【コラム】INFINITE エル&B1A4 バロ&f(x) エンバ、1992年生まれの“顔” ― チャン・ウチョル

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1992年ならよく知っているが、“1992年生まれ”となると……さあ、どうしても馴染みが薄くて難しい。1992年の夏なら、ソテジワアイドゥルの「I Know」が韓国中を騒がせた夏だったが、1992年生まれの人々はその時何も知らなかったわけだ。年齢をある種の違い(あるいは差別)の物差しにするのは、なかなか改善されない悪い手法だとは思うが、“1992年生まれ”という言葉に胸がどきっとするのはしょうがないことである。今韓国のエンターテインメントの真ん中にいる数人が1992年生まれということに多く刺激され、この手紙を書き始めたわけなのだが。

必ずしも1992年生まれでなければならないというわけではない。あくまでも事の始まりは、INFINITE エルとB1A4のバロ、f(x)のエンバの顔だった。頭をよぎる数多くの場面の中で、彼らの顔に唯一感嘆符が浮かんだ理由は何だろうか。一般的な言葉では「成長したんだ。しかもものすごく成長したんだ」と言えるだろう。世の中には必ず意味と価値など考えなくていいものがある。ただ目の前に見えることをそのまま言っても十分であるから。見てすぐに魅力を感じることは、どれほどこの時代にふさわしいということなのだろうか。だから、これは美しい顔に捧げる賛辞、喜んで賛美するという告白であるだろうか?(何だか鳥肌が立つが、あえて申し上げる)

最初にエル。「2013 20's Choice」でこのシーンを見てドキッとした。「キャプチャーしなければ」と思ってしまった。ほう、これはこれは……。幸い、隣にいた32歳の女性も「まさに天上の被造物。さすが神様はいる」と言っていた。INFINITE、カムバックしたではないか。MVと初ステージ、全部見た。“カル群舞”という言葉もあるようにINFINITEは直線のイメージが強い。その中でエルはバランスを図っている。そしてそのバランスは非常に微妙だ。言ってみれば、抑えられた直線の世界が実はとても柔らかな属性から出てきているという暗示のようだ。直線はまさに極限まで引いた弓に変わることもあるだろう。矢を跳ね返す曲線としての弾力を同時に持っているわけだ。(サウンドの面ではソンジョンの鋭い歌声がそのバランスをとっている)

新曲「DESTINY」で一番印象深い部分は、前奏を含む導入部の数小節だろう。これまでの何かを突破しようとしているのだな、前進しながらも品格を守っている。ちょうどそのシーンの中心にエルの顔がある。半分ほど手で隠した顔を少しずつ見せ、歌が始まるのだ。タイトルのように、この楽曲によって今夏、INFINITEはどんな運命になるのだろうか。新曲の戦場のような最近、はっきりと断定することは難しいが、エルの顔で刻印させたそのような柔らかい切除は、INFINITEの疾走が最大スピードで突っ走っているという確信につながる。

次にB1A4のバロ。アイドルグループメンバーの名前や顔を知っているかどうかで“新世代”と“旧世代”に分けたりもするが。自分から告白すると、B1A4やいくつかのグループを混ぜて置かれた場合、自分は明らかに“旧世代”に分類されるだろう。それでも一人ぐらいは当てられそうなのでよかっただろうか?もう言ってしまったのでもう一つ言うと、「これはどういうことだ」のステージを最近になってまとめて見た。どこからか突然登場してきた歌がどれほどの人気だったのかを後から確認したことになるが、1度見ただけでさすが彗星のような1位だなと思った。何を見たかというと、また違う何かが始まっているのを見たのだ。

アイドルは皆同じアイドルであるだけだと言い切るには、それぞれあまりにも違う光を放っている。B1A4が「これはどういうことだ」と叫びながらステージで見せるエネルギーは、あまりにも独創的で何人かの“先輩アイドル”を瞬く間にそれこそ“先輩”にしてしまったのではないだろうか?そのステージでバロはリーダーであり、扇動家だ。よりふさわしい言葉はそのまま“最高”だろう。ただ少年らしいドタバタ感、そして少しだけ見える野望のようなもの。その目指すところがラップであれ、ステージであれ、スターであれ、あえて関係ないように見える。もうすぐ見せてくれるコンサートタイトルのように“アメイジングな”何かに向けた行進とは、ひたすら力強く走ることであるから。

それからエンバ。数日前、スタイリストやファッションデザイナー、写真家の友達と集まったとき、最近誰に一番注目しているのかについて話したことがある。イメージに非常に敏感な人々なのでお互いに相手の答えを気にしながら話を交わした。ところがで、エンバの名前が出ると皆、最初に言った自分の意見を撤回し、誰もが「私もエンバ」と変えてしまったのだ。友達だから趣味も似ているのだろうか?それは違うだろう。その明白な根拠は、新しいアルバム発表を控えて公開された映像にある。f(x)はいつも大衆とヒップスター(Hipster)を同時に刺激する名前だったが、今回の映像はピークに達した感じを与える。そして最後のシーンで少しだけエンバの視線が盛り込まれている。

ガールズグループという言葉が与えるエネルギーが以前とは少し変わった。音楽やスタイルがより露骨で狙っている雰囲気があるが、よりによって方向がより大人向けになったと言えるのだろうか?セクシーさは当然競争しなければならない要素となってしまったようだ。そのような強い流れの中でf(x)は少し違うところで遊ぶ少女たちを表現している。海辺やダンスクラブでないところで会おうと約束する女の子たち。そしてその中には一人でネクタイを締めているエンバがいる。今韓国のガールズグループのメンバーの中で独歩的な位置にある少女は、まさにエンバではないだろうか?

1992年生まれの三人の顔を見ながら改めて年齢について考えた。そうして22歳(数え年)だった時代を思い出したりした。よかったのか不幸だったのかよく覚えてないが。21と22、23……あんなにも違う一日一日が集まっていたはずだが、今はただ曖昧な風景になってしまったのかもしれない。そんな時代を毎日、分と秒を分けて生きている人々に心を込めて喝采を送る。「知らない、でも私は走っている」まさに青春の特権だ。それ自体で輝くことができるから。そして名前だけでも若く輝く季節、夏本番が始まっている。

文:コラムニスト チャン・ウチョル

「NAVERコラム - チャン・ウチョル編 -」では、今話題の人物にクローズアップし、コラムニストのチャン・ウチョル氏が執筆。韓国で注目が集まっている人物や出来事についてお届けします。

記者 : チャン・ウチョル