【映画レビュー】「僕らの青春白書」激動の1980年代を生きた若者たち…暴力と恋愛がすべてではない

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写真=タムソフィルム、ロッテエンターテインメント
「僕らの青春白書」は、1982年が背景の映画だ。粛軍クーデター(1979年12月12日に韓国で起きた軍内部の反乱事件)で国家権力を手に入れた全斗煥(チョン・ドゥファン)が第五共和国体制を発足させた直後である。政権に正統性がなかった新軍部政権は、自分たちへの国民の関心を他のところに向かせるため文化の統制を解除した。いわゆる3S(セックス、スクリーン、スポーツ)融和政策の結果、1982年にはプロ野球が始まり、劇場では「愛馬夫人」が上映された。そして維新時代(朴正煕(パク・チョンヒ)時代の後期、1972年10月17日から1979年10月26日まで)から続けられた通行禁止が解除されたのもこの頃だった。

この時期に学生たちが手に入れたものは“頭髪自由化”と“制服自由化”だった。「僕らの青春白書」の主人公は、自由なヘアスタイルが可能になった1980年代最後の制服世代(制服自由化は1983年から施行された)である1982年、忠清道(チュンチョンド)に住んでいた生徒たちだ。

ソウルから来たソヒ(イ・セヨン)に気に入られるためあらゆる手段を使うジュンギル(イ・ジョンソク)だが、ソウルの気難しい彼女は甘くない。幼なじみのジュンギルに片思いしているヨンスク(パク・ボヨン)は彼に猛アタックするが、彼は目もくれない。またグァンシク(キム・ヨングァン)は自分の気持ちを分かってくれず、ジュンギルだけを見ているヨンスクのせいで気持ちが穏やかでない。

「僕らの青春白書」は、忠清道を制覇した洪城(ホンソン)農業高校の喧嘩の強い女子高生ヨンスク、沢山の女子高生を泣かせた洪城農業高校伝説のプレーボーイ・ジュンギル、ソウルから洪城農業高校に転校してきた清純で可憐な女子高生ソヒ、洪城農業高校のトップでヨンスクなどと忠清道一帯を制覇したグァンシクが主な登場人物である。

ヨンスク、ジュンギル、ソヒ、グァンシクの交差する人間関係を描いた「僕らの青春白書」の観戦ポイントは意外性だ。「過速スキャンダル」で“国民の妹”として人気を得たパク・ボヨンは大胆なイメージチェンジを図った。リアルな忠清道訛りを駆使しながらコンパスで相手を制圧する喧嘩の強い女、ヨンスクはパク・ボヨンがこれまで演じた他の映画のキャラクターたちとは明らかに違う。少女のイメージを捨て、沢山のチンピラを部下に持つヨンスクに変貌したパク・ボヨンは、この映画の最大の見どころだ。


「僕らの青春白書」はなぜ1980代に行かなければならなかったのか?

レトロももう一つの楽しみだ。「サニー 永遠の仲間たち」から始まったレトロブームはその後「建築学概論」「ミナ文房具店」「全国のど自慢」などに広がった。ドラマでは「応答せよ1997」「応答せよ1994」が人気を集めた。今韓国の大衆文化は、まさにレトロ全盛時代と呼んでも過言ではないほどだ。

「僕らの青春白書」はこれらの作品に負けじとレトロなものを熱心に並べる。サンウルリム(山びこ)の「いたずらっ子」と SONGOLMAEの「偶然に出会った君」が流れる中、80年代忠清道の生徒たちの通学手段だった通学列車とデートの場所だったパン屋が主な舞台となっている。また、当時の中華料理店と劇場も登場する。今は消えた教練授業とその時の学生たちの遠足などは、その時代を経験した人には思い出を、知らない人には新鮮さを与える。当時流行したマクガイバーナイフ(スイス・アーミーナイフのことを指す)やローラースケート、そのときに流行っていたブランドが刻まれたスニーカーや靴下などの小物も思い出を呼び起こす。

4人の恋愛戦線が映画の主な流れになっているが、この映画はジュンギルの成長物語に近い。面白いことに「僕らの青春白書」は、1980年代のハリウッド人気映画「愛と青春の旅だち」と関係が深い。「愛と青春の旅だち」に登場した父と対立する息子の反発と離れた母への恨みなどが「僕らの青春白書」でほぼ同じように再現される。海軍学校の生徒だったザック・メイヨ (リチャード・ギア)の成長とジュンギルの成長は妙に重なるのだ。

「愛と青春の旅だち」で人前で(そのような)ふりをして生きてきた男性が真の愛の前で初めて自身の姿を表す部分は、ジュンギルとヨンスクの関係と重なってみえる。さらに「僕らの青春白書」のエンディングシーンは「愛と青春の旅だち」のエンディングシーンをそのまま持ってきた。しかし「愛と青春の旅だち」のテーマ曲である「Up where We belong」ではなく、1980年代の別の映画である「マネキン」のテーマ曲だった「Nothing's Gonna Stop Us Now」を取り入れたことは疑問だ。おそらく「誰も私たちを止めることはできない」というは歌詞が「僕らの青春白書」によりふさわしいと思ったようだ。

これまでの韓国映画で学園が舞台である、1970年代明るい笑いを誘った「ヤルゲ」シリーズと1980年代の受験地獄を題材にした「幸せは成績順じゃないでしょう」、1990年代のホラー映画「女子高怪談」シリーズの雰囲気とは全く異なる。「マイ・ボス マイ・ヒーロー」「風林高」「火山高」などは学園を暴力の場に変化させた。「暴力サークル」と「WISH」はこれらの正統な後継作品だ。いじめを題材にした「ケンカの技術」「放課後の屋上」は庶子だと見ても良いだろう。これを継承した「僕らの青春白書」の学園からは暴力の面白さ以外のものを見つけるのは難しい。

「僕らの青春白書」は、レトロの他になぜ1980年代に行かなければならなかったのかを説明できない。1980年代のレトロ映画の展示会はもう10年前に「品行ゼロ」「夢精期」「海賊、ディスコ王になる」などで終わってしまった。これらに比べ「僕らの青春白書」が進歩したところはない。ただ学園を暴力の場にした、「サニー 永遠の仲間たち」の七姫派の拡張版程度の意味しかない。

これは「悪い世界の映画社会学」で映画評論家のキム・ギョンウクが言及した「(1980年代の)政治、社会的痕跡を見せないためには、主人公たちは大人ではなく、まだ世間知らずの少年でなければならない。抑圧と暴力が混ざったその時代が少年たちの視線を通過し“郷愁”というふるいにかけられ、消えてしまう」という指摘と合致する。

「弁護人」を演出したヤン・ウソク監督は1980年代を産業化と民主化の密度が一番高かった時期だと言った。彼は、親世代がそんな1980年代をどう乗り越えたのかを見せたかったとも話した。このような激動の1980年代を生きた若い世代を不良とプレーボーイの恋愛だけで描いている「僕らの青春白書」は、現実逃避の映画に近い。果たしてその時代を生きた“血沸く青春”が見せられるのは拳と恋愛だけなのだろうか?その時代の青春を別の形で描いた映画が出てくることを期待しよう。

記者 : イ・ハクフ