【ドラマレビュー】「オーロラ姫」幽霊話で視聴率が上がったのか?

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写真=MBC

蓋然性のない、イム・ソンハン流のストーリー展開…突拍子もない怪談まで登場

韓国ドラマで藪から棒のマクチャン(日常では起こらないような出来事や事件が次々と起きる韓国特有のドラマ)展開を言う時、必ず出てくる脚本家がいる。イム・ソンハンである。一時は“イム・ソンハンワールド”と呼ばれるほど強力なシンドロームを巻き起こし膨大な影響力を及ぼしたが、最近MBC毎日ドラマ「オーロラ姫」の11~13%を行き来する視聴率の推移だけを見れば、イム・ソンハンワールドの波及力も以前には及ばないことが分かる。

これまでイム・ソンハン脚本家の台本が受け入れられたのは、誰も予測できない早い展開力がその理由だった。早い展開には、“蓋然性”の支えが必要だ。例えば、AというキャラクターがBという行動をするには、それに値する妥当な理由が存在しなければならない。このような蓋然性がドラマを支えてこそ、視聴者は脚本家のドラマに感情的かつ理性的に同意し、ストーリーの展開に納得し感性的に共感できるようになるのだ。

しかし、このような蓋然性に劣る場合、ドラマはどこに跳ぶか分からなくなる。予測不可能な面白さは視聴者に与えることができるかも知れないが、視聴者を納得させることはそれだけ難しくなるという弱点を持つ。

今イム・ソンハン脚本家の「オーロラ姫」が、そのような状況に置かれている。ドラマの途中でパク・ヨンギュ、ソン・チャンミン、オ・デギュの3人が共に、それも同時に降板することは、韓国ドラマ史上初めての出来事だった。イム・ソンハン脚本家がよく使っていた“突然死”を、集団降板に転用したに過ぎない。脚本家が蓋然性を重視していたなら、主演クラスの俳優たちの同伴降板は発生しなかったことは明らかである。

これでも足りず、イム・ソンハン脚本家はドラマの執筆で“幽霊”という題材を好んで使う。死んだオ・デサン(ピョン・ヒボン)が生きている人たちの前に現れるという幽霊設定でも足りなかったのか、29日の放送ではナターシャ(RUN)とワン・ヨオク(イム・イェジン)の会話の中で自由路の幽霊のように“目のない女幽霊”の話が登場し、“脚のない男の子”を台詞に躊躇いもなく入れた。劇の設定の中に幽霊が出てくるだけでは物足りず、ついにはキャラクターの台詞に幽霊話を挿入させたのだ。

イム・ソンハン脚本家のユニークな設定は、これまで他のドラマ脚本家と差別化できる個性として尊重されてきた。しかし、蓋然性のない展開と怪談を好んで使うイム・ソンハン独特の世界は、ドラマが繰り返されれば繰り返されるほど最初のスパイシーな味は抜け、エキスのない二番煎じに転落することを、イム・ソンハン脚本家は肝に銘じなければならない。最近の視聴者は個性ある展開が好きだが、視聴者が納得し共感できる普遍的な情緒の盛り込まれたストーリーを好むということである。

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記者 : パク・ジョンファン