【ドラマレビュー】「会いたい」カン・ヒョンジュンとイ・スヨンの結末が違った理由

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※この記事にはドラマ「会いたい」の結末に関する内容が含まれています。

「会いたい」が伝えようとしたメッセージ…「癒しは復讐ではなく、愛だ」

写真=MBC
「私、ジョンウのことをたくさん憎んだの。悔しいのに怒りをぶつけるところがないから『復讐しなきゃ』と。そしてジョンウに意地悪したりもしたじゃない。でもジョンウがたくさん愛してくれるから、憎しみも全部消えてしまったの。傷も癒されて」

MBC「会いたい」(脚本:ムン・ヒジョン、演出:イ・ジェドン)の中のイ・スヨン(ユン・ウネ)の台詞だ。この台詞ほど、ドラマの核心を抑えている言葉もないだろう。

17日に放送終了した「会いたい」で、どんでん返しはなかった。“勧善懲悪”のメッセージを伝えた平凡な結末だった。「会いたい」はオーソドックスなロマンスから逃れ、社会的メッセージを伝えるとしてスタートしたが、ドラマの半ばから相次ぐ殺人事件で流れがおかしくなり、挙句の果てに「ありきたりの復讐劇だった」との酷評を受けるに至った。しかし、このドラマが「ありきたりの復讐劇」だったとの意見には、完全には同意できない。「会いたい」が語ろうとしたのは、復讐ではなく、愛だったからだ。

傷を癒すには「復讐」しかないのだろうか。

このドラマの主人公のイ・スヨ(ユン・ウネ)ンとカン・ヒョンジュン(イ・スンホ)は、いずれも傷を抱いて生きて行くキャラクターだった。ある意味では、2人とも傷を持っているので、お互いに支え合いながら暮らすことが出来たかも知れない。そして2人は韓国に戻り、それぞれハン・ジョンウ(JYJ ユチョン)とハン・テジュン(ハン・ジニ)への復讐を試みる。しかし結果は天と地ほどの差だった。イ・スヨンはハン・ジョンウとの結婚に成功したのに対し、カン・ヒョンジュンは腹違いの兄ハン・テジュンと並んで監獄行きとなった。

何故このような差が出来たのか。その理由は「愛」ではないだろうか。ハン・ジョンウはイ・スヨンの足にある、父親のせいで出来た傷跡を見ながら「まだ痛むの?」と訊く。幼いイ・スヨンはその傷跡を常に隠し、心を痛めていた。物理的苦痛より、精神的苦痛のほうが大きかったためだ。これを知ったハン・ジョンウはイ・スヨンの傷跡を自身の手で覆いながら「これで痛まないだろう?見えないから」と、おまじないを掛ける。「さ~消えたぞ。悪い記憶。これからまた作れば良いのさ、良い記憶を」と話す。

このシーンこそ、傷は復讐ではなく、誰かを包み込むときに癒されることを表している。もうスヨンは痛がらない。「この傷跡を見ると、父から逃げていた記憶よりも、今のようにジョンウが私の足の甲を覆ってくれた記憶を思い出すの」との言葉で、傷が癒されたことがはっきりした。このように幼いころ、自身を捨てた裏切りに囚われ、ハン・ジョンウを苦しめていたイ・スヨンは、ハン・ジョンウの変わらぬ愛により癒された。

非道で残酷な殺人事件が発生するたび、韓国社会では「死刑に処するべきだ」との声が高まる。「彼らも同じ目に遭わせる必要がある」と主張する。簡単に言って「復讐しよう」とのことだ。しかし復讐して、何かが変わるだろうか。法律を利用している点が違うだけで、受けただけ返すという意味では「会いたい」のカン・ヒョンジュンと同じく思える。しばらくの痛快さは味わえるかもしれないが、それが残った者の傷を包み込めるかは疑問である。

何もかも愛で包み込もうというわけではない。「会いたい」は、妥当な処罰は受けるべきだが、本当に傷を癒すのは復讐ではなく「愛」というメッセージをはっきりと伝えた。ドラマの完成度から来る物足りなさにも関わらず「会いたい」の意味を探すのであれば、これだろう。

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記者 : イ・ヨングァン