「白夜」イソン・ヒイル監督“クィアという言葉自体、なくなった方がいい”

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写真=Cinema DAL

担任教師ギョンフン(キム・ヨンジェ)と彼にしつこく付きまとう高校生サンウ(ハン・ジュワン)。彼らのお互いを見つめる目は尋常ではない(「Suddenly Last Summer」)。休暇をもらった軍人ギテ(キム・ジェフン)は、先任だったジュンヨン(チョン・シンファン)に睡眠薬を飲ませ、どこかに連れていく(「Going South」)。“鍾路(チョンノ)無差別暴行事件”の被害者だったウォンギュ(ウォン・テヒ)は、2年ぶりに鍾路に戻り、インターネットのチャットルームで知り会ったテジュン(イ・イギョン)と一晩を共に過ごす(「白夜」)。

“クィア連作”「Suddenly Last Summer」「Going South」「白夜」が、15日に韓国で公開された。脱走兵の物語を描いた「脱走」以来2年ぶりに復帰したイソン・ヒイル監督に映画公開の直前に会った。「積極的に恋人を募集中」と冗談を言う彼は「後悔なんてしない」(2006年)で長編のクィア映画(性的マイノリティを扱った映画)としては稀なことに5万人の観客を集め、独立映画界を代表する監督としてよく知られている。

映画の外面的な部分だけに照明が当てられることよりは、「多作の監督が好きだ」と話したイソン・ヒイル監督は「同性愛、異性愛の境界線を引いてはいけない」と言う。彼が“性交”と共に“散歩”を意味するラテン語“coire”を思い出したことも同じ脈絡だと思う。もっぱら二人の主人公の関係と短い出会いに集中する“クィア恋愛映画”をまとめるキーワード“coire”のように、内外の人と“並んで一緒に歩く(映画)散歩”をすることを意味する。

“クィア恋愛映画”を連作した映画監督イソン・ヒイル

―商業映画「脱走」(2010年)以来の独立制作映画だ。

イソン・ヒイル:経験を積み重ねたおかげで低予算映画も上手く作れる(笑) 実は、100億ウォン(約7億円)をかけた映画も、独立映画も厳しい状況は同じだ。規模が大きければ大きいほどその状況に合わせるからだ。結局違いは、撮影回数になる。100億ウォン規模の映画は、それだけ時間を費やして長くするが、最近の短編映画の撮影回数は12回を越えていると聞いて悪口を言ってやった(笑)

―クィア連作、やはり普通ではない。どの様に今回の映画制作が始まったのか?

イソン・ヒイル:「Suddenly Last Summer」は、ある文化財団の支援で昨年の夏に5回で撮影した。「白夜」は、今年全州(チョンジュ)国際映画祭の出品作だった。今夏6回で撮影した「Going South」は、スケジュール上もっと急がなければならなかった。10年以上一緒に仕事をしてきたスタッフがいなかったら、できなかったと思う。3本共コンテもなかったが、安い制作費で撮ってきた10年の経験がなかったら、5~6回の撮影で映画一本は撮れなかったと思う。有難い限りだ。

―テーマは、どこから持ってきたのか?

イソン・ヒイル:「Suddenly Last Summer」は、準備していた長編「夜間飛行」のプロローグのような感じだった。撮影が終わったある日、お酒を飲みながら「冬に遊んでいてどうするのか。短編を連続で公開したらどうか」と思った。「白夜」は、以前好きだった人と手を繋いで鍾路一帯を一晩中歩いた時のドキドキした思い出から出発した。軍人だったその人は復帰する前日だったが、復帰の準備を全部済ませてから来た(笑) 「Going South」は、映画に使われたGoonamguayeoridingstellaの同名の2枚目アルバムの収録曲を聴きながらエンディングシーンだけを考えた。「3番目はこれで行こう!」と。だからシナリオではまだ雪が残っている(笑)

―主に新人俳優がオーディションを受けたというが、クィア映画だから簡単ではなかったと思う。

イソン・ヒイル:実は、コリン・ファースのような俳優もクィア映画に4回も出演したのに……未だにゲイを演じることに対するよくない視線が確かにある。だが、新人や無名の俳優は積極的に演じたいと言ってくれる。彼らの中でも本当の俳優になりたいと思う人が減っていることはあるが、皆アイドルコースを経ていた。

もっと困惑したのは出演者の親だった。子供をキャスティングしているのか、親をキャスティングしているのか……。事務所も承諾し、台本の読み合わせまでしたある俳優が練習をしていたが、ある日聖書を持ったその俳優の母親が駆けつけてきて大騒ぎになった。そして私も「あなたたちとはやらない」と言った。今は、俳優の親から説得しなければならない状況になったわけだ。

俳優になって演技をするためには、人生を自分で決める独立性がなければならないはずだが、ただスターだけを追っているような気がする。新自由主義の下の青年たちの表象、症候を見たような気がしたと言えるのだろうか。自身の権利を親に譲ったピーターパンのようにも見える。幼い俳優がそのように使われていることを見ると複雑で憐憫も感じる。

―感情が重要な映画であるためか、俳優の視線に深みがある。

イソン・ヒイル:皆よく演じてくれた。特に、キム・ヨンジェは欲を出し、昔の独立映画を一緒に撮る感じだと言った。お互いに10年以上見てきたのだから。ハン・ジュワンは、ちょっと辛そうに見えたが、アドリブもたくさんしてセンスがあった。新人は、頭も複雑で凹んだりもしたが、不思議にもそんな演技が異なる結果を生み出したりした。俳優の皆には感謝しているし、今回の映画が新人3人の踏み台になってほしい。

―結局3本共に“境界”に関する映画だ。

イソン・ヒイル:それだけでもない。よく見れば3本共ハッピーエンドだ。「Suddenly Last Summer」は、エンディングがファンタジーのように見えたのか、観客たちが好いてくださった。「白夜」は、特にサービスのようにハッピーエンドを与えたかったし、「Going South」は宣言のようなものだ。「分かった。もういいから」という感じ(笑)

―言い換えれば、キャラクターには確かにある種の恐れがあるようだ。

イソン・ヒイル:2番目のクィア映画だから明るく作らなければならないと思う必要はなかった。一応私の目に見える子たちがそういう子だから。(ゲイ対する)雰囲気がよくなったと言われるが、厳しいことは同じだし。結局全部境界に関する映画だ。

「Suddenly Last Summer」は、ゲイコミュニティの中でさえ禁忌に思われる師弟関係、いわゆる“青少年誘惑理論”への反論と言えるのだろうか。外(異性愛者の社会)で(ゲイ)コミュニティの中に権力や金が入ってきて境界を作る「白夜」も、結局(ゲイ)コミュニティの外の接点で暴力が発生することになる。一方、「Going South」の主人公は異性愛と同性愛の境界に立っている。「私もよく分からない」という台詞で代弁される、同性愛を経験したが門を閉ざしてしまうこと。知りたくないことなのだろう。

―それでは、明るいクィア映画に対する観客のニーズについてはどう思うのか?

イソン・ヒイル:1990年代半ばに出た「イン&アウト」という映画があるが、クィアをコミカルな恋愛として表現した。どうしてもジャンルで消費すること、一つの人生を一方的に消費することは少し警戒しなければならないと思う。コメディにしてもリアリティを入れなければならないし。真実性があるように、苦しい表現を使わないながらも消費されることはあってはならないということだ。

―それでも、クィア映画の範囲が以前に比べ拡大していることは事実だ。

イソン・ヒイル:キムジョ・グァンス兄さんが制作したコミカルな恋愛映画も出ているし、私の演出部で映画制作を始めたソ・ムンジュンが「REC」を演出したりした。芸術性を強調した映画もあるし。範囲は確かに拡大しているようだ。ゲイは色々だから広く作られるが、逆にレズビアン映画の方がもっと難しい。人口の比率だけみても、レズビアンがカミングアウトする割合がずっと低いように。

―韓国社会の特殊性のため、時に、必ずしもゲイ、レズビアンの監督だけがクィア映画を作らなければならないのかと考える時もある。

イソン・ヒイル:スティーヴン・フリアーズ監督は、「マイ・ビューティフル・ランドレット」以外にも何本か制作していた。そのようにセクシュアル・マイノリティの話を扱いたい監督は多い。色々な視線が厳しいだけだ。キム・スヒョン監督の「かわいい」は、本当にいい。初めはクィア映画祭でも「監督のセクシュアル・アイデンティティが前提条件なのか」という自問が多かった。自らからが偏見を持っているわけだ。異性愛者が見るセクシュアル・アイデンティティに関する映画もあり得る。同性愛、異性愛を分けること、クィアという言葉自体がなくなった方がいいことのように。

「『白夜』での復讐のような選択……毎回が葛藤」

―とにかく、3本共二人の間には権力関係が存在する。階級であれ、階層であれ、お金であれ。

イソン・ヒイル:男女関係と変わらない。片方がもっと金持ちで、能力があったりして。恋人関係には、それが影響するのではないか。どうやら日常化して繊細な話よりは、例外な状態に関心が高いようだ。主流から外された存在は追放したり例外の状態に残しておく。そのように周辺の話は、主流が排除する中に存在する。

―「Suddenly Last Summer」がハンドヘルド方式で人物の感情を追っていくことに対し、「白夜」は静的な画面が印象的だ。

イソン・ヒイル:“水平”な感じがするように撮った。“散歩”する感じを与えるように。それで、「白夜」はロングテイクでもたくさん撮った。また、連作だから「Suddenly Last Summer」のようにハンドヘルドもしたくなかったし。ステディカムも使ってみたが、技術的に大変だった。そこで、「脱走」を一緒に撮ったスタッフが今回は電気車を開発した。「白夜」のロングテイクシーンもそれで可能になった。雪の降るシーンもそうだし。綺麗でしたよね?(笑)

―二人の主人公が分かれた後の感情を少し長めに見せてくれたので、少し迷っている感じもした。

イソン・ヒイル:迷う感じよりは、ジャンルへの反感があった。荒い感じが入ることが嫌だった。バランスが崩れてそこに陥るのではないかと。でも、復讐の過程は、よく描かれていると思う。復讐の快感だけを見せる映画がこの頃多かったのではないかと思う。見せる代わりに、カメラを後ろに置いてロングテイクで撮ることにした。その瞬間の選択で毎回葛藤する。

―一方、「Going South」はその中間のような感じもするし、撮影がちょっと異なるように見えた。

イソン・ヒイル:「白夜」にはフィックスとトラックだけを使ったが、「Going South」は撮影時間が短くてもトラックの感じを生かしたかった。最近溝口健二の映画を見ながら流麗なカメラワークに魅了された。それを真似するわけではなく、進化させてみようと思った。「Going South」の雰囲気とよく合って相乗効果もあったと思う。

―「Suddenly Last Summer」「白夜」は都会的な感じであることに対し、「Going South」は背景から違う。地方であり、森だ。

イソン・ヒイル:好きなシーンがあった。主人公が川に沿って歩き、森に入ってほおを殴る。追って行ったカメラが突然視線を変えれば、背景は全部山で水だ。個人的には、草が出てこないと情緒的に不安だ(笑) 「白夜」と「Suddenly Last Summer」はソウルをよく撮ったと評価されたが、個人的には有難い。だが、私が見るとなんとなく田舎の人が上京して見ている感じで、愛憎と憧れが錯綜するような感じだ。そうしてまた草が出るといいし。だから、韓国の映画監督の中でも草を刈るのは一番上手だと思う。田舎出身なので。現場では草刈りの神だ(笑)

―俳優たちが皆綺麗でカッコいい(笑) 個人的な趣向が反映されたキャスティングなのか?

イソン・ヒイル:それがすべてではない。個人的には一重の方が好きだ。猫のような顔は好みではない(笑) キム・ジェフンがちょっとそうなのだろう。

―興行収入は予想しているのか。「後悔なんてしない」の時からファンが存在した。

イソン・ヒイル:その時は(クィア)映画が初めてだったのだろう。外国の映画もあったが、それでも人が集まって騒ぎになった。今もたくさんの方が好いてくださっているが、その時は予約だけで3000人だったのだろうか。今は、こちらの市場もある程度安定したようだ。実は、「後悔なんてしない」という映画は、汚い映画として認識された。でも、今回の映画はヒストリーを追跡するものではなく、6時間を短く凝縮した。「白夜」も一晩でなかったら、もっとヒストリーを作って変化を与えることができたと思う。

「クィア映画は心の借金のような感じ」

―「2 Doors」が興行収入の面で成功したが、独立映画の活気は昨年より落ちたようだ。

イソン・ヒイル:今年だけで見ると、ドキュメンタリーを除いては観客を引き付けるほどの映画がなかったと見るべきだと思う。だが、有難い。実は、「2 Doors」は大統領候補も、国会議員も大勢見たと言われたが、7万人だなんて。観客は賢いと思う。義務で映画を見るわけにはいかないと思う。ただ、ナショナリズムと鍋根性(早く熱くなって早く冷める根性)は、依然として残っているようだ。

―独立映画の環境はどうだと思うのか?

イソン・ヒイル:同じだ。辛いし、難しくてイライラする。独立映画が数本しかなかった10年以上前からやってきたが、その時も、今も、配給の環境、映画振興委員会のマーケティング支援の環境は同じだ。表ばかりだと思う。文化面でのクオリティの向上、発展への長期的計画が必要だ。現政権に期待したとすればそれは馬鹿な話で、全般的な韓国のシステム、文化政策に問題がある思う。

―それでも独立映画が現在のような成果を出せる要因を挙げるなら?

イソン・ヒイル:それでも独立映画が維持されている理由は2つだ。まず、運よくわずかだが市場ができた。資本主義が文化を取り入れ、商業化する前に1970~80年代の抵抗文化がそれなりに文化として存在していたため、生き残ることができた。運がよかったわけだ。そして、現在独立映画の方で配給や映画祭、制作を行う人は皆デモをした経験のある人だ。その人たちが40代を超え、50代になるとこのような環境もなくなるようで心配だ。他の若い人材がエネルギーを持って活動する必要がある。

―次回作として高校生の話である「夜間飛行」を作ると聞いた。

イソン・ヒイル:それでなくても今年成功した制作者が一緒にやろうとは言ったが(笑) 韓国の映画界はいつもそうだが、朝令暮改(命令や政令などがすぐに変更されて一定しないこと)だ。今は投資がよくされているが、「脱走」を作る3年前にも皆坡州(パジュ)に引っ越しをするなど忙しかったのではないか。映画界が不況を克服しなければならないだろう。今作ろうとしている「夜間飛行」は、とにかく「脱走」以降作ろうとしていた連作の最初の作品と見ればいい。

―最後に、イソン・ヒイル監督にとって“クィア映画”とは?

イソン・ヒイル:「またクィアか?」とも思う。一方では、心の借金のような感じもある。捨てて行かなければならないような。心の借金でまた止めるかもしれないが(笑)

記者 : ハ・ソンテ