Vol.2 ― 「応答せよ1997」今のスターの扱いは“消耗品”当時は“アイドル”扱いだった

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1997年当時のH.O.T.とSECHSKIESのマネージャーとのインタビュー

1990年代の韓国では、通貨危機だけがあったのではない。1998年に青少年保護法が強化され、各放送局の音楽番組には服装制限があった。髪を染めることもイヤリングも禁止対象。やぶれたジーンズも禁じられて、放送前に担当プロデューサーに衣装チェックを受けていた。21世紀を目前にした時期に、とんでもない時代遅れだと思うかもしれないが、今も少し残っている。海底の村に住んで、空を飛ぶ自動車に乗ることができそうだった、その21世紀、現在もそうだ。

1997年にはH.O.T.とSECHSKIES(ジェクスキス)だけいたのではない。今は俳優として活動しているオム・ジョンファ、イム・チャンジョンもいて、“美脚美女”のキム・ヒョンジョンも、男性デュオのTURBO(ターボ)もいた。それだけではない。“顔のない歌手”チョ・ソンモも登場した。アイドルグループが大きな人気を得たが、その時期は音楽界の一部に過ぎなかった。音楽も、歌手も様々だった。

今やその気さえあれば、スター路線を満遍なく知ることができ、Twitterで声をかけることもできるようだが、当時は好きな芸能人には手が触れられない存在、つまりスターそのものだった。最近はスターを“アイドル”より“消耗品”として見なす場合が多くなった。昔は好きな歌手を変えると、“雑ファン”“心変わり”と叩かれたが、今は当然のことになったようだ。


互いのファンから“警告性のある物品”を送られたり「唾の入った水筒を受け取ったりしたこともある」

「クラブH.O.T.(H.O.T.の公式ファンクラブ名)は、一貫性を持って団体行動をするため、白いバルーンを手に持った。地方から来たファンはスタッフが相談して、貸切バスで連れてきたし、ルールは本当によく守った。ただ、車のナンバープレートは多く取られた。そこでナンバープレートを取って車の中に保管したりした。高速道路に行くと、通報されたりもした。ナンバーのない車が走っているということで。宿所に入ってきて下着も取っていくし。あるとき、僕が大事にしていた高級ブランドのジーンズまで取られた。とてもムカついたよ」(チョン・ヘイク)

ファンたちは好きな人への心を表現するだけでなく、ライバルへの感情も率直に表現した。Baby V.O.X(ベイビーボックス)のカン・ミヨンは、ムン・ヒジュンとの熱愛説が出た後、剃刀で目を切り取られた写真をもらったことがある。H.O.T.のファンはSECHSKIESに、SECHSKIESのファンはH.O.T.にプレゼントを装った“警告性のある物品”を送ったりもした。

「当初はとてもひどかった。ファンから水筒をもらった人がいたけど、何か重たいものだった。それは相手の方が唾を集めて贈ったものだった」(キム・ギヨン)

「最近もファンクラブが貢物(自身の好きなスターを応援するために送るもの)を贈ったりするけど、食べ物をプレゼントするのはとても危ない。恨みを持って、変なものを送るかもしれないので」(チョン・ヘイク)


でもそのときは美しかった……ファン文化、当時の青少年には突破口だった

アンチファンがスターを攻撃するように、ファンも歪んだファン心を表現するときがある。代表的なものは「スターの個人情報の収集」だ。依然としてアイドルグループのメンバーは「いたずら電話はやめてくれ」「住民登録番号を盗用しないでくれ」と訴えるが、これは15年前もそうだった。電話番号を変えても3日以内に入手するほか、海外から韓国に戻る飛行機のチケットをキャンセルされてしまい、緊急事態が発生したりしたという。しかし二人とも「短所よりは長所の方が多かった」と口を揃えた。

「歌手を追いかけるファンが社会的な問題として思われるときもあるが、実は長所の方がもっと多かったと思う。その歌を聴きながら熱心に勉強していたし、長い列を待ってやっとの思いでカセットテープを一つ買った後、それが伸びてしまうまで聞いてくれたし、部屋にブロマイドを貼っておいて、コンサートに行くために熱心に勉強してお小遣いをもらったりした。『応答せよ1997』の掲示板のコメントを見ると、美しい話が多かった。

最近、そのようなファン文化がない理由は、歌手があまりにも多くなったせいではないだろうか。依然として学校生活はきついし、校内暴力もあるけれど、当時は今に比べて楽しめる文化がなかった。DDR(ダンスダンスレボリューション)はあったけど、検察庁から『子供を安心して学校に行かせるキャンペーン』をしていた時期だった。ファン文化は一種の突破口であり、ストレス解消の手段だったようだ」(チョン・ヘイク)

初々しい1990年代生まれの人には、一昔前の話かもしれない。セシボン(70年代韓国で人気を集めた音楽喫茶店の名前)や7080(1970年代や80年代に若者だった世代)に熱狂する前の世代の人々を見て、私たちも同じ思いを感じた。映画「建築学概論」に続き、tvN「応答せよ1997」まで、1990年代を取り扱った作品が人気を得る理由は、そのとき、その時代に置いてきた、淡い思い出があるからではないか。理解できなくて残念だろうか?ちょっと待ってほしい。10年ほど経てば、今の若者が共感できる「応答せよ2007」が登場するに違いない。

記者 : イ・オンヒョク