「CRAYON POPはもう終わった?今も十分満足している!」

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写真=TVレポート DB
CRAYON POPの始まりはHurrycane Popだった。セラン、グンミ、エリン、チョア、ソユルで構成されたHurrycane Popは2012年1月にまず中国でデビューショーケースを開催した。同年5月に韓国でデビューしたが、メンバーセランが脱退した。その代わりにチョアの双子の妹ウェイが加入した。その直後、グループ名をCRAYON POPに変えた。同年7月にデビューアルバムを発売したが、注目されなかった。

それにもかかわらずCRAYON POPは熱心に活動した。同年10月に2枚目のアルバムを出したが、相変わらず大衆の反応は冷たかった。結局CRAYON POPは音楽番組に出演する代わりに街に出た。人が集まる江南(カンナム)駅、明洞(ミョンドン)、新村(シンチョン)、弘大(ホンデ)、東大門(トンデムン)を訪れた。さらに、日本の街でもCRAYON POPは歌った。

2013年6月に「パパパ」をリリースした。この時、CRAYON POPはまだ知らなかった。「パパパ」が自分たちの人生を変えてくれることを。同じデザインのヘルメットとジャージを着て“直列5気筒ダンス”を踊り始めた。音楽番組に出演すると状況が変わった。音楽配信ランキングを駆け上がり、ネット上にはパロディー映像が流れた。国内よりも海外の反応の方がさらに熱かった。ついに“ブーム”にまで至った。

「パパパ」はリリース44日目にして音楽配信ランキングで1位に輝いた。音楽番組で1位のトロフィも手に入れた。2013年最高のヒット曲と記録された。そのおかげでCRAYON POPは世界的なポップスターレディー・ガガからラブコールを受けた。2014年にCRAYON POPはレディー・ガガの北米ツアーのオープニングステージに立った。そして2015年には「FM」をリリースし、個別活動を並行している。


「ヘルメットを脱いだ戦隊物コンセプト、正直不安だった」

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「最初はガールズグループのイメージに似合う、キュートで可愛いコンセプトをしてみたかった。でも私たちのカラーを作り出すことがさらに重要な瞬間だった。その個性を認められ、愛された。その枠を壊したくない。多くのアイドルグループが特有のカラーがないことで悩むけれど、私たちはそれ自体にプライドを持っている」

CRAYON POPはヘルメットとジャージ姿で「パパパ」のステージを飾った。ユニークなキャラクター構築には成功したものの、“ヘルメットのない”CRAYON POPは不自然だった。そのため、新曲を発売するごとにファッションを気にしなければならなかった。

「今回はヘルメットを脱ぎ、戦隊物のコンセプトにした。ヘルメットを脱ぐだけでも不安だった。弱すぎるという反応が出そうだった。自分たちが他のガールズグループとの差別化を感じることができなければCRAYON POPの存在感が消えるからだ」

多くの人々はCRAYON POPのデビュー曲が「パパパ」だと思っている。しかしそれは彼女たちが4番目にリリースした曲で、デビューから1年が過ぎた時期だった。そのため「パパパ」はCRAYON POPにとって新しい、また別の始まりだった。

「CRAYON POPにとって『0』という数字をつけてから再び出発する瞬間だった。コンセプトを変えてCRAYON POPだけができるステージ、音楽がしたかった。幸い『パパパ』でそのようなチャンスを得ることができた。これからも引き続き維持したい。CRAYON POPのカラーを捨てたら、たぶん私たちが一番先に名残惜しくなるだろう(笑)」

CRAYON POPは「パパパ」以降も着実にアルバムを発売し続けた。2014年にはレディー・ガガのツアーのオープニングステージを飾った。誰もが簡単に手に入れられるわけではないチャンスだった。おかげで舞台経験もたくさん積み、今後の活動においての大きな動力も得た。


「1位が目標? 長く生き残ることが私たちの本当の夢」

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「私たちは音楽番組に出演ができなくて名前自体を知らせることができない時期もあった。それを経験しながらメンタルが強くなった。自然に固くなった(笑) ゲリラ公演をしながら恥ずかしい時もあった。だからといって何もせず、遊んでいるわけにはいかなかったから。喜んでもらえなくても、自分たちの間で楽しみながらやった。そうしているうちに良いことがあった」

そのおかげでCRAYON POPはポジティブになったと自慢した。簡単に諦めたり、躊躇しないという。悪いことが起きても執着したり、それほど悔しく思ったりはしなかった。そのようなことを逆手に取って、体を小さくしてからまた跳躍する時期だと考えた。

「『パパパ』が予想以上にヒットしただけだ。ものすごく愛されたのだ。だからそれ以降の反応にも十分感謝している。もちろんもっとうまくいけば嬉しい。でも、昨年は海外活動に邁進していたので、韓国でカムバックできただけでも良かった。ファンが長い間待っていてくれた。続けてヒットするよりも、CRAYON POPが今後長くやっていくことの方がはるかに重要だ」

CRAYON POPは双子のユニットグループ“イチゴミルク”も結成し、ソロ曲やコラボ曲も発売した。時にはOST(ドラマ劇中歌)にも参加している。メンバーそれぞれがミュージカル、バラエティ番組、ウェブドラマにも出演している。CRAYON POP全員で活動した時とは完全に異なる姿を見せているのだ。

「5人のメンバーが様々な姿を見せ続けたい。それぞれ自信のある分野に真剣にチャレンジする。もちろんその中心にはCRAYON POPがある。コンサートをしたい気持ちもある。でも私たちは1位を目指して『パパパ』を発表したわけではない。誰かの元気の素になりたくて始めた。多くの方に笑顔と幸福を与えたい。CRAYON POPが『パパパ』の後、終わったという声もある。ハハハ。音楽配信の成績は私たちの幸福の基準にはならない。毎回大ヒットさせることはできないということだ。私たちは今十分満足している(笑)」

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記者 : キム・イェナ