【PEOPLE】ユ・ヒヨルを構成する5つのキーワード

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ユ・ヒヨル

「今のメジャー音楽は、計画的なシステムから作られています。会社がタイトルと方向性を決めて、いくら資本を投資するかを決めた後にプロデューサーを決め、それに合わせて歌手を発掘し、訓練させて音楽市場に出します。このような歴史が10年間ほど経ち、落ち着いてきたので結果が良いです。計画的に音楽作業が進みます。編曲からサウンド、ボーカルプログラミングの能力まで、すでに境地に至っています。日本のアイドルのシステムを追い越すほどに。認めてはいます。でも音楽産業として完璧に構築されていますが、そうした部分があるからこそ、ミュージシャンとしての才能を持った人たちも必要だと思います。だけど、そのような人材があまりいません……ミュージシャンに関心を持つのではなく、そのミュージシャンが所属しているレーベルに関心を持つようになるのです。僕が関心を持っているミュージシャンたちは韓国ではインディーズにしかいません」(月刊誌「PAPER」2008年2月号のインタビューより)

上記のインタビューが行なわれてから約6年が経った。今日までにユ・ヒヨルも、ユ・ヒヨルを取り囲む大衆音楽界も、そして世の中もずいぶんと変わった。6年前までは、ユ・ヒヨルがYGエンターテインメントの代表兼プロデューサーであるヤン・ヒョンソクとJYPエンターテインメント(以下JYP)の代表兼プロデューサーであるパク・ジニョンと並んで座り、オーディション番組の審査委員を務めることを誰が予想しただろうか?今やユ・ヒヨルはテレビにもよく顔を出し、優れたバラエティ感覚を発揮したおかげでミュージシャンよりも“感性豊かな変態”というあだ名の有名人として認識されることの方が多くなった。これを通じてユ・ヒヨルは多くのことを学んだだろう。彼が素晴らしい音楽を作ってきたミュージシャンであり、これからも素晴らしい音楽を作るために努力することを信じている。音楽を作るために没頭していたユ・ヒヨルは今、世の中に出ることもできずに消えていく音楽を人々に伝えるための方法を模索しているはずだ。最近、タレントとしてより頭角を現しているユ・ヒヨルが今準備している音楽プロジェクトTOYのニューアルバムはどんな音楽になるのだろうか?


ある日(オットンナル)

ベーシストであるチョ・ドンイクとギタリストであるイ・ビョンウが結成したグループ。
音楽好きやミュージシャンたちの間では、2枚のアルバムだけを残した不世出のプロジェクトバンドとして知られている。ある日の1stアルバム「1960.1965」(1986年)は、専門家たちが選んだ「韓国大衆音楽100代アルバム」で4位に選ばれた。人々にあまり知られていないがマニアの間では最高のミュージシャンとして伝えられている。それだけではなく、ある日のアルバムは口コミだけで今まで100万枚以上の売り上げを記録したことが知られている。ユ・ヒヨルは多くのインタビューである日の歌を聞きながらミュージシャンになる夢を抱き、チョ・ドンイクがロールモデルであると言い続けてきた。音楽書籍「90年代を輝かせたアルバム50」に掲載されたインタビューで、ユ・ヒヨルはある日について「音楽はもちろん、音楽を通じて映し出している人間らしい風貌のようなものが僕の青少年期に大きな影響を与えた。音楽、歌詞、アルバムジャケット、そのすべてが偉大でかっこよく見えた。ハナミュージックに入り、そこのリーダーであるチョ・ドンイクと仕事をしながら、僕の1stアルバムが彼の影響を受けていないと言えば嘘になるだろう」と話している。今のユ・ヒヨルはどんな夢を抱いているのだろうか。ある日の1stアルバムに収録された「古い友達」のような歌を夢見ているのかもしれない。

キム・ジャンフン

ユ・ヒヨルはキム・ジャンフンを通じてプロ演奏者としてデビューした。
1990年に2人は出会った。キム・ジャンフンが20代の後半、ユ・ヒヨルが高校3年生の時に一緒にバンドを組んだ。当時、キム・ジャンフンの性格が気難しく、メンバーたちはみんな脱退して2人だけが残ったがバンド活動を続けた。その時キム・ジャンフンはユ・ヒヨルに「この世の中でお前の性格が一番変わっている」と話したという。キム・ジャンフンの1stアルバム「いつも私たちの間には」(1991年)でユ・ヒヨルは「陽の差す日」を手掛けた。そのアルバムにチョ・ドンイクプロデューサーが参加しながら、ユ・ヒヨルとチョ・ドンイクの縁が始まった。その後、ユ・ヒヨルは自分が尊敬してきたハナミュージックのミュージシャンと交流し始める。結局TOYの1stアルバム「私の心の中に」(1994年)もハナミュージックで誕生した。ハナミュージックのスタジオエンジニアであるユン・ジョンオと一緒にチームを組んだTOYの1stアルバムにはチョ・ドンイク、イ・ビョンウをはじめ、チャン・ピルスン、チョ・ギュチャンなどが参加した。“ハナミュージックの有望株”だったユ・ヒヨルは自分が尊敬していた先輩たちと彼らが見守る中でデビューアルバムを準備した時の気持ちはどうだったのだろうか。

イ・スンファン

“星の王子さま”“ライブの皇帝”という修飾語で1990年代に全盛期を迎え、2014年になっても依然として“公演の神”と呼ばれる歌手。
ユ・ヒヨルはイ・スンファンのバンドで鍵盤を担当し、アルバムの共同プロデューサーとして参加するなど、イ・スンファンの信頼できるパートナとして役割を担った。イ・スンファンのバンドは韓国最高の演奏者で構成されていた。本来ヘビーメタル出身のロックボーカルだったイ・スンファンは、オ・テホ、チョン・ソグォン、ユ・ヒヨルなど天才的なアーティストたちと共にアルバム作業を行った。ユ・ヒヨルはイ・スンファンの4枚目のアルバム「HUMAN」(1995年)で「変わっていくあなた」を作曲し、5thアルバム「CYCLE」(1997年)ではイ・スンファンと共同プロデューサーとしてアルバム作業に参加した。このアルバムでイ・スンファンの代表曲である「家族」「赤いラクダ」を含めてほとんどの曲はイ・スンファンと一緒に作った。ユ・ヒヨルは曲を作るのが早く、望んだタイプの曲をお願いするとすぐに作ってくるのでイ・スンファンも驚いたという。

チョン・ソグォン

1990年代に最高の人気を博し、今も活動を続けてきているバンド015B(コンイルオービー)のリーダーであり、作曲家兼プロデューサー。
音楽界で“アーリーアダプター”(新しいものを早期に受け入れ、他へ大きな影響を与える人)として有名なチョン・ソグォンは1990年代初め、ソ・テジ、シン・ヘチョル、ユン・サンと共にMIDI(デジタル化されたシンセサイザーやその周辺機器などを連動させて演奏するための統一規格)と電子音楽を積極的に使用して今までの音楽と差別化を図った。これと共に1990年代初めには破格的なハウスジャンルを試み、感性的なメロディと歌詞を披露する一方、社会批判的で環境保護などに関するメッセージが盛り込まれた音楽を披露した。チョン・ソグォンとユ・ヒヨルは2人ともイ・スンファンと密接な関係を持っている。2人を順番にプロデューサーとして起用したイ・スンファンは、「2人を比較するなら、ユ・ヒヨルはこき使うことができるが、チョン・ソグォンは褒め称えなければならない」と話した。ユ・ヒヨルは015Bの6thアルバム「The Sixth Sense-Farewell To The World」(1996年)に参加した。すでに最高の作曲家として有名になったチョン・ソグォンは、まだ世に知られてないTOYの音楽を聞いて才能があると考え、ユ・ヒヨルと一緒に音楽作業をした。

シン・ヘチョル

ロックバンドN.E.X.T.を率いているミュージシャンであり、ラジオ番組「FM音楽都市」「ゴーストステーション」のMCを務めた放送人。
チョン・ソグォン、ユン・サンと共に1990年代の韓国大衆音楽を一段階レベルアップさせた代表的なアーティストとして評価されている。ユ・ヒヨルが人々に知られるようになったのはシン・ヘチョルが深夜に進行したラジオ「FM音楽都市」のレギュラーゲストになってからだ。当時、ユ・ヒヨルは優れた話術と音楽的な知識で愛聴者を虜にし、とうとうシン・ヘチョルの後任として1997年10月から2001年3月まで「FM音楽都市」を進行した。当時はスターがラジオDJを務めるという慣行があったが、その中でユ・ヒヨルがDJを務めたのは異例の出来事だった。ユ・ヒヨルは「FM音楽都市」について、「人生の中であれほど好きで毎日熱心にやっていたものはなかった」と回想した。ラジオ番組が大好きで、粘り強く頑張ったと振り返ったように、ユ・ヒヨルは音楽よりもむしろラジオDJを通じて人々と意志疎通する方法を学んだことだろう。

ジヌ

「突飛な想像」をヒットさせた歌手兼ギタリスト。
3人組のバンドRoller Coasterのベーシスト出身で、現在はHitchhikerという名前でDJとヒットメーカーの作曲家として活動しているアーティスト。Brown Eyed Girlsの「Abracadabra」をはじめ、SMエンターテインメント(以下SM)の少女時代、f(x)、SHINeeの曲を作曲した、ユ・ヒヨルとはイ・スンファンのバンドで一緒に活動した。その後、TOYのアルバムにも参加してユ・ヒヨルとの縁を築いていった。ジヌはイ・スンファンの後ろでギターを弾いていたが、Roller Coasterではイ・サンスンにギタリストの座を譲り、自分はベースを弾いた。その後、DJをしながら電子音楽をするなど、多様なジャンルで卓越した実力を披露している。ユ・ヒヨルとジヌはいわゆる“天才”と言われながら大衆音楽界に入門し、様々なジャンルで活動をしてきたという共通点がある。2人でバンド活動を行っていた時、ユ・ヒヨルがバラエティ番組で“感性豊かな変態”として脚光を浴び、ジヌはSMのアイドルグループのヒット曲を作る作曲家になるとは誰も予想できなかっただろう。

ユン・ジョンシン

テレビと大衆音楽の間を行き来して活動している歌手。
ユ・ヒヨルはユン・ジョンシンの代表作として高い評価を受けた5枚目のアルバム「愚」(1996年)で、ユン・ジョンシンと共に共同プロデューサーとして参加した。1996年といえば、ユ・ヒヨルとユン・ジョンシンは2人とも音楽だけをしていた純粋な(?)時代だった。当時ユ・ヒヨルはユン・ジョンシンと音楽作業をしながら彼が歌詞を書いて、曲をつけるコツを学んだという。単純に良い音楽を作ることから一歩前に進んで、アルバムのコンセプトを作りあげるユン・ジョンシンの姿が印象的だったそうだ。面白いのが、今のユ・ヒヨルはユン・ジョンシンのように音楽事務所を率いており、バラエティと音楽の間を自由自在に行き来しながら、同じ道を歩んでいるように見える。ユン・ジョンシンは最近テレビで「僕がユ・ヒヨルにM&Aを提案したことがあった。僕の会社MYSTIC89は歌手が所属している会社で、アンテナミュージックはミュージシャンがいる会社だから。必ず合併する必要はないが、アンテナミュージックとのM&Aであれば、いつでも歓迎する」と話して視線を引いた。意外に思うかもしれないが、2人が作る音楽スタイルも似ている点が多い。キム・イェリムの2ndミニアルバム「HER VOICE」(2013年)のタイトル曲「Voice」を聞いたユ・ヒヨルは「あれ、これは僕の編曲スタイルだ」と言って笑ったという。

パク・ジニョン

JYPの代表兼現役歌手。
現在、SBSのオーディション番組「ニュー!日曜日は楽しい-K-POPスターシーズン3」(以下「K-POPスター3」)にユ・ヒヨルと共に審査委員として参加し、2人だけの“幻の相性”を見せている。二人は同年代のため、番組でしばしばため口で話す時もある。パク・ジニョンがKBS 2TVのバラエティ番組「ユ・ヒヨルのスケッチブック」に出演した時に、ユ・ヒヨルは流行語にもなったパク・ジニョンの台詞を持ち出して、「一体、“空気半分、声半分”って何なんだ」と聞いたことがある。2人は韓国大衆音楽界の“正反対の歌手”と言ってもいいほど、まったく違うジャンルで活動してきた。ユ・ヒヨルがイ・スンファン、015B、ユン・ジョンシンなどのアルバムで作曲家として参加した1990年代の中盤に、パク・ジニョンはバン・シヒョクと自身の3rdアルバム「サマージングルベル」(1996年)を発表した。共通点といえば1990年代から今まで、長い歳月を地道に現役で音楽活動を続けてきたことくらいだ。「K-POPスター3」で“魅力”を披露しているパク・ジニョンと“才能”を見せているユ・ヒヨル、この2人が見せている微妙な視点の違いがまさに韓国の大衆音楽の隔たりを見せている。

チョン・イングォン

ロックバンドのドゥルグクファ(野菊)出身のボーカリストであり作曲家。
ユ・ヒヨルは最近「ユ・ヒヨルのスケッチブック」の収録現場でチョン・イングォンと初めて出会った。ユ・ヒヨル世代の韓国のミュージシャンたちがドゥルグクファを尊敬するのは当たり前のことだが、ユ・ヒヨルはチョン・イングォンと初めて会った時の感激を隠せなかった。そしてついに、ユ・ヒヨルは今月7日から9日にわたって開催されるチョン・イングォンの単独公演「歩いて、歩いて」にサプライズゲストとして登場する予定だ。昨年、ユ・ヒヨルはドゥルグクファのニューアルバムがリリースされた時、応援のメッセージと共に「ドゥルグクファがいなかったら、音楽を始めていなかっただろう。ドゥルグクファの曲があったから自分の歌を始めるようになった」と打ち明けた。「ユ・ヒヨルのスケッチブック」を通じて大先輩歌手からアイドルまで、多様な歌手たちと共演したユ・ヒヨルは、チョン・イングォンとのステージでどのような姿を見せるのだろうか?驚くことにチョン・イングォンはTOYの曲を歌う予定だ。

記者 : クォン・ソクジョン、翻訳 : チェ・ユンジョン