【スターコラム】ソ・ジソブがソ・ジソブを語る ― Vol.2

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ソ・ジソブを見る人々の視線は2つに分けられる。眩しいほどの容姿で覆われた華やかな上辺が先だ。しかし、極少数の熱心なファンは、ソ・ジソブの重みを知っている。華やかな包み紙の中に隠された本当の心を知っている。ソ・ジソブはそんな人間であり俳優だ。芸能界におけるソ・ジソブに関する共通の意見は“義理”だ。それだけ人との関係を重視する。逆に、その関係の重要性を知っているため、周りの人に簡単に気持ちを打ち明けたり、心を許したりしない。しかし、一度心を許すと、自身の何もかもをさらけ出してしまう男がソ・ジソブだ。俳優ソ・ジソブの前に、人間ソ・ジソブのストーリーが気になる。さあ、今すぐ始めよう。/編集者

NAVER スターコラム:ソ・ジソブ

思春期のソ・ジソブ

容姿から受ける印象のため、誤解を買うことも多い。おそらく韓国の男性俳優のうち、容姿でその人のすべてを評価される人を選ぶとしたら、3本の指に入るのではないだろうか。決して自慢できないことだ。一時はその容姿のため、プライドを超えて、存在そのものを踏みにじられるようなことを言われた時もあった。「君のその目がダメだ。君は俳優として絶対に成功できない」と。

それを言った人は今、どう思っているのだろう。今でもたまに、こちらの仕事をしていてその人に会うこともある。その人もその言葉を覚えているのか、それとも本当にあの時代の僕という存在を忘れてしまったのかは分からないが、笑って挨拶するくらいの関係だ。もし覚えているとしたら、内心「しまった」という嘆きを漏らし、気にしていらっしゃるのではないだろうか。

成功の基準をどこに置けばいいのかは分からない。しかし、僕たちが知っている普遍的な基準から見れば、おそらく半分の位置までは来ているのではないだろうか。結局、その基準で成功というなら、僕の容姿に対する評価も明らかに大きな役割を果たした。女性ファンにアピールした男性的なイメージや、俳優ソ・ジソブと言って思い出す“義理”程度には。もちろん、むず痒くはあるけれど、この機会を通じて僕の心の中を打ち明けてみようと思う。当然、心の中に秘めておくべき部分は、いくら気になっても明かせないことを、ファンの方々は理解してくれると信じている。それもまた俳優ソ・ジソブ、または人間ソ・ジソブ、ひいては男ソ・ジソブの一部であるから。

すでにご存知かと思うが、僕はこちらの仕事を考えたこともない。流れる時間に身を任せて、好きな運動をしながら、それなりに将来を設計していた僕は、水泳選手ソ・ジソブだった。

高校時代までかなり優秀な水泳選手だった。正確には“水中で行われるハンドボール”である水球の選手だった。こう見えても、実力を認められていた。韓国ジュニア水球代表だと言ったら、少し驚いてくれるだろうか。本当に楽しく運動をした。今もそうだが、内気な性格のため、団体生活に適応できないんじゃないかと思って、両親が大変心配をしていた。しかし、水の中での自由は、僕を解放させる一種のはけ口だった。思う存分、水に乗って、体を前進させていくその感覚は、思春期のころ、迷って道を踏み外しかねなかった僕をしっかり捕まえてくれた。

思春期に僕が道を踏み外すのを止めてくれた友人。誰もが経験して、知らないうちに通り過ぎる思春期。僕にもそんな時期が確かにあった。デビューから17年が経った今まで、僕の口から一度も話したことのない事実だ。今振り返ってみると、うまく避けてきて大人のように対処したと思う。いるようでいないような、そのように暮らしてきたデリケートな高校水泳選手ソ・ジソブにとって、当時処理できない事件があった。それは両親の離婚だった。

突然両親の決定を受け入れなければならず、僕としては少し混乱した。両親に駄々でもこねてみれば良かったのかもしれない。内心、両親もそれを望んでいたような気もする。しかし、2人の決定だったし、僕は息子としてその決定を尊重しなければいけなかった。そのため、2人に依存する息子というよりは、早く独立の概念に気づいたのかもしれない。お金を稼がなければならなかった。いや、早くお金を稼いで大人になりたかった。


芸能人ソ・ジソブ

高校3年生の時だった。当時、音楽業界でものすごい人気を得ていたDEUX(デュース)の解散は、僕にとって非常にショックな出来事だった。本当に大好きなグループだった。DEUXの音楽は、僕にとってもう1つのはけ口だった。そんな彼らが解散を宣言するなんて。あまりにも腹が立ったし、残念だった。しかし、本当に夢のような出来事が起きた。DEUXのメンバー故キム・ソンジェに直接会う機会が訪れたのだ。「キム・ソンジェに会えるだって?」自分の耳を疑った。

あるジーンズブランドの広告撮影現場だった。両親の離婚とともに自ら独立を宣言した瞬間が近づいていた頃、ちょうどアルバイトの仕事が舞い込んだ。しかも、キム・ソンジェに会えるボーナスまで与えられた。後先を考えず、エキストラ出演を志願した。運良く合格してキム・ソンジェとの撮影の瞬間だけを待っていた。しかし、大変なことが起きた。キム・ソンジェが亡くなった。余りにもショックだった。僕は目と耳を疑った。かつて僕の憧れだった彼がだ。“神様は天才の能力を妬む”しばらくそんなことを考えもした。そうして、僕の憧れだったキム・ソンジェの突然の死は、皮肉なことに僕にもう1つの道を開いてくれるきっかけとなった。

エキストラだった僕が、突然メインモデルに抜擢された。その時に出会ったソン・スンホンさんとは今でもとても仲良くしている。スポーツをしながら上下関係に対する強迫観念を持っていた僕としては、1歳年上のスンホンさんに礼儀正しく接した。もちろん、僕と本当に気が合い、通じる部分も多かった。

今考えても面白いのは、最初に会った時は、お互いにぺこりとおじぎしたのが全てだったのに、そのおじぎが17年という歳月を続かせているということだ。ソン・スンホンさんは、本当に無口だ。僕と性格も似ている。2人が会えば、本当にシーンとするほどだ。2人で会っていても、お互いに疲れていて寝る時もあった。今は、ソン・スンホンさんも僕もだいぶ活発になったが、まだ2人っきりで会えば本当に面白くない。もちろん、周りからこんなことも言われる。「2人で会って、一体何をするの?」と。でも、僕たちは顔を見ているだけでもいい。

一歩間違えると、愛し合っている仲だと誤解されるかもしれない。しかし、本当に僕たちは会ってもあまり話をしない。ただ、目を見ただけで分かる。先日公開された映画「ある会社員」の試写会にも黙って来てくれた。試写会が終わって、ソン・スンホンさんと何人かの親しい後輩たちと酒を飲んだ時も、ソン・スンホンさんはあまり話さなかった。ただ、肩をぽんと叩いて「お疲れ様」と言ってくれた。本当にありがたい兄さんだ。

ソン・スンホンさんの他に、感謝している友人がもう一人いる。いや、もう本当に憎いやつで、とても恋しい友人だ。今でもよくその友人に会いに行く。その時は必ず一人で行く。その人が本当に好きだったものがあるので、それを必ず持って行く。そこに行けば、その人がいつも笑顔で僕を迎えてくれる。「今来たのか? 今日はちょっと遅かったな。最近、新しい映画が公開したんだって?」先日「ある会社員」が公開された後も、その人が好きだったものを持って訪ねた。「パク・ヨンハ、元気にしてるかい?」

パク・ヨンハとの出会ったのは1998年だった。彼は、ドラマ「ずっと会いたい」で大きな人気を博していた時だった。僕は駆け出しの新人程度だった。当時、慶州(キョンジュ)で開かれた故アンドレ・キムさんのファッションショーに、パク・ヨンハと僕がモデルとして参加した。内気な僕とは違って、パク・ヨンハはハッピーウイルス(幸せを広める人)そのものだった。まず先に僕のところに来て挨拶をしてくれて、お互い同い年だと知った。ただ、パク・ヨンハの明るさに魅了された。そうして理由もなく親しくなった。

誰に対してもしっかり挨拶して笑顔で接するパク・ヨンハが、人見知りで口数も少ない僕と親しいことを、周りの人たちからよく不思議がられた。今、考えてみてもそう思う。それだけパク・ヨンハが僕を大切に世話してくれた。

パク・ヨンハが天に旅立ったその日の前日まで、僕たちは実の兄弟も同然だった。一時、この生活に疑問を抱き、悩んでいた僕を勇気づけてくれたのもあいつだった。一方では僕にとって恋人のような存在でもあった。こんなことがあった。あいつが付き合っていた彼女と別れる危機があった。その彼女は僕とも知り合いだった。僕の友人であるパク・ヨンハが、彼女と別れの危機だとは。このままじゃいけないと思って、僕がその彼女を説得した。そしてよりを戻す場を設けてあげた。後で、僕にありがとうと言いながら笑うあいつの顔を見て、僕も嬉しかった。ただ、あいつが笑っていて、そんな姿を見るのが好きだった。

なのに、そんな人が亡くなった。今でも信じられない。いや、信じたくなかった。葬儀場に行って、写真の中で笑っているあいつの顔を見たら、頭の中が真っ白になった。本当に申し訳ない気持ちだった。そんなに大変な思いをしていることを知らなかった自分を、許すことができなかった。時間が経つと、彼が憎くなった。僕に大変だと一言だけでも言ってくれれば良かったのに。正直、あんなに仲良くしていながら、お互いの家族関係やプライベートについてはあまり話をしなかった。ただ、会えば笑って騒いで、決まった話ばかりして、お互いについて知り尽くしていると、本当に親しい友人だと勘違いしていたのだ。会いたい友人だ。恋しい友人だ。本当にもう一度だけでも会えたら良いのに。

パク・ヨンハ、元気にしてるかい?


バラエティとソ・ジソブ

ソ・ジソブとバラエティ…俳優としてバラエティ番組への出演を避けるのは事実だ。しかし、最近のトレンドを考えると避けることが必ずしも良いことではないようだ。僕ももちろん、避けはしなかった。人々は、僕がバラエティにあまり出演しないため、「無限に挑戦」に出演した姿だけを思い出す。しかし、もうデビューして17年目だ。最初の頃はショー番組のメインMCやサブMCも務め、バラエティにもよく出演していた。シットコム(シチュエーションコメディ:一話完結で連続放映されるコメディドラマ)「男女6人恋物語」にも出演したが、覚えている人はいるのだろうか。

「無限に挑戦」に出演したのは、チョン・ジュナさんのためだった。初めての収録でチョン・ジュナさんが頭に怪我をして、撮影が行われなかった。その後、もう一度出演しようと決心して、その決心が人々が記憶するバラエティのソ・ジソブを作った。

チョン・ジュナさんは、僕が芸能界で本当に親しくしている人として、迷わず名を挙げることができる数少ない人だ。意外だと感じる方も多いだろう。しかし、チョン・ジュナさんのおかげで「無限に挑戦」への出演を決心でき、ファンたちもその放送を通じて、これまで披露したことのない新しい姿を好きになってくれたみたいだ。制作陣も絶えず僕にラブコールを送ってくれて、出演しないといけないという感じがするくらいだった。

実は、「無限に挑戦」は僕にとって本当に挑戦だった。バラエティに出演してどのように笑わせればいいか、僕に笑わせることができるだろうかというプレッシャーが大きかった。いざ出演すると、考えていたよりもずっと大変だった。そして、テレビで見るより、実際にメンバー同士のチームワークが良いという印象を受けた。瞬発力も優れていた。そういった部分を見て、僕はお笑い芸人にならなくて本当に良かったと思った。頭も切れていなければならないし、笑わせなければならないというストレスも相当なものだった。

元々、内気な性格なので、話すのも上手ではない。ぶっきらぼうだともよく言われる。もちろん、最近はだいぶ変わったが、「無限に挑戦」ではそんな僕の姿を捨てると決めて撮影に望んだ。チョン・ジュナ、ユ・ジェソク、パク・ミョンス、ハハ、ノ・ホンチョル、Leessang(リッサン)のキル、チョン・ヒョンドンたちに僕を任せることにした。もちろん、笑わせようとたくさん努力もしたが、彼らには敵わなかった。僕を雑に扱ってくださいと言ったのもそのためだった。そして、彼らが本当に僕を雑に扱い始めたら、笑いが起こった。ハハのハイキックは本当にひりひりして、心の中では少し怒っていた。ハハハ。

最近「ある会社員」の試写会に思いがけない花束が届いた。「無限に挑戦」の人たちからだった。「無限商社に転職する気はないか?」という内容が書かれた花束、本当に面白かった。そして、ありがたかった。しかし、もう一度「無限に挑戦」に出演できるかどうかは分からない。もちろん、寒いギャグも好きだし、スラップスティックコメディ(体を使ったギャグ)も好きだが、演技でも十分することができるので、当分はそのような愉快な姿はバラエティではなく、演技だけで披露していくつもりだ。

バラエティに出演しないことを、残念に思わないでほしい。まだ披露できていない演技が多いので、足りない分はそれで満足してもらえないだろうか。お金を稼ぐために始めた演技だったが、今はそれが本当に楽しい。今までと違った僕の姿を、バラエティではなく、様々な作品を通じて披露したい。その中で変化を与えるために努力もしている。僕の変身に期待してほしい。

僕は今日も走る。ただ黙々と自分の道を行く。感謝している人も多い。一人ひとり訪ねて挨拶することができなくて、いつも申し訳ない気持ちだ。だからこそ、もっと頑張ろうとしている。見守ってくれることに感謝したいし、信頼してくれることにも感謝したい。“感謝”はとても良い言葉だ。だから今日もまた“感謝”を叫ぶ。そしてまた叫ぶ。“愛している”と…。

文:ソ・ジソブ

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記者 : Kstyle編集部