「応答せよ1994」ソン・ホジュン“Araの将来の夫、僕だったらいいのに…”

OSEN |

ケーブルチャンネルtvNドラマ「応答せよ1994」が前作に続き再びブームを巻き起こしている。現在放送3週目を迎えた同ドラマの視聴率はほぼ6%で、毎回最高視聴率を更新しこれまでの数々の記録を塗り替えている。

このように「応答せよ1994」が人気を得ている要因には、シン・ウォンホ監督とイ・ウジョン脚本家コンビのしっかりとした演出と台本、個性と魅力に溢れるキャラクター、そしてそのキャラクターを完璧に演じきる俳優たちの好演があるという評価が大半を占めている。特に慶尚道(キョンサンド)出身のサムチョンポ(キム・ソンギュン)と全羅道(チョルラド)出身のヘテ(ソン・ホジュン)のコンビネーションは作品に活気を吹き込み、楽しさを倍増させている。

「これほど高い関心を得たのは生まれて初めてです」と不思議に思う俳優ソン・ホジュンと合井洞(ハプチョンドン)にあるOSENのオフィスで会い「応答せよ1994」について話した。インタビュー中ずっと標準語を使おうと努力するソン・ホジュンの姿を見るのも非常に面白かった。

“ヘテ”ソン・ホジュンの相手…Ara vs Tiny-G ドヒ

「応答せよ1994」は新村(シンチョン)にある下宿所の娘、ソン・ナジョン(Ara)の将来の夫探しに焦点が当てられた作品だ。下宿所で一緒に生活するスレギ(チョンウ)、チルボン(ユ・ヨンソク)、ピングレ(B1A4バロ)、ヘテ、サムチョンポの5人の男が候補である。毎回様々な手がかりが盛り込まれ、視聴者に推理させる。

「ナジョンの将来の夫は出演者たちも知りません。気になって監督に聞いてみましたが、全く教えてくれません。どう見てもスレギとチルボンが有力な雰囲気なのですが、僕としては『僕だったら』という希望もあります。まだ僕の名前はヒントにさえ出ていません。なぜここまで隠すのでしょう?(笑)」

ナジョンの夫探しを少し変えて、ヘテを中心に考えると、ヘテの配偶者探しというまた違う観覧ポイントが生じる。ヘテはナジョンの夫である“キム・ジェジュン”の候補者5人の中の1人で、反響を得ているサムチョンポとの男同士の熱い(?)関係、そして全羅南道(チョルラナムド)麗水(ヨス)出身でソ・テジの熱血ファンであるチョ・ユンジン(Tiny-G ドヒ)との妙な雰囲気がポイントだ。

「こんなに推理させるドラマだとは本当に知りませんでした。前作『応答せよ1997』を見たときは、推理よりは過去の郷愁に浸るだけでした。ユンジンとの関係も見守るべきですが、全く結末が見えてきません。必ずしも多くの方が望まれる方向に行くわけではないという予感がします」


「記憶に残るシーン?“涙のいちじくジャム”」

「目玉を抜き出して大根キムチと一緒に思いっきり噛んでやる」(「応答せよ1994」第2話、ヘテの台詞)

毎話印象深いシーンを作り出し、「応答せよ」の視聴者から「捨てるべき台詞とシーンが一つもない」と評価されている。特に、第2話に登場したヘテとサムチョンポの火花散る心理戦は、全羅道と慶尚道方言での悪口バトルでインターネットでも大きな話題になった。予告編に当たる第0話に登場した同シーンは放送前にもかかわらず、なんと23万回という驚くべき再生回数を記録した。

「そのシーンには実は秘密があります。台本にはただ『喧嘩する』と表記されていましたが、(キム)ソンギュン兄さんと実際に合わせながら現場で作りました。そのシーンが大きく話題になってとても驚きました。ソンギュン兄さんに『とてもやりがいあるし、不思議だと思わない?鳥肌が立った』というメールをもらいました。方言の台詞は、それぞれの出身地によって枠から外れない範囲内で変えてもいいと脚本家が許容してくださったので」

ヘテとサムチョンポの悪口バトルが妙なユーモアで多彩な韓国全国の方言の登場を告げたとすれば、第4話に登場したヘテの“涙のいちじくジャム”シーンは、故郷に関係なく親から離れ独立した全ての人々から高い共感を得て、人々の胸を切なくさせた。

「本当に記憶に残るシーンです。多くの方がSNSで『母を思い出した』『放送を見て故郷の実家に電話した』などのコメントを残してくれました。僕もそのシーンを撮りながらじーんときましたよ。撮影後親に電話をかけました。オンエアを見ながら、もう一度じーんときました」


「生まれつきの俳優?いいえ、徹底した努力派俳優」

ソン・ホジュンの出演作には、これまで映画「ブラッディ・ミッション」「パラム(WISH)」、ドラマ「コーヒーハウス」などがある。だが、「パラム」のヨンジュと「応答せよ1994」のヘテが同一人物であることを知らない人が多い。それもそのはず、「パラム」では生々しい釜山訛りを、「応答せよ1994」ではリアルな順天(スンチョン)訛りを自由自在に使いこなしているためだ。このような演技での変身にはいずれも目に見えない努力が隠れていた。

「映画『パラム』を撮るとき、とても苦労しました。撮影前に釜山で2ヶ月間滞在しながら市場などを回り、自然な方言を身に付けるため努力しました。生まれつき持っているものがあまりないので努力でもしなければ。当時に比べれば『応答せよ1994』でヘテが使う順天の方言は(光州出身だから)楽な方です」

2007年グループTACHYONでデビューしたが注目されず、結局ドラマや映画の脇役として出演し、身を屈めていた彼だが、「応答せよ1994」に出会って翼を広げた。「演技がとても好きです」と打ち明ける彼の目標は素朴だったが、真心が感じられた。

「スターを夢見たときもありましたが、時間が経つにつれ諦めました。その後『仕事さえずっと入ればいい』と思うようになりました。今、このように関心を集めているのは、まさに夢のようです。『応答せよ1994』を無事に終え、よい演技で恩返しすることしかこのありがたい気持ちを表現する方法がありません。着実に演技しながら多くの方に様々な姿をお見せしたいです。演技は本当に好きなことですから」

記者 : パク・ヒョンミン