「メモリーズ 追憶の剣」キム・ゴウン“挫折の瞬間、チョン・ドヨン先輩の一言で立ち直った”

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女優キム・ゴウンにとって映画「メモリーズ 追憶の剣」(監督:パク・フンシク、制作:TPSカンパニー、配給:ロッテエンターテインメント)は天国と地獄を行き来させた作品だ。瞬間ごとに限界にぶつかりながらアクションを鍛え、精根を使い果たした後、すぐに感情演技に没入しなければならなかった。心身がつらくて毎晩宿所で一人で泣いたり、吐いたり…筋肉痛で眠れない夜もたくさんあった。

彼女に挫折の瞬間を数回与えた「メモリーズ 追憶の剣」ではあるが、同時に歓喜の瞬間も与えたのが「メモリーズ 追憶の剣」だった。キム・ゴウンは夢でしか会ったことがないチョン・ドヨン、イ・ビョンホンという錚々たる俳優たちと肩を並べられるということだけで幸せだったという。毎回ワイヤーに吊られて刀を振るいながら同時にすさまじい振幅の感情に耐えなければならなかったため、絶えず自身を鍛え、慰めた。そんな中、ある瞬間その苦痛までも楽しむ自身を見つけた。演技に対する渇望と切実さに気づいたのだ。

キム・ゴウンが「メモリーズ 追憶の剣」で演じたホンイは復讐を夢見る人物だ。事実上映画を率いる“メモリーズ 追憶の剣”がこのホンイだ。ホンイの感情線は映画全体を貫通する。キム・ゴウンの演技が揺れると観客の没入も揺れる。この難しい作業をキム・ゴウンは立派にやりこなした。しかし本人のキム・ゴウンは1次編集本を見て自分の欲より足りない演技をしたと思って絶望感に包まれた。その瞬間、キム・ゴウンはチョン・ドヨンの「映画全体を見ると、今のあなたの演技が正しいと思う」という一言のおかげで立ち直ることができた。

「ウンギョ」で華やかにデビューしたキム・ゴウン。“筋肉痛で1日も楽に眠れなかった”日々だったけど、苦は楽の種。彼女は「メモリーズ 追憶の剣」で再び俳優としての価値を証明してみせた。「メモリーズ 追憶の剣」という手ごわい山を乗り越えたキム・ゴウンの“次”が楽しみだ。

以下はキム・ゴウンとの一問一答である。

―映画を見た感想は。

キム・ゴウン:真夏に撮影を始め、真冬に撮影を終えた。全国の津々浦々でスタッフとやりとりしたコミュニケーション、配慮、現場の雰囲気を思い出した。それでジーンとした。

―アクション演技がすごかった。自らアクションに先天的な才能があると思った瞬間はあるか。

キム・ゴウン:「下手ではないな」と思った。ハハ。アクションチームがやらせることをその都度やりこなすから。一度言われてやりこなすとどんどんやることがあまりにも多くなった。武術監督に、軍隊で仕事を一生懸命にやりすぎると後で大変になることと同じ原理だと言われた(笑)

―「その怪物」「コインロッカーの女」が「メモリーズ 追憶の剣」に大きな借りをしたような気がする。

キム・ゴウン:「メモリーズ 追憶の剣」の武術監督があまりにも厳しく訓練させてくれたから「その怪物」「コインロッカーの女」の時のダメージが大きくなかった。

―結局「メモリーズ 追憶の剣」はホンイだった。実質的に映画を率いることに対するプレッシャーはなかったか。

キム・ゴウン:プレッシャーというよりも、私自身も私がうまくやってほしかった。時代劇、演技、アクションまでやるべきことがすごく多かった。それをどうすれば上手くやりこなせるか悩むだけで手一杯だった。そのたびに先輩に寄りかかり、質問した。

―やるべきこととは?

キム・ゴウン:最初は私のアクションの比重がこんなに大きくなかった。完成本の95%ほど、私が直接演じた。最初は代役がまず演技をしてから私が演技をしたけど、後半にはまず私が先に演技をする形だった。武術も細分化されていた。撮影期間まで合わせると1年以上刀を持っていた。

写真=映画「メモリーズ 追憶の剣」スチールカット
―パク・フンシク監督はあまり褒めないタイプだと聞いたが、悲しかった時はないか。

キム・ゴウン:「メモリーズ 追憶の剣」の撮影期間中、体が痛くない瞬間が一度もなかった。毎日筋肉痛に苦しんで、痛くて眠れないくらいだった。現場で本当に痛いけど、目に見える痛みじゃないから何も言えずに一人で我慢した。一人で何回か涙が出そうになったことはある。

―そのたびにチョン・ドヨンが代わりに監督に怒ってくれたと聞いたが。

キム・ゴウン:ドヨン先輩も本当にたくさん我慢した。私がそばで見ていたかぎりではそうだ。自分が振るった刀に相手が当たると感じられるから。チョン・ドヨン先輩は確かに私の刀に当たったのに最後まで隠した。宿舎でちらっと見たらバンドエイドを貼っていた。こんな風にみんな我慢し、隠しながらするしかない現場だった。なぜならそれくらいの怪我が一度や二度ではなかったから。大きな事故が起きなかったのが幸いだった。

―最も大変だったシーンは何か。

キム・ゴウン:エンディング直前の廊下シーン。ワンテイクで構成されるシーンだった。シーン自体も長かったし、お互いに合わせなければならない動作も多かった。それにワイヤーまで着用した状態だった。覚えなければならないことも多かったし、相手が怪我するのではないかとハラハラしていた。

―アクションだけではなく、感情の起伏が大きく、深い。

キム・ゴウン:アクションだけだと限界に至らなかったと思う。アクションで精魂を使い果たした直後に感情シーンの撮影に入らなければならなかったから本当に大変だった。その瞬間が山場だったし、自分自身を苦しめるしかなかった。そのたびに編み物をした。待機する間、体も疲れるし考えことも多くなるから編み物で解消した。映画撮影が終わるごろには私が編んだマフラーが太く、長すぎるものになっていて、実際には使えなかった(笑)

―ほかの作品でもそういう風に単純作業に没頭したことがあるか。

キム・ゴウン:「その怪物」の時は衣装に付けたスパンコールを除去しなければならなかったので、衣装チームと一緒にそれを取りながら心を慰めた(笑)

―「メモリーズ 追憶の剣」ではチョン・ドヨン、「コインロッカーの女」ではキム・ヘスと共演した。錚々たる二人の女優には違いと共通点があったのか。

キム・ゴウン:違い分からなかったし、共通しているところは二人とも明るく、快活だということだ。いたずらもたくさんするし。おかげで気楽な状況で演技することができた。二人ともすごく配慮してくれる。

―中国の武狭映画のうち、参考にしたロールモデルがあるのか。

キム・ゴウン:まったく。最初からそうような考えを捨てた。中国の俳優たちは小さい時から武術訓練を受ける。演技学校の授業の中に武術が含まれているくらいだ。私が1年間いくら一生懸命にしても中国俳優たちの半生に追いつくことはできないと思う。それを模倣しようとすると不自然になるしかない。だから中国映画自体を意識せずにアクションを始めた。アプローチを変えたら私のアクション演技に集中することができた。

―若い年齢に比べて重い感情演技をたくさんしてきた。軽く、コミカルなものに対する欲求があると思う。

キム・ゴウン:もうすぐ20代半ば、後半になるけど、20代前半だけの感性を持つロマンスがしてみたい。ちょうどその年齢で感じる恋愛の感情があるじゃないか。

―それがtvN「チーズ・イン・ザ・トラップ」を選んだきっかけになったのか。

キム・ゴウン:ある程度は。実はイ・ユンジョン監督と仕事をしたい気持ちが最も大きかった。監督の前作を全部見てきたから。時期が合って監督と一緒に仕事をすることになったから一生懸命にやってみたい。

―実際はどんな娘なのか。

キム・ゴウン:ものすごく親孝行だ(一同爆笑) すべての面でいい娘だ。まず優しいし、愛嬌も多い。社会人になってからある程度性格が整って愛嬌が減ったけど、家族同士で集まるとすごい。可愛い愛嬌ではなく、暴れる(?) 愛嬌だ。だから家族がみんな私を見物する形になる(笑)

―結婚に対する考えはないか。

キム・ゴウン:2年前までは早めに結婚したかったけど、今は早くしても、遅くしても関係ないと思う。ただ、好きな人がいるのにほかの理由で結婚を延期するのは愚かなことだと思う。好きな人がいれば今でも結婚できると思う。

―「メモリーズ 追憶の剣」を通じてチョン・ドヨンがアドバイスしてくれた部分があるか。

キム・ゴウン:1次編集本を見て本当に悔しかった。現場では知らなかった、個々のシーンがついた時に生まれるミスが見えた。まだ私には映画全体を見る目がなかったのだ。自分なりに悩みながら演技をしたけどはるかに足りないのが分かって挫折した。その時、すぐドヨン先輩に電話をした。先輩は「今は足りないかもしれないけど映画全体を見ると今が正しい演技なのかもしれない。シーンごとに最善を尽くすあなたの姿も正解だし、力をもっと入れたり、抜くことも合わせて演技をしたのだ」と話してくれた。「コインロッカーの女」の時、その言葉を抱いて演技をした。

―イ・ビョンホンはどんなアドバイスをしてくれたか。

キム・ゴウン:ビョンホン先輩は私が一人で悩むたびにそばで軽くアドバイスしてくれるタイプだけど、そのアドバイスがすごい。たとえば、私が憤りながら「そうだ」というセリフを言うシーンがあるけど、どうもセリフが口に慣れなかった。撮影直前まで解決されなくてビョンホン先輩に聞いたら「音を抜いて見なさい」と言われた。呼吸を持って演技しなさいという話だった。そうしたら一気に成功した。

―準備期間も長かったし、公開の時期まで遅れてほぼ3年ほど「メモリーズ 追憶の剣」に取り掛かっていた。キム・ゴウンにとって「メモリーズ 追憶の剣」はどんな意味なのか。

キム・ゴウン:挫折する瞬間が多かった。意地を張っても自らコントロールできない瞬間があった。あまりにもつらくて一人で宿舎で全部吐いたこともあるし、心的にもつらかった。一方、その分現場が幸せでもあった。そんなつらい状況の中でも先輩たちと一緒に演技をするということ自体が幸せだった。私は中学生の時まで舞踊をした。舞踊も華やかだけど苦しいところがある。私はその苦しさが嫌で舞踊をやめた。「メモリーズ 追憶の剣」も本当に苦しかったけど、引き続き演技がしたい切実さを感じた。演技に対する私の気持ちを再び呼び覚ましてくれた作品が「メモリーズ 追憶の剣」だ。

記者 : キム・スジョン、写真 : キム・ジェチャン