JYPパク・ジニョン代表、アメリカ進出に失敗した過去を語る「数億円を失った」

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写真=tvN「ユ・クイズ ON THE BLOCK」放送画面キャプチャー
JYPエンターテインメント(以下、JYP)のパク・ジニョン(J.Y. Park)が、アメリカ進出失敗に言及した。

韓国で11月1日に放送されたtvNバラエティ番組「ユ・クイズ ON THE BLOCK」第217回「運命的な出会い」特集には、JYPのパク・ジニョン代表とHYBEのバン・シヒョク議長がゲスト出演した。

この日、バン・シヒョクはヒット曲をたくさん生み出していた2000年代、突然パク・ジニョンとアメリカに進出したことについて「アメリカに2人で遊びに行ったついでに、ロサンゼルスで兄さんが、『僕たちなんとなく上手くいきそうだけど、アメリカでも成功しよう』と言った。僕はあまりにも傲慢で分別がなかったようだ。『韓国では全部成し遂げた』と思った。今思えば何も成し遂げていなかったのに」と振り返った。

パク・ジニョンは、2人ともアメリカのアーティストに対する憧れがあったとし、本場に行って通用するかどうかを確認したい“実験精神”であったことを告白した。

これに対してバン・シヒョクは「僕は今更な話だが、心の中で『この兄さん、バカなことをする』と思っていた。ダメだと思うけれど、なぜやるんだろうと思っていた」とし、有名な“靴下事件”について話した。これは2人がそれぞれの道を歩むことになった、今のHYBEを誕生させた事件だという。

パク・ジニョンは「お金がなかった。僕は個人財産がなく、すべてのお金を会社に入れる時期だったので、会社の株主たちがアメリカ進出を反対した。『1年以内に成功すれば、会社のお金を使わせてあげる』という条件で行った。1年という期限があったし、会社のお金が使わせてもらえないし、自分の個人財産がなかった。僕の著作権料まで当時会社に入れた」とし、「2人で一銭も持たずに行ったが、知り合いの兄さんがいて、部屋を1つ貸してくれた。新居に1ヶ月だけいると言って、4ヶ月間も居候した」と当時のことを伝えた。

そうして、1つの部屋の1つのベッドでの同居生活が始まったという。バン・シヒョクは「僕が洗濯をして、兄さんは別の仕事をすることにしたが、兄さんがいつも靴下2つを重ねて投げていた。他の人が履いていた靴下を僕が取って入れなければならないから、『やめてほしい』と言ったのに、ずっとやっていた。ある日、僕も堪忍袋の緒が切れた」と靴下事件の経緯を伝え、パク・ジニョンはそれほどバン・シヒョクの怒りが溜まっていたのだと付け加えた。

しかし、パク・ジニョンは当時は突然靴下のことで怒ったと思い、「こいつ兄さんに向かって!」と叫び、その後バン・シヒョクは家を出たが、行くところがなく、夜に帰ってきたという。パク・ジニョンは「その後、バン・シヒョクが真剣に『僕はここにはいられない』と言って帰国を選択した」と伝えた。

バン・シヒョクは「兄さんが番組で『あの出来事がなかったら、K-POPの歴史が変わっていた』と言った」とし、「考えてみたら、兄さんはそれでも深く考えていたのに、僕は何も考えていなかった。『兄さんがやるなら僕もやるよ』と言ったけれど、考えが浅すぎて、4ヶ月したらもう無理だった。諦めて帰ってきたけれど、兄さんは芯があったから(アメリカに残った)。兄さんがあの時にしたことが、後世の道を開いた」とし、パク・ジニョンの努力を評価した。

バン・シヒョクは「もう少し曲を作っておいてくれ」というパク・ジニョンに頼まれて、曲を作って帰国した。曲の販売に成功したパク・ジニョンは「曲が売れて、『これはできる』と思って大きな事故を起こした。『アメリカに行こう!』と言った。株主もうまく行きそうだと言って、『お金を使って』と言ってくれたが、その時数十億ウォン(約数億円)を失った。2005年に行ってニューヨークに社屋を建てたけれど、2008年に金融危機が起きた。破産して帰ってきた。JYP USAを設立して潰れた」と告白した。

記者 : ソ・ユナ