ポン・テギュ「20代に痛いほど後悔したから今の私がいる」

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写真=イ・ジョンミン

20代のトンネル ― そんなに良くなかったが、悪いことばかりでもなかった

カート・コバーンの話が切実に感じられた。人生最後のステージで「私を愛してると言ってくれ」と絶叫に近い声で叫んだステージの上の彼を見て一緒に涙を流したというポン・テギュ。カート・コバーンのその表情が彼の顔のどこかに隠されていた。

ソウル江南(カンナム)にあるカフェで会ったポン・テギュに近況を尋ねた。最近映画とドラマの両方であまり活動をしていなかったことについても尋ねた。重く感じられる質問に彼は「意味深い時間だった」と答えた。その短い返事には、たくさんの考えと悩みの痕跡が含まれているように聞こえた。

「28、29歳までは夢中になって走ってきました。ちょうどいい時期に休んだわけです。私よりも周りから『大丈夫か』と聞いてくるので、私も紛らわしくなりました。本当に自分は大丈夫なのか、と」

映画「青春とビート、そして秘密のビデオ」には、ポン・テギュのありのままの姿がよく反映されている。つまり、29歳の青春の成長痛に対する映画は、当時30歳だったポン・テギュの一部のようなものだった。

写真=イ・ジョンミン

夢と現実での葛藤……分かるから痛かった

映画は2010年に制作されたが、公開まで2年かかった。その間、ポン・テギュにも変化があった。いつからか演劇とミュージカルに邁進していたのだ。これまでの自分の固定化されたイメージから脱皮したいと考えたからだ。ここに個人的な痛みも加わった。それは父の死去と腰痛の再発だった。

2年という時間を逆に戻す感じではなかったのだろうか。当時30歳、いつのまにか20代のトンネルをくぐり抜けたが、劇中で彼が演じたヒップホップグループのメンバー、ソ・チャンデのようにポン・テギュも成長痛を経験しているようだった。

「俳優としての夢はあるが、現実はまた違うし、夢を追えば幸せになれると思うが、現実は厳しいです。夢と現実の間でどちらを追うべきか悩むでしょう。妥協すれば負けそうな感じなのに、夢を追うなんてまた漠然としていますし。結局選択の問題だが、現実的な選択をしようとすれば未練が残って夢を捨てられなかったのではないかと思いました。ところが、その時期を体験してみると、両方とも重要ではなかったんです。すでに心では夢が重要だと結論を出して現実と向き合うから辛くなるわけですね。

むしろ20代は、怖いもの知らずで、30代は何か生半可に知っているからもっと怖さを感じますね。分をわきまえなければならないと考えるのは、一般化される過程で生じた錯覚でないかということも考えました。『私はすでに知り尽くしている』という発想が危険だということを知りました」

もうこれ以上決めつけず、判断もしないことにしたという。彼の表現を借りれば“辛い20代”だった。そして彼は後悔していると言った。20代に逃してきた話だ。だが彼は、「それを経験したからこその30代があるでしょう」と言う。自責と悩みの時間を過ごしてこそ話せる言葉だった。20代の長いトンネルをそのままくぐり抜けてきたポン・テギュの誓いは、「最後まで疑問を持つこと」だった。

「何十年も一緒に暮らした夫婦も性格の違いで別れたりするくらいだから最後まで疑問を持たなければなりません。今後何をするとしてもそれが一番重要だと思います。これくらいだと全部分かる?どうやってそんなことが出来るのでしょうか。何十年かけても把握さえ出来ないものが山ほどあるのに。

今ですか?前より良くはないけど悪くもないですね。以前、私だけが演じられる役柄があったとすれば、今は違います。成長痛を体験しているようです。おそらく他の子役俳優出身の方々もそうだろうと思います。人々の認識に子役俳優というイメージがあり、そこに閉じ込められているので痛いのではないかと思います」

写真=イ・ジョンミン

自然なポン・テギュと俳優ポン・テギュが遠くならなければ……

散歩をしながら考えを整理すること、酒ではなくお茶を飲むこと。ポン・テギュが普段好きなことだ。映画は本当に気楽な時に見るという。ある瞬間、自分でも知らないうちに分析してしまうことになるからだ。そして、映画よりはドキュメンタリーを好む。「愛」「同行」「三十才」「伝統市場」のようなテーマを深く探求するドキュメンタリーからインスピレーションを得ると話したポン・テギュであった。

人と人生に対する関心は彼の豊富な感性的気質から出てくるようだった。俳優としての人生を歩む前、ポン・テギュは絵に対する夢を持っていた少年だった。普段から練習帳に自分の感性を描いたりする彼は、今までで一番後悔している瞬間として美術を諦めた高校3年の時を挙げた。

「高校3年生の時、腕が折れて諦めたんです。ご存知かと思いますが、それで俳優になりました。諦めなかったら良かったのに。その時俳優の仕事をしながら最後まで美術を諦めず、希望していた大学の学科に進学したほうが良かったかなと思います。十分出来るはずだったのに、あまりにも早く決めてしまったのではないかと思います」

当時の選択から学んだのか。俳優として今後いろいろな役柄を演じてみたくなる時期なのにポン・テギュは「特別な計画はない」と、淡々と話した。

「かえって性急になります。色々な状況と時期が合ってこそ出来ることですね。与えられた作品に最善を尽くしたいと思います。俳優としての計画より、私は自然人のポン・テギュと俳優のポン・テギュとの距離が遠くならないでほしいですね。20代にはその隔たりがあり過ぎて、失ったものがあまりにも多かったですね。

その隔たりを狭めてもう少し日常的に生きていきたいです。計画に縛られないつもりです。『30代に考えるべきこと』『30代に享受したいもの』は、特定の時期を定めるようですが、計画通りに行かないと受け入れにくいので大きく開けて生きていきたいですね」

写真=イ・ジョンミン

記者 : イ・ジョンミン、イ・ソンピル