【PEOPLE】キム・ヒョンジュを構成する5つのキーワード

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写真=10asia DB、150エンターテインメント、チョ・スルギ記者、SBS、tvN

キム・ヒョンジュ

あえて“週末ドラマの女帝”と称してみる。いつからか女優キム・ヒョンジュは週末ドラマのヒット保証小切手になった。MBC「きらきら光る」、KBS 2TV「家族なのにどうして~ボクらの恋日記~」、SBS「愛人がいます」がその証拠だ。1996年、歌手キム・ヒョンチョルの「一生を」というミュージックビデオで顔を知らせたキム・ヒョンジュは、いつの間にかデビュー20年目のベテラン女優になった。ハイティーンスターから母親のキャラクターを演じるほどの歳月は流れたが、キム・ヒョンジュのロマンス演技は今も視聴者をときめかせる。


ノ・ヒギョン

キム・ヒョンジュのドラマデビュー作であるMBC「私が生きる理由」で結ばれた縁。
当時、ノ・ヒギョン脚本家は「私が生きる理由」の脚本を担当した。新人だったキム・ヒョンジュは多くのオーディションを回り、疲れを取るために噛んだガムを捨てないまま「私が生きる理由」のオーディションを受けることになった。キム・ヒョンジュはできる限りガムの存在を隠そうとしたが、結局ノ・ヒギョン脚本家にガムを噛んでいることがバレてしまった。意図したわけではないものの、キム・ヒョンジュの生意気な姿を見たノ・ヒギョン脚本家は居酒屋で働くおてんばな酌婦チュンシム役にキム・ヒョンジュをキャスティングした。ドラマデビュー作ながらも「私が生きる理由」でキム・ヒョンジュは安定した演技を披露し、その年の“ニュースター”に選ばれるなど一気にスターダムにのし上がることになった。


故ユ・チェヨン

「彼氏より私を愛してくれたありがたい人」
以前、ケーブルチャンネルtvN「現場トークショー TAXI」に出演したキム・ヒョンジュは当時、友人ユ・チェヨンについてこう表現した。一緒に出演したキム・ヒョンジュとユ・チェヨンは、ガールズグループのダンスを踊りながら愉快で深い友情を見せた。2人は言葉通り恋人以上に支え合う友人だった。キム・ヒョンジュがスランプで苦しんでいた時、ユ・チェヨンは惜しみない応援と愛情で彼女を支えた。ユ・チェヨンのおかげで、キム・ヒョンジュはスランプを乗り越えて活動を再開することができた。キム・ヒョンジュはユ・チェヨンが亡くなった時、病室でも葬儀場でもその場を離れず、彼女をずっと見守った。キム・ヒョンジュは今年7月、ユ・チェヨンの1周忌に合わせて納骨堂を訪れ、恋しい友人を思い返した。ユ・チェヨンはかけがえのない友人キム・ヒョンジュのそばを離れたが、キム・ヒョンジュの記憶の中では最も心強い支援者として残るだろう。


ソ・ジソブ

熱愛説が浮上したデビュー同期。
デビュー当初、キム・ヒョンジュとソ・ジソブは、イ・ジョンス、チン・ジェヨンとともに“ニュースター”に選ばれ、バラエティ番組に出演した。キム・ヒョンジュとソ・ジソブは引き立つ魅力で脚光を浴びている新人として注目された。その後、2人は2002年、SBS「ガラスの靴」で共演し、親交を深めた。だが、間もなくしてキム・ヒョンジュとソ・ジソブは“胸の痛い恋”を続けているというスキャンダルに巻き込まれた。スキャンダルは事実無根だと判明したが、これによって2人の関係は疎遠になった。ソ・ジソブは2009年、映画「ソフィーの復讐」の制作発表会でキム・ヒョンジュについて「唯一連絡を取っていた女優だったが、熱愛説が浮上してから気まずくなって自然に連絡が途絶えた」と話した。脚光を浴びる新人からドラマを率いる主人公になったキム・ヒョンジュとソ・ジソブ。歳月が流れて関係は疎遠になったが、デビュー時代をともにした大切な縁であることには変わりない。


ZE:A ヒョンシク

実の姉弟のような関係。
キム・ヒョンジュとヒョンシクは視聴率40%超の大ヒットドラマKBS 2TV「家族なのにどうして」で共演して仲良くなった。当時、長女と末っ子をそれぞれ熱演した2人は、ドラマが終わっても深い交流を続けた。キム・ヒョンジュは「ヒョンシクのおかげでZE:Aが好きになった」と言うほど、本当の末っ子のようなヒョンシクに対して無限の愛情を示した。実は「家族なのにどうして」に出演する前、キム・ヒョンジュは友人ユ・チェヨンがいなくなったことに苦しんでいた。ちょうどその時、癒しのようなドラマ「家族なのにどうして」に出会い、キム・ヒョンジュはヒョンシクをはじめ、出演した俳優たちと新しい縁を結んだ。「家族なのにどうして」は友人の死によって新しい関係を築くことを恐れたキム・ヒョンジュに、再び縁を結ぶ方法を教えてくれた大事な作品なのだ。


Good Neighbors

5年間続いている特別な縁。
キム・ヒョンジュは2009年に発刊した裁縫エッセイ「キム・ヒョンジュの手で作る話」を国際救護開発NGO団体であるGood Neighborsに寄付して良い関係を築くことになった。その後、2010年にキム・ヒョンジュはGood Neighborsの広報大使に任命され、本格的なボランティア活動に拍車をかけた。キム・ヒョンジュは大小のイベントに積極的に参加し、父親の弔慰金を寄付するなど惜しまず分かち合いの活動を繰り広げた。SBS「愛の贈りもの~My Blessed Mom~」の放送が終了するやいなや、キム・ヒョンジュはボランティア活動のためにタンザニアに向かった。タンザニアでのボランティア活動はキム・ヒョンジュの人生の小さな部分まで変えた。キム・ヒョンジュはあるメディアとのインタビューで、タンザニアのボランティア活動を通じて分かち合うことのエネルギーを感じ、小さな幸せを追求し始めたと明らかにした。今やボランティア活動はキム・ヒョンジュの人生でなくてはならない幸せの根源の一つとなった。


「名家の娘ソヒ」

「最も不幸だった時期」
かつてMBC「黄金漁場-ヒザ打ち導師」でキム・ヒョンジュはSBS「名家の娘ソヒ」を撮影した時を思い浮かべながらこう話した。この日のキム・ヒョンジュの発言は衝撃的だった。「名家の娘ソヒ」はキム・ヒョンジュの代表作として挙げられてきたからだ。当時、主人公チェ・ソヒ役を演じたキム・ヒョンジュはキャラクターのカリスマ性を完璧に表現して好評を博した。キム・ヒョンジュは「名家の娘ソヒ」を通じてその年の「SBS演技大賞」の10大スター賞とネットユーザー人気賞を受賞した。これは当時、「名家の娘ソヒ」の人気がどれほど熱かったのかを見せてくれる証拠でもある。だが、女優キム・ヒョンジュにとって「名家の娘ソヒ」は最も辛かったスランプ時期として記憶された。キム・ヒョンジュは「名家の娘ソヒ」に出演した時について「テレビに出る自分の姿が嫌いだった。そう思えば思うほど熱心に頑張らなければならなかったのに、時間が止まった感じがした」と表現した。1996年のデビュー以来、休まず走ってきたキム・ヒョンジュに休みが必要な時期だった。スランプは大変な時期でもあるが、人生の再跳躍ができる触媒でもある。キム・ヒョンジュにとって「名家の娘ソヒ」は人生の再跳躍に対する夢を見させてくれた作品だった。


「音楽旅行 Yesterday」

女優キム・ヒョンジュの新しい挑戦。
すでにMBC「セクションTV芸能通信」を通じてMCとしての能力を証明したキム・ヒョンジュが再びMCに挑戦した。キム・ヒョンジュは公開音楽番組であるMBC「音楽旅行 Yesterday」のMCを通じて音楽に対する深い愛情を示した。演技という一つの道だけ走ってきたキム・ヒョンジュにとって「Yesterday」の進行は新しい逸脱であり、癒しでもあった。キム・ヒョンジュは「Yesterday」のMCに対する深い愛着を見せた。「Yesterday」の放送終了後、キム・ヒョンジュは自身のファンカフェ(コミュニティサイト)に「私は恋に夢中になっていたけれど、一方的な別れを告げられ、しばらく憂鬱だった。でも、絵とドラムにはまって回復している」と表現した。「Yesterday」を“愛”と表現した部分からキム・ヒョンジュがどれほど番組に対して愛着を持っていたのか知ることができる。「Yesterday」はキム・ヒョンジュにとってヒーリングと愛を届けてくれた番組として残った。


「愛人がいます」

“週末ドラマの女帝”という称号を確立させた作品。
週末を待ち焦がれるドラマが登場した。「愛人がいます」のことだ。キム・ヒョンジュは「愛人がいます」で一人二役を披露して演技的な変化を見せ、これまで以上に忙しく活躍している。そして、チ・ジニと共に見せるベテラン俳優の深いロマンスは視聴者の心の琴線に触れる。キム・ヒョンジュのじれったいロマンス演技は感情がさらに深まった。20年間積み重ねてきた実力が発揮されたからだ。一人二役で見せる演技の変化や切ない涙の演技まで、「愛人がいます」でのキム・ヒョンジュに不可能はないように見えた。キム・ヒョンジュの好演のおかげだろうか。ドラマの序盤、不倫を題材にしたマクチャンドラマ(非現実的で、ありえない設定のドラマ)という誤解を受けた「愛人がいます」はその後、視聴率が上昇して大きな反響を呼んでいる。再びキム・ヒョンジュの週末ドラマがヒットした。キム・ヒョンジュは「愛人がいます」を通じて名実ともに“週末ドラマのヒット保証小切手”であることを改めて証明した。

記者 : ハン・ヘリ、編集 : ハン・ヘリ、翻訳 : ナ・ウンジョン