「主君の太陽」の特殊メイクアップアーティストキム・ボンチョン、本物のような偽物に向けた“情熱”

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幽霊がこの世を彷徨う理由は様々だ。夫に裏切られたのが悔しくて安らかに眠れない“ピンク色のハイヒール幽霊”、初恋の少女に自分の気持ちを伝えるためにバラを咲かせた“グリーンローズ幽霊”、性的アイデンティティを隠して生きなければならなかった“イ会長幽霊”、整形手術をあおる“整形幽霊”など、知ってみると彼らは皆無念のために成仏できない幽霊である。高い視聴率を記録したSBSドラマ「主君の太陽」には、毎回異なる事情を持った幽霊が登場し、ドラマの物語をより豊かにした。「主君の太陽」の隠れた主役ともいえる幽霊たちは、特殊メイクアップアーティストであるキム・ボンチョン次長の手を経て誕生した。経歴27年目の彼はテレビドラマの特殊メイクに力を注いできた、隠れた職人である。特殊メイクという概念が全くなかった時代から、彼はこの世界に飛び込み、休まずに走ってきた。つまり、彼の経歴は韓国ドラマの特殊メイクの歴史ともいえるだろう。SBSアートテック扮装チームのキム・ボンチョン次長に会って、特殊メイクの世界を覗いてみた。

―「主君の太陽」のようにドラマが視聴者から愛されると、仕事がもっと楽しくなるのか?

キム・ボンチョン:嬉しい素振りを見せないが、実は嬉しい。人は皆自分がやった仕事が注目されるのを望むじゃないか。ドラマが愛されているのも嬉しいのに、その関心が私にも戻ってくるからまるで“1+1”の利益のように感じる。

―その反対の場合もあると思う。例えば、他の放送局で同時間帯に放送されるドラマのせいで視聴率が低かった場合など。

キム・ボンチョン:MBCで「カレイスキー」(1995)というドラマのメイクを担当した時だった。同じ時間帯にSBSで放送されていたドラマが“帰宅時計”とも言われるほど高い人気を博した「砂時計」だった。そういう時は残念な気持ちになるのが事実だ。でも、「カレイスキー」は私にとって格別な作品である。ドラマの最後にキム・ヒエとファン・インソンを老人に扮装させたが、その時にそれまで先輩たちが一度もやったことがない扮装を試み、その扮装への反応が凄かった。私が特殊メイクに関心を持つようになったきっかけが「カレイスキー」だと思う。

―「カレイスキー」は1990年代の作品だが、特殊メイクを始めてからどのぐらい経つのか?

キム・ボンチョン:27年目だ。今は特殊メイクの専門学校や関連学科が多いが、私が始めた当時は特殊メイクが珍しい分野だったので知っている人があまりいなかった。卒業後、専攻を活かして画家になろうとしていた時、偶然、知人からMBCでメイクアップアーティストを募集するという話を聞いた。そして、その試験に合格し、この仕事を始めるようになった。最初は「ベスト劇場」のような短編ドラマのメイクを担当した。正式に一人前のメイクアップアーティストとしてデビューしたのは、キム・ジャオク、キム・ジュスン、パク・グンヒョン主演のドラマ「私の心の湖」(1991)だ。その後、今は故人となったチェ・ジンシルが主演した「約束」のメイクを担当し、その次に故キム・ジョンハク監督の「皇帝のために」「黎明の瞳」のメイクをした。亡くなった方の話ばかりになってしまうね。でも、2人とは本当に親交が厚かった……そうやってMBCでずっと働いて「カレイスキー」を最後に職場をSBSに移した。

―SBSに移ってからはどんな作品の作業をしたのか?

キム・ボンチョン:「コリアゲート」を皮切りに、「三金時代」「兄弟の川」「トギ」「勝負師」「大望」などを経て、最近は「シンイ-信義-」「済衆院」「お金の化身」「ドクター・チャンプ」「サイン」などの扮装を担当した。キム・ジョンハク監督との親交でMBCで放送された「太王四神記」の扮装も僕が担当した。それは外注制作会社が制作した作品だったので参加が可能だった。

―時代劇、メディカル、ホラーなどのジャンルで特殊メイクが積極的に使われると思う。特に愛着を持つジャンルがあるのか?

キム・ボンチョン:いつか田舎に行って藪医者でもやろうかなという冗談をたまに言う。「済衆院」のような医療ドラマに出会うと、色んな病気を自然に覚えるようになるからだ。それに、資料だけでは限界があるので、直接病院に行って手術の見学を行ったりもする。それで、私の携帯電話には科別に医者の連絡先が保存されている。新月洞(シンウォルドン)にある国立科学捜査研究院の法医官とも連絡をよく取っている。「サイン」の時は国立科学捜査研究院の解剖室に7回も行った。外傷がない死体は近くで見るとマネキンよりもっとマネキンのように見える。血が全部体の下の方に集まるので、上は真っ白になるからだ。でも、死体をリアルなマネキンのように作ると、視聴者は“偽者だ”と言う。でも逆に、少し人っぽく作ると、専門家の目には“偽者”のように見える。だから、専門家と一般視聴者の間で、リアルだが拒否感が感じられないように扮装するのが重要だ。

―解剖を行う現場を見学するのは大変ではないのか?

キム・ボンチョン:普段は臆病な方だが、この仕事をする時は異常に勇敢になる。解剖を見学した後、クッパを平然と食べる私を見て関係者たちも驚いた。ある瞬間から慣れたようだ。この仕事をしていると、幽霊を見たり金縛りに合う経験を一度ぐらいはするらしいが、私はそのような経験をしたことも一度もない。

―気が強いみたい。

キム・ボンチョン:仕事のために占い師のところに行ってみたことがある。その時、占い師が私の顔を見て「法師になる運命だ」と言った。簡単に言うと、男の巫子になる運命ということだ(笑)

―そういえば、生と死の近くにいる職業のようだ。

キム・ボンチョン:私は産婦人科に行くと、そんな感情をよく感じている。「女性たちは本当にかわいそうだな」とも思う。帝王切開術は本当にするもんじゃないとまで考える。妻がたまに診察を受けに産婦人科に行くと言うと、変に心が痛む。

―「主君の太陽」の話をしてみよう。幽霊の扮装はどんな作業過程を経るのか?

キム・ボンチョン:「主君の太陽」の場合、他の作品よりも早く監督と会って意見を交わした。ストーリーを引っ張っていく重要な題材が幽霊なので、特別なアイデアがほしいとお互いに思ったようだ。時には可愛く、時にはきれいで、時には怖い幽霊を作ろうと、色んな想像をしてみた。「彼らはどうしてこの世を彷徨うのだろうか?恨みを抱いているから彷徨っているのではないか?それじゃ、その恨みは何だろう?」のように考え、その恨みを効果的に表現するのが私の仕事だと思った。それで、シノプシス(ドラマや舞台など作品のあらすじ)が出ると、私が想像した幽霊をコンピュータ作業で数十枚描いた後、演出陣と意見を交換しながら幽霊のイメージを作り上げた。例えば、第1話の“おばあさん幽霊”は息子や娘たちに何も言えずに一人で気苦労する心境を表現するため、鼻と口を消したメイクをした。第3話の“ピンク色のハイヒール幽霊”は交通事故で目を怪我した幽霊だったので、目を消したメイクをした。

―特殊メイクアップアーティストに求められる最も大きな資質は何だと思うのか?

キム・ボンチョン:何事も人格が一番重要だ。特殊メイクのように共同作業を行う仕事では、人格がさらに重要となる。トップスターであるかどうかと関係なく、とりあえず人を扮装することが多いので、相手の気分や心をうかがうことも必要だ。その次に重要なのが想像力だ。ここでいう想像力というのは、メイクする時の独創性だけでなく、視聴者たちが考える余地を残しておくことまで考えた想像力のことだ。機械的に作り出すという感じではなく、視聴者と一緒に呼吸して作っていくという心構えが必要なのである。もちろん、技術的な部分が一番重要だという人もいるかもしれない。でも、最近はCGなどがすごく発達し、技術的に足りない部分は後半作業で十分カバーできる。個人的に、技術的な部分ではもう韓国もハリウッドにあまり遅れをとっていないと思う。ただ、韓国とハリウッドの違いは時間だ。ハリウッドは特殊メイクだけでも3ヶ月間のテストを行うが、韓国は余裕のある時間が与えられる場合があまりない。

―それは韓国とハリウッドの違いというより、ドラマと映画の違いじゃないかな?

キム・ボンチョン:韓国は映画でもそうしていない。特殊メイクだけで3ヶ月間のテストは行わないということだ。もちろん、映画がドラマより時間的に余裕があるのは事実だ。

第3話の夫に恨みを持った幽霊、第4話の整形手術の幽霊、第5話のグリーンローズ幽霊、第7話の虐待された子供幽霊
―映画で特殊メイクをしてみたいと思ったことはないのか?

キム・ボンチョン:考えたことはない。ドラマにもドラマならではの面白さがあるし、スリルも溢れているから。それから、映画での扮装とドラマでの扮装のメカニズムは少し違う。例えば、映画では扮装がメイクチーム、扮装チーム、特殊メイクチームに分かれているが、ドラマではそのように区分されていない。一人の担当者がすべてをカバーするシステムなのだ。そのため、私は自己紹介の時、「特殊メイクができるキャラクターメイクアップアーティスト」だと言う。私は特殊メイクを専門的に習った人ではない。「カレイスキー」のキム・ヒエの扮装も独学で身につけて試みたものだった。「太王四神記」のチェ・ミンスの扮装も同じだ。色んなメイクを冒険的に試してみたら、スタッフたちやキム・ジョンハク監督がそれを見て驚いた。そして、その時から私がマスコミに特殊メイクアップアーティストとして紹介され始めた。

―先ほど、扮装する時は相手の気分をうかがうことも必要だと言ったが、俳優とトラブルが生じることはないのか?

キム・ボンチョン:昔、某放送局でクレンジングがきちんとできなくて問題が生じたことがあったらしい。俳優の顔の肉が剥がれたため、メイク担当者と放送局が50%ずつ賠償したと聞いた。でも、最近は俳優も特殊メイクに対する認識がよくなったし、材料も以前より良くなったので、そんなトラブルはあまりない。「お金の化身」でファン・ジョンウムは特殊メイクだけで7~8回やったが、無事に撮影を終えた。それから、扮装はドラマで補助的な役割を果たすだけだ。俳優が演技を披露するのが作品の中心となるのが当然で、私たちが中心になるのは話にならない。それで、メイクをする時、一番気を使っているのは俳優が演じるのに不自由にならないようにすることだ。

―放送局が外注扮装チームともよく作業すると聞いた。

キム・ボンチョン:昔はそうだったが、今は違う。SBSの場合、99%以上をSBSの中で解決する。昔は監督の間に「放送局の特殊メイクアップアーティストは実力がない」という認識があったが、「太王四神記」「サイン」などを通じてその認識がかなり変わった。実際に放送局のメイクアップアーティストの実力が向上したのもある。

―敏感な質問だが、業界で特殊メイクアップアーティストの処遇はどうか?

キム・ボンチョン:人それぞれだ。フリーランスで億単位のお金を稼ぐ人もいれば、1ヶ月に100万ウォン(約9万円)も稼げない人もいる。放送局でも人によって全然違う。

―最近、この仕事をするためにはどんな過程を経ているのか?

キム・ボンチョン:大学のコーディネーション、メイクアップ、ファッション芸術などの学科で基礎を学んでから入ってくる若者が多い。特殊メイクの専門学校もあって、博士も多い。私も誠信(ソンシン)女子大学院で修士課程の授業を行っているが、大学に特殊メイク学科が存在している。

―自分の作品の中で一番記憶に残る特殊メイクは?

キム・ボンチョン:特殊メイクの面白さを教えてくれた「カレイスキー」での老人の扮装、そして人々に実力を認められた「太王四神記」のチェ・ミンスとイ・フィリップの扮装を忘れられない。また、「サイン」は私に名誉を与えてくれた作品だ。2011年に「サイン」を通じてコンテンツ振興院長賞を受賞した。扮装分野で賞を受賞したのは初めてだったので、私にとっては本当に意味が大きな賞だった。今、たくさん愛されている「主君の太陽」も欠かせないし。あ、「ジャイアント」の時、チョン・ボソクから聞いた言葉も記憶に残る。「ジャイアント」の序盤にチョン・ボソクが老人役で出たが、最初は老人をどのように演じればいいかと悩んだという。でも、老人の扮装をした自分の顔を見た瞬間、キャラクターのトーンが決まって悩みが消えたという話をしてくれた。そのような話を聞くと、この仕事に大きなやりがいを感じる。

―どんな特殊メイクアップアーティストとして記憶されたいのか?

キム・ボンチョン:特殊メイクのための特殊メイクではなく、俳優のキャラクターを活かす特殊メイクであると同時に、リアリティを与える特殊メイクをしたい。そして、そんなメイクアップアーティストとして記憶されたい。

―特殊メイクアップアーティストである前に、経歴の長い放送人であるような気もする。仲良かった人々との別れで感じたことがあると思うが。

キム・ボンチョン:この話をするのは今日が初めてだが……私が今このように愛されてマスコミに取り上げられているのは、キム・ジョンハク監督が私に残した贈り物だと思う。実は……(目頭が赤くなる)「主君の太陽」のメイクを手がけながらよくそんなことを考えた。キム・ジョンハク監督がどうかこの世を彷徨わずに、安らかに眠れることを祈った。この世でのことが悔しくて忘れられなくて彷徨わないで、より良い所へ行ってほしいと切実に願った。実は、あの方も妖怪に関する物語を描こうとしていた。「シンイ-信義-」の作業に入る前にそんな話を交わしたからか、キム・ジョンハク監督をさらに思い出した。

―今後、この仕事を通じて成し遂げたいことがあるのか?

キム・ボンチョン:美術の展示会を開く大学の同期を見ると羨ましい。それで、私は特殊メイクを加味した美術作品で美術の展示会を開きたい。外国ではすでに多くのアーティストがやっている。特殊メイクに彫塑的な感じを加えて披露する展示会が多いが、私は逆に絵画作品に特殊メイクを加えてみたい。息子が彫塑を専攻しているため、息子と一緒に“父子の展示会”を開きたいとも思っている。

記者 : チョン・シウ、写真 : ペン・ヒョンジュン、写真提供 : SBS「主君の太陽」、翻訳 : ナ・ウンジョン