ミュージカル「ASSASSINS」…歴史は“あみだくじ”

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【レビュー】韓国の歴史の桎梏に置き換えられる部分も多い

「ASSASSINS」は、2004年のトニーアワードのベストディレクター賞、主演男優賞など5冠に輝いたミュージカルだ。その他にもドラマディスク賞4冠を始め、多くの賞を受賞した経歴を持ち、ブロードウェイ最高の作曲家といわれるスティーヴン・ソンドハイムの作品である。韓国では、俳優ファン・ジョンミンの初めての演出作でもある。非常にアメリカ的な情緒の作品だが途中に韓国式の風刺と台詞を加え味を出した。

写真=「ASSASSINS」公式サイト

非常にアメリカ的な情緒、乖離を感じさせる暗殺の理由

ライトが消え、徐々に幕が上がる。銃声が鳴る度に、観客は怯え上がる。その理由が何であれ、銃の種類が何であれ、銃声は鼓膜を鳴らし心臓を跳ね上がらせる。そして人が倒れ、時には的が外れるストーリーは観客のため息と笑いを誘導する。しかし、その銃弾一つ一つが、あみだくじの分かれ目となって歴史を変えた。

アメリカで大統領暗殺の歴史は、長くて深い。ミュージカル「ASSASSINS」は、タイトル通り暗殺についての物語だ。アメリカの歴史上起きた9回の暗殺、あるいは未遂に終わった事件を、時空間を超えて見せている。1865年、エイブラハム・リンカーン大統領を始めとし、1981年ロナルド・レーガン大統領に対する暗殺未遂事件まで、大統領を撃たなければならなかった者たちが語る理由はそれぞれだ。

それは彼らにとっては切迫したものであっても、時にはとんでもないものであった。彼らの中に新興宗教の信奉者もおり、“暗殺者の先輩”をロールモデルにして研究しながら生きてきた人もいる。また、ある女優から電話をもらうために、職場から解雇された鬱憤(うっぷん)を晴らせずに、自分の本を宣伝するために、自分を無視する友だちに存在感を示すためなど、暗殺者の理由は極めて表面的で個人的なものに見える。

しかし、それらは表面的な理由に過ぎなかった。実は、経済大恐慌、極貧、移民者の哀歓、無政府主義信奉など、大半は激変する社会現象の中で乖離(かいり)され、集団から遊離された人たちの鬱憤が最高権力者に向けられるようになったのだ。大統領が誰かの夫で、父で、息子であることは重要でない。評判の良い大統領でも、悪名をはせた人でも、撃ち放たれた銃弾に打つ手もない姿は、哀れで仕方ない。

暗殺者の銃弾が撃ち放たれる瞬間、アメリカの歴史の車輪はひしめきながら方向を変えた。故人の怒りの表出が、それほどの影響力を発揮するとは!一個人の銃弾に、一個人が倒れただけなら問題はそれほど大きくない。しかし、それが最高権力者なら?砂の粒のようなちっぽけな個人の怒りが引き起こした事件でも歴史を変えることができ、歴史が人間のなすことだということを改めて悟ることは、今さらながら興味深い。


彼らだけのストーリーではない、観客たちの胸に飛んできて刺さるその何か

2013年1月、新年の始まりだ。年頭から他の国の大統領の暗殺記を見ることは、愉快なことではない。しかし、暗殺犯をコミカルに、あるいは悲壮に演じ抜く俳優たちの演技と轟く声は、胸を打つ。また、アメリカ式な情緒に満ちた暗殺動機と異国的な背景を持つミュージカルだが、彼らとその状況に共感するのが非常に難しいわけでもない。

ジョン・F・ケネディは、「真実の最大の敵は嘘ではなく、神話だ」と話している。歴史が決して客観的な事実だけ記述しているわけではないことは、どこか悲しい。劇中で「どうでもいい人を暗殺して、偉人にしてしまった!」というある俳優の叫びは、リンカーンを暗殺した人への恨みだった。リンカーン、彼は誰か。奴隷解放を率いたという偉大な業績で、韓国の偉人伝にもよく登場する人物ではないか。死が神話を作るのは、映画俳優やアーティストにだけ限られた話ではないのだ。

分かれ道に立つたびに、くねくねと方向を変えて下ること、歴史はそのようにあみだくじをするように作られてきた。暗殺行為のように目に見える形もあるが、よく知られているか、そうでないまたははっきりしていない事件もまた、歴史を変え続けてきた。歴史の桎梏といえば、韓国以上のものもないだろう。

ミュージカルが終わった。ステージに立つ俳優たちに拍手を惜しまず起立した。一本のミュージカルはそのように終わったが、歴史の車輪はまたそのように節目節目、瞬間瞬間に事件と事故を経験しながら回っていくだろう。罰則に当たることのないゲーム、成功的に辿るあみだくじのような歴史のために私たちがやるべきことは何だろう。私たちが知っていることは何で、知らないことはどれほどあるのだろう。劇場を出る足が重かった。

記者 : ハン・ギョンヒ