しい風景を描いてくれた。南米で示してくれたJYJの成功は、「韓国人アーティストとしては初めて」とか「全席完売」という目に見える修飾語より、言葉を続けることも出来ずにただただ涙を流しているだけだった少女の顔からよりはっきりと確認することが出来たのである。

記者 : キム・ヒジュ、編集:ジャン・キョンジン、翻訳:イム・ソヨン