「応答せよ1997」Apink チョン・ウンジ、誰が彼女を憎めるだろうか

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写真=CJ E&M

「応答せよ1997」君はソン・シウォンなのか、チョン・ウンジなのか

少しメイクを濃くしただけの2012年のソン・シウォンと向き合った。「体はソウルにあるのに心だけは釜山(プサン)にある」というApinkのチョン・ウンジは、方言や仕草などを見ると、彼女がtvNドラマ「応答せよ1997」で演じたシウォンとほとんど変わらなかった。インタビューの時間に制限がなければ徹夜でもしそうな勢いで、チョン・ウンジはしばらくの間話を続けた。

実は、1993年生まれのチョン・ウンジ。しかも演技の経験がまったくないガールズグループApinkのメインボーカルが1997年の“第1世代パスニ”(熱血ファン)のソン・シウォンを演じることになったとき、多くの人は疑問を抱いた。だが、第1話でH.O.T.を見に公開放送に行ったシウォンが自分の気持ちを抑えきれず、客席で立ち上がって「戦士の末裔」のダンスと歌を完璧に見せたとき、人々は彼女を“アンスン婦人”(ソン・シウォンのニックネーム、H.O.T.のトニー・アンの実名である“アン・スンホ”と“婦人”の合成語)として認めた。

どんな時代でも、早く売店に行かないとパンがない!

公開放送で“オッパ”(兄の意。女性が親しい年上の男性やスターを呼ぶ呼称)と大声で叫ぶシーンは、「応答せよ1997」のオーディションの課題だった。叫びながら方言を使わなければならないということがポイントだった。声だけはとても大きいと自負するチョン・ウンジは目をしっかり閉じ、オーディション会場に響き渡る声で「トニーオッパ!!」と叫んだ。

「実は、私が入る前にすらりとした美人がオーディションを終えて出てきました。私も私なりにきれいにしたつもりでしたが、気が引けました。私の演技力が認められているわけでもなく、方言しかなかったから。そのとき、監督は私がApinkのメンバーであることも知りませんでした。なので、きれいに見せようとすれば腹立たしく見えるかもしれないと思って(笑) 私のありのままの姿を一生懸命見せました」

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“パスニ”の経験がないチョン・ウンジの細かい演技は、ソン・シウォンの実際のモデルであるキム・ランジュ脚本家が指導を担当した。チョン・ウンジがオーディションを受けたとき「応答せよ1997」の女性主人公の名前はランジュだった。SECHSKIES(ジェクスキス)とH.O.T.のファンがヘオルム劇場で対峙する名シーンの構図と小道具の一つ一つをキム・ランジュ脚本家が用意した。

チョン・ウンジは「脚本家の先生は、普段は撮影現場には来られませんでしたが、H.O.T.に関連するシーンを撮影するときは必ず来てアドバイスをしてくださいました。シウォンがトニーオッパの家の前にいると、ポカリ(当時のトニー・アンの車のニックネーム)が登場するシーンを撮るときは、先生は遠くから見守っているだけで近くには来られませんでした」と語った。今もトニー・アンに格別の愛情を持っているというキム・ランジュ脚本家を見て、ファンの純粋でひたむきな愛がとてもうらやましかったと言う。

経験したことのない世代を演技することが難しくないかとよく聞かれるが、チョン・ウンジは時代を問わない不変の真理のおかげで、1997年に高校生だったシウォンの学生時代を自然に表現することができた。たとえば、「嫌いな授業の時間には居眠りしたし、早く売店に行かないとパンがなくなった」ということだ。

「私もシウォンと同じでした。“ピー”(休み時間を告げるベルの音)と鳴ったら“さっと”(売店に駆けつける)!遅いとおいしいピザパンがないんです。パサパサしたソボロパンしか残っていませんでしたね。私は、自分が生きたことのない時代を演じることは難しくないと思いました。昔も今も、学生時代には親との摩擦があるし、入試のストレスもあるものですから」

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方言の秘密はおばあさん?

ドラマの背景が釜山だったことは、チョン・ウンジがより自然な演技をすることができた理由だった。昨年、Apinkとしてデビューするまでずっと釜山で育った彼女は、方言を“演技”する他の俳優とは違った。特に、“オパャ~”(“オッパ”の釜山訛り)のような愛嬌たっぷりの方言ではなく、お年寄りが使う言い方だったのは、キャスティングのときに特長となった。これは、幼い頃から街のおばあさんの話相手になっていたおかげだという。

「両親が共働きだったので一人で過ごす時間が多かったんです。弟と8歳も年が離れているので、長い間一人でした。小さい頃は裕福なほうではなかったので路地の多いところに住んでいましたが、外に出るとおばあさんがとても多かったんです。花札をしているところに行って、『おばあさん、ごとり(鳥が描かれた札を3枚集めること)、ごとり!』と耳打ちしていたずらしたりしましたね。おばあさんたちも私をかわいがってくれて『ヘリム(幼い頃のチョン・ウンジの名前)、さつま芋をゆでておいたよ』と言っておやつも用意してくれました。

でも、本当に怖いおばあさんが一人いました。いつもこんな表情で(チョン・ウンジの衝撃的な表情を文章で書くのは難しい)出てきて一人で座っているから、子供たちが『魔女だ!』と言いながら逃げたりしました。私は仲良くなりたくて『遊んでください』と話しかけたんですが、『あっちへ行け!』と手を振るだけでした。そのおばあさんには悪い噂があったから、小さい子が巻き込まれることを心配されたんでしょうね。

そんなふうに何回も断られて、ある日、ただ通り過ぎるつもりだったんですが『今日もそのまま行くの?座ってみな』と言われました。そのときからそのおばあさんが私の心強い後ろ盾になりました。町内の子供たちの間でうわさになりました。『あの子に手を出したらひどい目に遭うよ』って(笑)」

ソン・シウォンもそうだった。ユン・ユンジェ(ソ・イングク)をこき使いながらも、時々“代行クーポン”を作り検便のときに、便を代わりに入れてあげたり、親のいないユンジェの卒業式に自分の親を行かせたりするシウォンは、愛さざるを得ない存在だった。

清純な妖精というコンセプトのガールズグループでデビューすると言ったとき、友人たちがただ驚くしかないほど気さくな女の子は、そのおかげでソン・シウォンに出会い、女優の世界に足を踏み入れた。チョン・ウンジは、「あんたがソウルに行って猫をかぶっているところを見たら、携帯にとってある変な写真を公開するよ」と友人に脅されても怖くはない。妖精からは一歩遠ざかったが、女優という思いもよらなかった夢がもう一つできたからだ。

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記者 : イ・ヒョンジン