HYBEバン・シヒョク議長、BTSの再契約&成功までの道のりを明かす…一番幸せだった瞬間は?

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写真=OSEN DB
HYBEのバン・シヒョク議長が、BTS(防弾少年団)のデビューと再契約に関するエピソードを公開した。

韓国で1日に放送されたtvN「ユ・クイズ ON THE BLOCK」には、JYPのパク・ジニョン代表とHYBEのバン・シヒョク議長が出演した。

この日ユ・ジェソクは「お祝いすべきことがある。BTS全員が再契約した」と話した。これに対してバン・シヒョクは「BTSほどのアーティストになると選択肢はたくさんあるじゃないか。でも彼らが僕たちとの再契約を選んでくれたこと自体が、僕がマネジメントの代表として、アルバムを作るレーベルの代表として、BTSと仕事をしてきた歴史が認められたということだし、僕たちがBTSとうまくやってきたと十分に受け入れてくれたということなので、僕には褒め言葉のようだった」と話した。

彼は「いつも幸せなことだけがあるように話しているけれど、実はほとんどの過程は調整する時間だ。その時、BTSが『兄さんを信じてもう一度行ってみる』と言った時、その週から2週間は本当にマネジメントという職業を選び、20年以上過ごしてきた時間の中で一番幸せだったと思う。ストレスのない日というのはこんなものなんだと思った」と話した。

特に、フォーブスが推定したバン・シヒョク議長の財産は29億ドル(約4,361億円)と知られている。ユ・ジェソクは「エンターテインメントの名前は『BIG HIT』だったけれど、初期には“ビッグヒット”する歌手たちが出てこなかった。最初は会社でゲームばかりしているほど仕事がなかったそうだ」と大変だった時代について聞いた。

写真=「ユ・クイズ ON THE BLOCK」放送画面キャプチャー
これに対しバン・シヒョクは「音楽もダメだし、事業もダメだし、とても大変な状況になって、その時は数人の職員と8eightのメンバーたちとゲームでテニスをしたりしていた。その時ジニョンさんに会ったが、一度だけ怒られた。『この1年間、この話をしようかどうか悩んでいた。自分で判断するだろうと思って言わなかったけれど、あなたはどうして僕に会ったらビジネスの話ばかりしているんだ。僕はあなたに会ったら音楽の話がしたい。あなたは音楽人じゃないか』と言われた。大きな衝撃を受けた。全て事実だったので『僕は何をしていたんだろう』と思った」と当時を振り返った。

彼は「ジニョンさんが僕を気遣おうと、2AMがバラードグループだけど、あなたはバラードが上手だから、あなたがやればもっとうまくできると思うと支援してくれた。2AMが成功したじゃないか。でも人間の欲にはきりがなく、同じミスを繰り返す。学んだ通りにうまくやらなければならなかったのに、放漫になって、会社がそこでさらに大きな失敗をした。その時はやめなければならないと思った。当時僕たちが準備していたのがBTSだった」と明かした。

続けて「うちの副社長から『自信がないのか』と言われた。このメンバーたちには自信がある。でも、想像を絶するほどの借金があった。借金が百数十億ウォン(約11億円以上)だったので。でも副社長が『すでにこのお金はあなたの能力では返せない。でもこのチームを1年やっても返せないのは同じだ』と言った。『本当に自信があればやってみればいいと思う。だけど、あなたが責任を負う問題だから、僕がやれとは言えない』と言って悩んだけれど、やろうと思った」とし「やらなければならないと思ってやったし、その時BTSは成功した。みんなBTSが最初はダメだったと思っているけれど、違う。最初からうまくいった。初年度から新人賞をすべて受賞し、いつもうまくいっていた」と説明した。

これに対しユ・ジェソクは「これは尋常ではないと感じた瞬間はあるか」と聞き、バン・シヒョクは「何度かあった。2014年にロサンゼルスのK-POPコンサートにヘッドライナーでもなく、いくつかのオープニングチームの中の1つとして行ったけれど、ロサンゼルスのTIMESがBTSを選んで特筆した。その時、僕は何かが違うと思って事務所の方々に話した。でも、事務所の方々は『また浮かれてる。KPOPアーティストは初めてだからそう言っていると思うけれど、これくらいの反応はある』と言っていた。その時、ほとんどつぶれる直前にBTSを出すことを決心した後に気づいたのが、『僕が経営したからだ』と気づいて完全に経営陣に渡した。でも、2015年がBTSには大きなターニングポイントだった。『花様年華』が大ヒットして反響を呼んだ。その時は確信があった。これは違う。これまでK-POPアーティストにはこのような反応を見せなかった。今、アメリカ市場でテストしてみなければならない。アメリカ向けの音楽をやり、アメリカのファンが反応するかどうかを見なければならないと言った」と伝えた。

続けて「しかし、事務所は大騒ぎになった。水が入ってきた時に、オールを漕げと言うじゃないか。韓国でうまくいっているのに、どうしてアメリカなんだと言われた。今回だけは譲れないと『FIRE』を出した。それが全世界で大ヒットした。成績を分析してみたら、全盛期のワン・ダイレクションくらいまで行けるような気がした。ワン・ダイレクションはアイドル史上最大のグループの一つだ。後になってメンバーたちが授賞式で『バンプロデューサーがあまりにも大変でボケたのかと思った』と話した。その後は運命が引っ張っていってくれたと思う。そこで僕が今のBTSを作ったというのは傲慢すぎる」と話した。

バン・シヒョクは「『FIRE』の次にワールドツアーが計画されていたが、1年半前から準備させた。有名だから有名な戦略を使おうと。誰かが有名だと言っているけれど、実はなぜ有名なのか分からない。でも、みんな有名だと言っている。そういったことをアメリカのスタッフたちと準備した。南米での反応をニューヨークに素早く知らせれば、ニューヨークに行く頃、ニューヨークの人々は何だか分からないけど、何でこんなに大騒ぎするんだ、と言うだろう。メンバーたちもよくやったし、運も良かったし、うまくいった」と話した。

実際に当時BTSのワールドツアーコンサートは全席完売となり、南米ではBTSが入国するシーンが生中継された。バン・シヒョクは「南米でレギュラー放送を中止して中継するほどの反響があったので、ニューヨークは『BTSとは誰なのか、私たちも知ろう』と言ってきたのでアメリカのテレビやラジオでプロモーションをした。ロサンゼルスに着いた時は、BTSがなぜ人気があるのか分からない、BTSもよく知らないけど、有名だから私たちもこの経験を共有しないと、そうしないと遅れている。そういう流れで実際にその時、ロサンゼルスの有名芸能人の子供たちがたくさん来ていた。これがSNSで広がった」とし、BTSがビルボード歌手になるまでの過程を説明した。

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記者 : キム・ナヨン