故キム・ジョンハク監督、止まってしまった砂時計…永遠の眠りに(総合)

OSEN |

韓国ドラマの巨匠キム・ジョンハク監督が永遠の眠りについた。

25日午前10時、ソウル風納洞(プンナプドン)峨山(アサン)病院の葬儀場では、故人の最後の道を見守るために各界各層の人々が集まり、涙の出棺式が行われた。

出棺式の1時間前の午前9時には、ドラマPD(プロデューサー)協会長のチョン・サン監督から、俳優パク・サンウォン、リュ・ドクファン、オ・グァンロク、パク・ウンビン、ユン・テヨンなどが出席した中、告別式が行われた。告別式では、パク・サンウォンが弔詞を読みながら涙を流して悲しみを吐き出し、故人の生前の姿が盛り込まれた映像に葬儀場は涙の海と化した。

特に、映像の最後で、「黎明の瞳」のエンディングシーンが特別編集され、スクリーンに流れた。このシーンでは、劇中死を迎えたチェ・シラを抱き、ゆっくり死んでいくチェ・ジェソンがパク・サンウォンに「私は一生懸命生きた。正しく生きるということは、非常に大変だった。もう休みたい」という台詞が葬儀場に流れた。亡き人となる前に苦難に満ちた人生を行きなければならなかったキム・ジョンハク監督の心を代弁するようなこの台詞に、参列者たちは涙を流した。

また、後半非公開で行われた告別式以降は出棺が続いた。俳優のキム・ヒソン、チェ・ミンス、チェ・ジェソンなどは告別式には出席しなかったが、出棺式には出席し、出棺される故人の遺体を見守った。特に、チェ・ミンスとチェ・ジェソンは、霊柩車が去った後も片隅で嘆いていた。チェ・ミンスの目は真っ赤になっていた。

彼ら以外にも、多くの中堅俳優たちや、所謂キム・ジョンハク師団の俳優たちが故人の最後を見守った。韓国ドラマの歴史の1ページを飾った巨匠キム・ジョンハク監督は、このように多くの人の悲しみに抱かれながら永い眠りについた。霊柩車の前に置かれた遺影の中の故人の姿は、明るく穏やかだった。

キム・ジョンハク監督は、1977年MBCに入社し1981年ドラマ「捜査班長」でデビューし、1991年ソン・ジナ脚本家とタッグを組んだ「黎明の瞳」でスター監督になった。その後1995年SBSドラマ「砂時計」、1998年「白夜 3.98」、2007年MBCドラマ「太王四神記」などを演出し、平均視聴率44.3%という驚くべき記録を残した。今年の5月、キム・ジョンハク監督はドラマ「シンイ-信義-」の出演料未払いと関連し、背任および横領詐欺の疑いで告訴された。

故人は23日午前、京畿道(キョンギド)盆唐(プンダン)のあるコシテル(考試+ホテル:各種国家試験を受ける全国の受験生たちが集まって勉強できるように作られた長期宿泊施設)で遺体となって発見された。警察はこれを自殺と結論付け、捜査を終結している。故人の遺体は出棺の後、ソウル良才洞(ヤンジェドン)のソウル追慕公園で火葬され、京畿道城南(ソンナム)メモリアルパークに安置される予定だ。

記者 : パク・ジョンソン、写真 : ペク・スンチョル