イ・ダイン「家族の話題?母キョン・ミリと姉イ・ユビ、二人とも有名なので当然だと思っていました」

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女優イ・ダインはキョン・ミリの娘でありイ・ユビの妹だ。

イ・ダインから母と姉の話を出したのではない。そうしなくても新人である彼女が、母や姉の話が話題になるたびに人々名前をあげられるのはよいことではない。聞くのもためらっていた質問「母や姉に対して話すのがストレスにならないですか?」

イ・ダインからは少し違う雰囲気が漂った。テレビに映ったキョン・ミリとイ・ユビはいつも明るい様子だった。大きな目を丸くしながら率直に感情を表現する顔。それに比べるとイ・ダインは静かな雰囲気がした。笑い声も人に迷惑をかけないようにと慎重な感じがした。

「最初は母や姉、二人とも有名な女優だから質問されるのが当然だと思いました。平気でした。しかし少しずつ私と姉が比較され始めました。関係者たちも同じでした。『あの子がより上手だね』と話しながら。『なぜ比較するのか。家族なのに』と思いました。姉が成功するのが私はより嬉しいです」

イ・ダインは芸名だ。本名はイ・ジュヒ。柱の柱(ジュ)、光るの熙(ヒ)。“キョン・ミリの娘”という事実を隠したくて作った芸名だった。しかし思い通りにならなかった。あっという間に“キョン・ミリの娘”イ・ダインという修飾語がついた。イ・ダインは笑いながら小さな声で話した。


「改名したかったです。無駄なことになりましたが」

イ・ダインのインタビュー記事に母や姉の話を入れるのが「正しいのか」とたくさん悩んだ。適当にドラマや同僚俳優の話、理想のタイプの話だけ入れても良いインタビュー記事になりそうだった。寝た子を起こすのではないかと心配した。

それにも関わらず結局家族の話を入れると決心したのは、彼女たちが絶対離れない家族だからではない。イ・ダインのまだ初々しい演技、そのスタートには“キョン・ミリの娘”という修飾語によって長期間を一人で我慢しなければならなかった時間があったからだ。


イ・ダインではなくイ・ジュヒの話

「ジュヒ、これは本当なの?」

高校2年生頃。イ・ジュヒを職員室に呼んだ担任の先生は急に聞いた。生徒の間で回っていた噂のことだった。「違います。何の話ですか、先生」

幼い頃からいつも“キョン・ミリの娘”と呼ばれた。優しくしてくれる人もいるが、後ろで自身のことを悪く言う声がいつもついて回った。

我慢すべきだと思った。感情を表さなかった。「ジュヒ、あなたは“キョン・ミリの娘”だからいつも気をつけないといけないよ。分かったね?」

成績はよくなかったが、特別な夢もなかった。親から「頑張って勉強して良い大学へ進学してね」と言われたからだ。いつも言われた通りにした結果だった。

我慢するのが癖になった。やりたいことも、話したいことも、怒りも全部我慢した。“キョン・ミリの娘”だから人々に口にされるのが怖かった。

これ以上我慢することができなくて友達に「辛い」と訴えても「あなた、贅沢なこと言うね。あなたより辛い人がたくさんいるよ」と言われた。表すことができなかった感情はそのままたまり、心は生気を失った。

そして高校3年生になる前、イ・ジュヒは「私、学校辞めます」と話した。

随分、時間がかかった。“夢”というのが生じる前に“キョン・ミリの娘”として我慢しなければならなかったイ・ジュヒだったが初めてあの日、抑えた感情が爆発した。「実は非常に辛くて、学校にも行きたくなかったです」

やっと“イ・ジュヒの母”キョン・ミリは娘に「ではあなたの夢は何?」と聞いた。これも随分、時間がかかったことだった。

その後の話は普通の成長ドラマと同じ展開だった。「では演技を学んでみる?」という話に演技クラスに行った。そこで初めて演技を学び、本気で興味を感じて女優になりたいと決心した。再び頑張って勉強して大学の演劇映画科に進学し、数回の挫折を経験して女優としてデビューしたというストーリーだ。

ただ印象的な部分がある。「なぜ演技に興味を感じたの?」という質問にイ・ジュヒ、またはイ・ダインの答えは哀切に聞こえた。

「演技を学ぶとまるで私自身を探していく気がしました。我慢しない方法。その方法を学ぶのが楽しかったです」

彼女と話し合ったわずかな対話だけで彼女の人生を完璧に理解することはできないが、明確なのは彼女がイ・ジュヒとイ・ダインの中間に立っていることだ。まだ“キョン・ミリの娘”として注目される女優だ。

彼女は初めて自身の感情を表した、高校3年生になる直前から引き続き自身を探している。そしてあの日、偶然に道を発見したように、今回もやはり“演技”で人々から“女優イ・ダイン”として認められることがイ・ジュヒの宿命だろう。

記者 : イ・スンロク、写真 : ユ・ジニョン