【スターコラム】ポン・テギュ、オレンジ色のコートの少年がいきなり役者に! ― Vol.1

Kstyle |

ポン・テギュは、2000年イム・サンス監督の映画「涙」でデビューし、いつの間にかデビュー13年目の役者となった。2003年「浮気な家族」で印象深い演技を披露し人気を集め、ドラマ「屋根部屋のネコ」、シットコム(シチュエーションコメディ:一話完結で連続放映されるコメディドラマ)「ノンストップ4」で活躍し視聴者から愛された。

「クァンシクの弟クァンテ」「家族の誕生」「二つの顔の猟奇的な彼女」などで個性豊かな演技で好評を博したが、「カルジギ」以降事務所の問題と父の死去などの苦痛を経験し空白期に入った。さらに充実した姿で帰って来た彼は先月韓国で公開された「ミナ文房具店」に続き、現在SBSバラエティ番組「話神(ファシン)-心を支配する者」(以下「話神」)で“ポン記者”として活躍している。偶然な機会に俳優の道を歩み出したポン・テギュの率直なストーリーを聞いてみよう。/編集者

NAVER スターコラム:ポン・テギュ

こんにちは。NAVERスターコラムの読者の皆さん、ポン・テギュです。僕、毎日NAVERを使っていますが、このように皆さんにお会いできるとは思いませんでした。本当に嬉しく、光栄です。なにとぞ、僕のスターコラムも楽しく読んでください。

# 狎鴎亭で“路上キャスティング”…「これ、詐欺じゃない?」

デビュー前に僕はもともと、美大の受験を勉強していました。高校の時も予備校のレッスン料は自分で稼いでいたんです。ところが、腕を折って実技テストを受験できなかったので、浪人するハメになりました。今はどうなのか知りませんが、当時はレッスン料も高い方でした。浪人する時、6ヶ月バイトして、お金をためて予備校に通ったりしていました。当時1月だったんですが、狎鴎亭(アックジョン)にバイト先を調べに行ったんです。ある方に、「映画を作っているんだが、来い」と言われました。でも当時は路上キャスティングを悪用した詐欺が多い時期だったので、疑ったんです。

名刺に映画社の名前がありましたが、「反則王」を作った会社でした。僕は本物の映画社に行けば、放送局のように芸能人が多いだろうと思いました。それで見物に行ったら演出部に捕まって、色んなおかしなことを聞かれました。「家出したことはあるか」などなど。オーディション会場のドアを少し開いてみると、これはこれは。街中の不良は全部集まっているんです(笑) 面白いのは、当時僕を誘ったのが、今は有名なかのチェ・ドンフン監督でした。話もなめらかで、面白い方でした。演出部の兄さんたちと楽しく話し合って遊んだんですが、台本を投げ渡しては、練習して来いと言われたんです。

実は当時僕、体重を14kg減らしたんです。元々は結構ぽっちゃりしていました。名刺をいただいた日が、まだ思い浮かびます。オレンジ色のダッフルコートを着ていました。監督から評価されてキャスティングされたわけですが、その代わり条件が一つありました。1ヶ月半の間、体重を減らすように言われました。映画出演の時契約書を書くじゃないですか。何条何項にか「上記契約に違反する際は、違約金を支払う」という条項があったんです。それが本当に怖くて。契約金ももらいましたし、痩せなかったら違約金を払わされるんじゃないかと。ㅠㅠ

今考えるとおかしいですけど、一日に半食だけして、歩きながら痩せました。68kgから54kgまで痩せたんです。痩せぎすでやけになった姿を求められたんです。正直、家出してピリピリしている子がぽっちゃりしていたらおかしいじゃないですか。「涙」の撮影中もダイエットを続けていました。当時着ていた服は、全部女性服だったんです。今は太ったり痩せながら外形的な変化を与えてキャラクターを作るのは、あんまり好きじゃありません。体に悪いですし、無理やりやらなければならないので。とにかく、そのように僕の役者人生が始まったわけです。

# イム・サンス監督は怖い?実はそれは“マーケティングポイント”!

「涙」メイキングフィルムを見ると、イム・サンス監督が当時一緒に出演した人に演技指導をしながら激しく追い詰めるシーンが出てきます。見た方は、ちょっとしたショックだったかも知れません。でも、今だから言える!実は、それはマーケティングポイントだったんです。監督は基本的に、僕たちに非常に優しかったんです。ははは。

映画社の立場からも、PRはしなければならないのに、大変だったんでしょうね。何もない状態で、何かを創りださなければならなかったから。「悪い映画」に出てきた人たちは、本当に映画の中のキャラクターのような人生を生きるそんな子たちだったけれども、僕たちはそうではなかったので。それで、撮影場で監督とスタッフが頭を合わせて練り出したんです。怖い雰囲気を作ろうと。その人を逃がすまいと入り口を遮って、むやみに追い詰めて作戦を練ったんです。実際、そうしてもいいシーンでしたし。

当時インタビューをしていましたが、監督が「路上キャスティングした4人との作業はどうだったか」と聞かれて「4人とも絞め殺したかった」と答えました(笑) どれほどもどかしかったらそんな風に答えたんでしょう。(監督の)デビュー作が「ディナーの後に」で、ものすごい演技派の俳優たちが出演しているじゃないですか。それなのに僕達は、説明してもらっても何を言ってるのかさえ理解できなかったので…。でも同年代ということもあって、俳優同士は仲良くやりました。

# 一時僕にとって“俳優”は趣味だった

23歳くらいの僕のインタビューを見ると、「俳優は趣味でやっている」というコメントが出てきます。仕事でこれをやりたくはないと思っていました。ただ運が良くてやり続けていたら今までやるようになったんです。当時はそれほど自覚がなかったです。美術で大学に行きたいと思っていました。でも、一本一本やっていたら、僕も気づかぬうちに楽しくて責任も感じて、きちんとやってみたいと思うようになりました。

「涙」公開当時のインタビューでも「俳優を続けるのか」という質問に皆「はい」と答えるのに、僕は「よくわからない。状況を見て」と答えた覚えがあります。気が変わったのは、多分「浮気な家族」ぐらいだったでしょうか。もちろん、その前も現場は好きでした。若かったですし、色々世話してもらえて。「浮気な家族」をやりながら、演技って面白いと思うようになったんです。

実は僕はムン・ソリ姉さんが怖かったです。「オアシス」を見たんですが、本当に驚いたんです。当時の僕は、そこまで最善を尽くすことがどういうことかも知らない子だったので、「どうしたらあそこまでできるんだろう?」という思いがあったようです。驚きが怖さになって押し寄せたんですね。

「浮気な家族」が成功しなかったら、演技を止めようとも思いました。俳優を職業として受け入れている状態だったならともかく、そのような真剣な思いもなかったので、ただ不安なだけだったんですね。うまくやりたい気持ちはあるけれど、未来が不透明な状態で、当時公開もものすごく見送られて、観客に投資金をもらって公開に至りました。多分、クラウドファンディング(不特定多数の人がインターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うこと)の最初の例だと思います。芸術映画でしたし、難しい映画だという認識があって、配給会社を手配するのが大変だったんです。その間仕事も休みましたし、「浮気な家族」までは責任を取ろうと思いました。でも、うまく行ってよかったです。

# “運”は、誰にでも公平なもの

チョン・リョウォンさんと一緒に出演した「二つの顔の猟奇的な彼女」は、本当に運がなかったです。ㅠㅠ 当時、連休7~8日くらいの本当に長いお盆休みでした。皆海外旅行に旅立って、最高のオフシーズンとなったんです。誰が予想したでしょう。お盆がオフシーズンになるなんて。それに僕たち、本当に一生懸命面白く作業したので、自信があったんです。マスコミ向け試写会を3週間前にやったくらいでしたから。これ見よがしに。

以前は結果に非常にこだわりましたが、今は違います。誰のせいにもできません。映画もうまく撮れて、公開もお盆期間だったのに、オフシーズンになるとは誰も想像だにできなかったので。「クァンシクの弟クァンテ」は、11月のオフシーズンに公開したのに、最初週だけで100万人の観客を動員しました。いわば、ジャックポットでした。

だから、運というものは、誰にでも公平だと思います。それを取る人によって、結果が変わると思います。計算したり予測することができない。公平に分けられたものに対して、何が起こるかはわからないんです。自分ではどうしようもない。前は、結果にこだわったあまり、過程を楽しむことができませんでした。頑張らなければ、という強迫観念に駆られて、ある瞬間自分の行動一つ一つを裁断していました。努力は数値で表したり文書化することが出来ないじゃないですか。でもそれは間違っていますよね。周りの人も疲れるし。

作品がうまく行かなかったり、誰かに良くない評価を受けた時、もちろん自分の作品なので抗弁することはできます。でも、変だという所まで認めるのがクールだと思います。それを認めないのは、卑怯だと思います。僕はいつかある番組で「僕はあの映画を何で撮ったのかわからない」と言ったこともあります。本当に卑怯でした。


# ホン・サンス監督、ご連絡ください

実は僕は、ピリピリしていることで有名でした。関係者の間での噂も、悪かっただろうとおもいます。あえて言い訳すれば、必要ないことではそうでもなかったですが、やや熾烈に振舞っていただけです。「もっと、もっと」と追い詰めて、できないこともすぐには認めませんでした。演出者と1週間に6回会ったこともあります。特に言うこともないのに、頑張らなければという強迫観念のせいで。

撮影がなくても現場に行って、寒くても車に入らなかったりしました。それが正しい頑張り方だと勘違いしていたんです。でも、それは決して正しいことではないです。相手の俳優にやみくもにプレッシャーをかけることがあるので。皆、口には出さないけれど、本当に鬱陶しかったと思います。そんな行動は、間違っていたと思います。最高のコンディションで取り組むのが俳優の役目ですので。

これからは、もっと過程を楽しみたいです。本当に自分がやりたいがままにやりたいですし。以前は色々な噂や周りの視線の方に気を遣っていました。でもこれからは、自分が好きで、やりたいことをやりたいです。自ら重心をちゃんと据えるのが、責任ある姿だと思うようになりました。次の作品は、まだ選んでいます。地上波でも総合編成でもいいですし、作品の規模も関係ありません。インディーズ映画にも関心大ありです。個人的には、ホン・サンス監督の映画に、是非出演してみたいです。本当に、超是非。このコラムをご覧になりましたら、是非一度ご連絡ください。^^

1部はここまでにして、2部では僕のユニーク(?)な趣味生活と「話神」に関する話をお聞かせします。もっと面白くなりますので、期待してください。

文:ポン・テギュ

「NAVER スターコラム」は、注目の俳優やアイドル、アーティストたち本人がコラムを執筆。話題のスターが直接書いたコラムをお届けしています。

記者 : ポン・テギュ、編集 : ファン・ヨンヒ代表(アジア経済・スポーツトゥデイ)、写真 : キム・ヒョボム(ロードスタジオ)、KEYEAST