「ベルリンファイル」リュ・スンワン監督“海外でお金を無駄にしているのではないか…つらかった”

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映画界の異端児と呼ばれた頑固一徹なリュ・スンワン監督(40)に、まず謝りたい。アクションに誠意を込めるその情熱が最初は理解できなかった。映画監督なのか武術監督なのかが分からなかったから、それに対する偏見が頭の奥にあった。しかし、彼にひざまずきたくなった。一つだけを追求した“武術界の達人”は大きく変わっていた。固くなり、強力になった。

上半期最高の期待作と言われているアクション映画「ベルリンファイル」(制作:外柔内剛)は、ドイツの都市ベルリンを舞台に、互いの標的になった韓国と北朝鮮のスパイたちが繰り広げる、生き残りをかけた対決を描いた作品だ。久々の韓国産スパイアクション映画だからか、公開前にもかかわらず、すでに反応が尋常ではない。それだけではない。映画を率いてきたリュ・スンワン監督は、“アクションキッド”の代わりに“アクションの神”という新しいニックネームを得た。漢江(ハンガン、ソウルの真ん中を通る川)を凍らせた寒波も力を失う熱気である。

インタビュー現場で会ったリュ・スンワン監督に、現場の良い反応を伝えた。すると、彼はむしろ乾いた目をこすりながら「まだ公開前だからね…」と緊張した心境を打ち明けた。蓋を開ける前にヒットを大言壮語することはできないようだ。落ち着かない様子で公開日を待っているリュ・スンワン監督の姿は、見慣れないものだった。そうしている彼は、ただもろくて弱い一人の男性に見えた。

◆興行成績が良ければ、踊ってお辞儀をする?

リュ・スンワン監督は、1996年に発表した短編映画「変質ヘッド」でデビューした。初めての商業映画は2000年に発表した「タチマワLee」だった。その後「ダイ・バッド 死ぬか、もしくは悪(ワル)になるか」(2000)、「血も涙もなく」(2002)、「ARAHAN」(2004)、「クライング・フィスト」(2005)、「相棒 シティ・オブ・バイオレンス」(2006)などの作品を披露し、2010年には「生き残るための3つの取引」で276万人という最高スコアを記録したりもした。「ベルリンファイル」はそれから、3年ぶりの復帰作である。

階級自体が変わった。これまでの作品が素朴なライト級だったとすれば、「ベルリンファイル」は100億ウォン(約8億4千万円)が投じられたヘビー級だ。そのため、かなりプレッシャーがあったという彼は、先立って行われたプレミア・レッドカーペットイベントでまだ面くらっていると話した。

彼は「今回、不思議な経験をたくさんした。記者やメディアデーもそうだし、レッドカーペットイベントもそうだ。ハリウッドではよくあることだけど、私が、それも巨大な永登浦(ヨンドゥンポ)でそんなにたくさんの人を集めることができたという事実に驚くばかりだった。もちろん私のことを見に来た人々ではないけど…」と言いながら、照れ臭い表情で冗談を言った。

当時、約2000人のファンが集まったレッドカーペットイベントで、「ベルリンファイル」の人気を実感したというリュ・スンワン監督。しかし一方では、思う存分楽しむことはできなかったという。観客に披露するショーの一環だが、緊張して真心を尽くすことができず、申し訳なかったと言った。何一つ、いいかげんにできない人である。

「リュ・スンボムと控え室にいたら、制作会社のカン・ヘジョン代表が携帯電話で撮った写真1枚を送ってくれました。イベント会場を撮ったその写真を見ながらリュ・スンボムと一緒に『うわ~僕らはここに立つんだ』と言って喜びました。生きていると、こんな日も来るんですね。レッドカーペットを歩いている時、ある方が私に向って手を差し出すので握手をしてあげようとしたら、慌てて避けられました。恥ずかしくて手を振りながらごまかしました(笑) もし映画の興行成績までよければ、調子に乗って踊り、丁寧にお辞儀をするかもしれません」

◆奇妙な都市、ベルリン。映画を撮るしかなかった運命

映画「ベルリンファイル」のはじまりは好奇心だった。普段からスパイというテーマに興味があったし、「生き残るための3つの取引」の前後には、そのテーマを本格的に描きたくなった。正直に言うと、韓国と北朝鮮のスパイではなく、冷戦後の産業スパイを取材していた。ところが、冷戦時代のスパイに対する好奇心がしきりに沸き、結局、北朝鮮のスパイにまで行き着いたという。賢い方向転換だった。

何より映画を制作する段階で、リュ・スンワン監督は次のような意識を持っていた。彼は「韓国は、21世紀に冷戦を経験している唯一の国ではないか。北朝鮮は、最も近いところにある国だが、同時に最も遠い国でもある。私はフランス人、アメリカ人の友達もいるが、北朝鮮の友達はいない。だから北朝鮮というところが想像力を刺激する原動力になった」と説明した。

北朝鮮とベルリンをつなげる過程は難しくなかった。ドイツも分断国家の一つであったし、今は統一されたものの、依然として分断の雰囲気と痛みがそのまま残っている国でもある。さらに、2011年「生き残るための3つの取引」が第61回ベルリン映画祭のパノラマ部門に公式招待され、ベルリンを訪れた時の経験が決定的な原動力となった。

そこで見た北朝鮮大使館の姿を忘れることができなかったというリュ・スンワン監督。大使館のうち、最も大きな規模を誇る北朝鮮大使館を見て、妙な気分がしたという。それと同時に、「この都市だ」という感嘆の声を上げていた。

「映画の中のベルリンは、実際のベルリンとちょっと違うように見えるかも知れません(笑) 私はベルリン映画祭の時に初めてベルリンに行ったけど、当時は2月でとても寒かったです。うら寂しく、街に人もあまりいませんでした。最初は他のヨーロッパの国よりかっこよくないと思いました。それにもかかわらず、妙に惹かれました。そのまま残っている第2次世界大戦時の残骸を見ると、口では表せない気持ちになりました」

◆海外ロケでの撮影が1回遅延されると、7000万ウォンが無駄に

「ベルリンファイル」で最高の評価を受けるのは、やはりアクションシーンだ。目を離すことができない華やかなアクションで、見る人々を圧倒する「ベルリンファイル」。アクションの真髄を見せてくれたと言っても過言ではない。素早い手の動作が特徴である撃術から銃撃、カーチェイスなど様々な見所で観客を虜にする。これまで積んできたアクションのノウハウを思う存分アピールしたリュ・スンワン監督の自信がうかがえる。

「ベルリンファイル」の撮影は、大作映画であるだけに、ベルリンとラトビアなどでロケを行った。おかげで美しい風景とスケールの大きいアクションは完璧に調和し、一段とすばらしいシーンを完成させた。しかし映画の中の美しいアクションとは違って、撮影現場は地獄を連想させるものだったとリュ・スンワン監督は打ち明けた。

海外ロケでの撮影は、思ったより大変だった。制作費の影響を最も大きく受けるからである。突然のアクシデントで撮影が遅延することになると、映画チームが被る金銭的な損失は非常に大きいという。「ベルリンファイル」も例外ではなかった。撮影が1回遅延になれば7000万ウォン(約590万円)というお金が無駄になってしまうという。

リュ・スンワン監督は、当時のことを振り返りながら「海外ロケ撮影はただ良いことばかりではない。宿泊費、食事、契約期間などを守れなかった時には、たくさんのお金が流れてしまう。あっという間に…」と言いながら首を左右に振った。

「海外でお金を無駄にしているのではないかと思いました。実際、その辺が一番きつかったです。私たちはベルリンで撮影しなければならない量がとても多く、撮影時間を短縮するどころか、約束した時間内に終えることも難しい状況でした。カーチェイスシーンを撮影する時には、全てのカメラを貸りて自動車の動線に全部設置しました。おびただしい量のテープが出ましたが、仕方ありませんでした。その分、編集がとても大変でした。だから、現地のスタッフに『Crazy』と言われたのかな?死活をかけた我々の姿が、正気には見えなかったと思います。ハハ」

記者 : チョ・ジヨン、写真 : ムン・スジ