「視線」オ・グァンロク“宗教映画とは限定できない…辛く寂しく生きる人に見てほしい”

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「辛く寂しく人生を生きる人たちに必ずお勧めしたい作品だ」

俳優オ・グァンロクは、自身が出演した映画「視線(God's Eye View)」についてこう述べた。海外での宣教活動に出発した韓国人を通して、人間の群像、信仰、背教、利他心のような様々な問題に対する質問が投げかけられているためだ。

海外宣教の奉仕活動に出発した9人の韓国人が拉致されて起こる出来事を描いた映画「視線」は、多分にキリスト教的な色を帯びている。しかし宗教を離れ、人間的な問いが投げかけられているため、キリスト教映画という枠組みの中に閉じ込めるわけにもいかない。ノンクリスチャンで、映画の中で世俗的な通訳宣教師チョ・ヨハン役を務めて映画を導くオ・グァンロクも「地球で生きる人たちへの思いなどを鳥瞰した映画」と説明した。

オ・グァンロクは、「宣教映画と限定するのは危険なようだ。私はノンクリスチャンだが、私が感じるのは地球に生きる人たちへの思いなどを鳥瞰したものだ。もちろん、監督はクリスチャンだから違うだろうが」と評した。

そのためかオ・グァンロクは「視線」が宗教そのものだけを扱った映画ではなく、“地球人”に対する話だと解釈した。それぞれ異なる国、場所に住んでいる人々は、それぞれのライフスタイルや考え方を持っており、そのような様々な個人を総称して“地球人”と呼ぶようになった彼らについて扱った映画が「視線」だと考えるようになったという。

オ・グァンロクは、「私たちの映画では宣教団の話やイスラムについても扱うため宗教的に見ることもできるが、私は平和について考えた。例を挙げれば、恋愛をしても平和のない自由はあまりにも悲しいのではないだろうか。各自自由なのがいい。そして、全ての多彩さは尊重されるべき破格さがある。このようなことを画一化するというのは、非常に危険な考えだ。恋愛をしても異なるということを認めず、同一になることを望み始めると自分がストレスを受けるのではないだろうか。また私を愛していないみたいだと思うかもしれない。このようなものが、矛盾した考えから始まると思う」と述べた。

このようなオ・グァンロクの言葉を裏付けるかのように、イ・ジャンホ監督は宗教的信念が過度に陥りかねるリスクを避けることができた第一の貢献者として、ノンクリスチャンの俳優やスタッフたちを挙げた。彼らがフィルターの役割となって、客観性を維持することができたという。おかげで「視線」はキリスト教徒でなくても共感でき、自身に対するそして人間についての問いかけを投じることができる映画に仕上がった。

オ・グァンロクは、「シナリオだけを見れば、宗教は扉を開くきっかけになるだろう」と述べ、「鳥瞰図だと話したように、客観的に眺める視線がなければならない。偏らないように、偏狭な作品にならないようにバランス感覚を維持するため最も神経をとがらせた。監督と一緒に意見を交わしながらシナリオを修正したりもした。新しく決まったものが画一化された線のように描かれないように、最も気をつけたようだ」と振り返った。

彼の発言や考えは、普段の一個人オ・グァンロクに由来する。憂いを原動力に俳優としての人生とともに詩人としての人生も生きているオ・グァンロクは、“地球”について話し“平和”について繰り返し考える“思惟する人”でもある。

オ・グァンロクは、「地球という表現をしきりに使い、何か大きなことについて話しているようだ。だが地球という言葉は、包括的に表現しやすい単語ではないと思う。地球には異なる文化、異なる環境、異なる人種がいる。みんな異なる考えを持っている。彼ら固有のものがあるではないか。文化は多彩なほうがいい。花ごとに形が異なり色が違い、それらの葉も異なるように、文化は固有の姿そのまま多彩なものがいいと思う。それを画一化しようとすれば、文化帝国主義が生じて独裁も生まれてくる。平和のない自由はとても寂しくなって、そこでうつ病が生じるのではないかと思う」と説明した。

最後にオ・グァンロクは、「不良な宣教師であるチョ・ヨハンは、一日一日を生きるために疲れて寂しい人生を送っている。このような辛くて寂しい人生を生きる人たちに必ずお勧めしたい作品が『視線』だ。この映画が宗教映画ではないかという多数の憂慮が混ざった意見もあるが、宗教を持たない人たちにも、信念や信仰のようなものが壁にぶつかった時、どうやってそれに対面するのかということについて問いを投げかけてくれる映画」と説明した。またこのような理由から、多くの人たちが「視線」を見ることを願った。

映画「視線」は海外旅行の途中で拉致された9人の韓国人、生死の岐路に立たされた彼らの葛藤と衝撃をリアルに描いた作品だ。「星たちの故郷」「馬鹿宣言」などを制作したイ・ジャンホ監督が1995年の「天才宣言」以来19年ぶりに監督および脚本を担当した作品で、韓国で16日に公開された。

記者 : キム・ミリ、写真 : キム・ソンジン