Vol.1 ― “監督”ユ・ジテ「いずれ政界進出ですかって?ハハハ」

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ブランドショップのショーウィンドウに陳列された輝く時計のようだった。低い声から感じられるオーラやすらりとした外見から漂う気品に圧倒されることもあった。ラフでありながらも一方ではなぜか分からない冷気が漂う俳優であった。ユ・ジテ(37)の過去はそうだった。

華やかな“俳優”という服をしばらく脱ぎ捨てたユ・ジテは、メガホンを手にすると全く違う人になった。もう少し気さくで、かなりの人間味も溢れる人となった。特別に人が好きで、特に疎外された孤独な人々に関心があった。孤独を楽しめる芸術家であり、寂しさが何なのかを感じられる監督だ。そして人の香りを嗅ぐことができる男だ。

丁寧に作り上げたユ・ジテ監督の初の長編映画「マイ・ラティマ」(制作:ユムービー)が、溢れる人間味で観客を迎える準備を終えた。すでに短編映画「招待」(2009)、「我知らず」(2008)、「盲人はどんな夢を見るか」(2005)、「自転車少年」(2003)を通じて監督への野望を表したことがあった。「マイ・ラティマ」は監督として本格的に演出に足を踏み出した作品だ。

常に社会的弱者に対する人並みならぬ視線を持っていた彼は、今回も若年層の失業問題や移住した女性など、世の中に受け入れられていない人々のストーリーを重みのあるタッチで描いた。病んだ社会を指摘し、世間に知らせようとするユ・ジテ監督。なぜ彼は社会問題にここまでこだわるのだろうか。

「どんどん社会問題に関心を持つようになりました。本当は遠い話でもないのに、社会はずっと隠そうとしているでしょう? 世の中が進化するほど、疎外された人々は増えていくのが現実です。映画業界もそうですよ。最近は芸術を表に出しているけれど、その内面は実はとても商業的です。お金を稼ぐために映画を作っているし、作品を作るために映画を手がける制作者、監督は少ないです。本当に怖いですね」

とびきり正義感の溢れる人というわけではないが、病んでいく世の中を少しでも変えることができれば、いつでも顔を貸しても良いというユ・ジテ監督。彼が多様性のある映画を応援する理由もここにある。

ユ・ジテは最近多様性のある映画への関心を促すために映画「家族の国」(監督:ヤン・ヨンヒ)の映画チケット100枚をSNSを通じて無料で配布した。

「少ない量ですし、意味のあることでしょう? 全然もったいなくないですよ。『君の仕事に集中しろ』と言って文句をつける人もいるかもしれませんが、これはあくまでも自分の個人的な意志ですので曲げたくはありません。冷たい社会に貢献する人になりたいです。いつも社会に還元しなければという責任意識を持っているんです。ノブレス・オブリージュ(位高ければ徳高きを要す)と考えても良いと思います。もちろん僕は高官でも何でもないのですが、一般人に知られている人として少なくとも僕の関心のある分野を支えていきたいです」

知っている人も多いが、ユ・ジテの祖父は1960年第2共和国の発足当時、大統領選挙に立候補した故ユ・オクウ元国会議員だ。血は争えないのだろうか。清廉潔白で有名だったユ元議員のように、ユ・ジテ監督も芯のある真っ直ぐな信念を持っている。多分彼の思うノブレス・オブリージュは、祖父の影響が大きかったのだろう。もう少し明るい世の中になってほしいというユ・ジテ監督。政界進出を目指しているのではないだろうか。

「ハハハ。全くそのようなことは思っていません。全然ですよ。僕は映画ができるというこの人生にとても満足しています。これ以上幸せにはなれません。時間が経つほどスターよりは俳優として呼ばれ、俳優よりは監督として呼ばれるでしょう。そして監督の後は社会福祉活動家と呼ばれたいです。人生の最後の目標は社会福祉活動家です。できれば、僕が人々の記憶に残っているうちに福祉活動をたくさん行いたいです。すると、人々もどんどん世の中に目を向けるようになるでしょう?バタフライ効果で、いつか暮らしやすい世の中になるでしょう」

記者 : チョ・ジヨン、写真 : ムン・スジ