miss A フェイがこぼした涙の意味とは?

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5月3日、MBC「dancing with the stars3」のベスト6。ガールズグループmiss A フェイの出番だった。この日はフェイが実際に歌いながらルンバを踊ることになっていた。ブルーのドレスを着たフェイがステージに立ち、テレサ・テンの「月亮代表我的心」が流れた。1節歌ったくらいだろうか、涙がこみ上げたフェイはそれ以上歌うことはできなかった。フェイの母の好きな曲だったからだ。

「dancing with the stars3」で優勝したフェイはその日母のために踊った。MCキム・ギュリは共に泣きながら「私、どうしちゃったんだろう。私も母に会いたいみたいです」と話した。そしてフェイはカメラに向かって母に伝えたかったことを中国語で話した。どんな話だったかフェイに会って聞いてみた。

「今まで育ててくれてありがとう。これからは私が親孝行するから」

リハーサルのときから流れる涙は止まらなかった。「フェイ、絶対泣いちゃいけないよ。泣いてしまったら本来の実力が発揮できないよ」とコーチと覚悟を固めたが、結局生放送で涙をこぼしてしまった。フェイは「もう我慢できなくなってしまいました」と当時を回想した。優勝した直後母と電話しながら共に泣いた。

「母は私に1位を求めたりはしませんでした。母が『あなたは外国人だから、他国で優勝するというのはそう簡単なことではないのよ。優勝できなくても残念に思ったりしないで、かけがえのない経験をしたと思えばいい』と言ってくれました」

韓国に来て7回目の誕生日を迎えたというフェイ。miss Aとしてデビューするまで、そしてデビューしてから今までの7年間。一番幸せだった瞬間を聞くと「今年『dancing with the stars3』で優勝した瞬間が一番幸せでした」と答えた。

「私にとって大きな意味があるんです。もちろんmiss Aとしてもそうですが、私が外国人として韓国で優勝したじゃないですか。韓国の方々が私にくれた1位であり、個人的には私の人生の1位でした。それで私にとって大きな意味があるんです」

写真=MBC放送画面キャプチャー
彼女はケーブルチャンネルO'live「マスターシェフ・コリア・セレブリティ(Masterchef Korea Celebrity)」でも泣いたが、その涙の意味は違う。フェイは「初のサバイバルだったし、料理は私の得意分野ではありませんでした。プレッシャーが物凄く大きかったです」と語った。miss Aのメンバーたちに料理を作ってあげる一番年上のフェイは「マスターシェフ・コリア・セレブリティ」に出演する前まで自身がどれほど料理が上手なのかも知らず、何度も繰り返した卵焼きのミッションが一番難しかったという。

「料理をしているとき、本当に楽しかったです。あまりにも面白くて練習をしていたら3~4時間があっという間に過ぎてしまいます。料理の才能があると先生たちに褒められました。好きな韓国料理はキムチチゲ、ユッケジャン(野菜と牛肉を煮込んだ辛口スープ)、タッカルビ(鶏肉と野菜を鉄板で辛く炒めた料理)、カルビチム(カルビの煮物)で、キムチチゲは私の得意料理です。デザートを作るのは難しいです。『マスターシェフ・コリア・セレブリティ』が終わってJYPのスタッフたちのために料理を作りました。80人前を作ったんですが、夜明けからmiss A ジアと一緒に料理を作りました。スタッフたちは私が料理上手だとは知っていましたが、一度ももてなしたことがありませんでした」

フェイにとって2013年が特別な意味を持つように、人々にとっても2013年はmiss Aのフェイを覚えるようになった年だった。フェイは「最近、特に私に気付くおばさんたちが増えてきました」と話しながら明るく笑った。「何か違う自分を探すことができたし、自信がついてきました。私という存在を知らせることができたし、私の魅力もアピールできて2013年は私にとって大きな意味があるんです」と話す彼女からテレビで見た昔のmiss Aが思い出された。ステージの上ではなく、バラエティ番組では無口に見えたフェイ。今明るく微笑んでいる顔はmiss Aだからではなく、フェイだからこそ親しく感じられた。

ガールズグループだから、またmiss A スジがより活発な活動を繰り広げ高い人気を博しているという理由で、彼女たちを比較する人も少なくなかった。しかしフェイは「当たり前なことですよ。他のガールズグループもそうだと思いますが、高い人気を博しているメンバーもいるし、そうでないメンバーもいますよね」と語り、自身の学生時代の話を聞かせてくれた。他の友達は皆名門大学に進学し、自身は舞踊学校に入学したが、結局miss Aになった今振り返って見ると、あの時他の友達を羨む必要はなかったという話だった。「それで私は『人それぞれの人生があり、それぞれ歩むべき道がある』ということを信じています。今は幸せでないと思うかもしれないけど、時間が経つにつれもっと幸せに生きられると思います」

焦る必要などなかった。フェイの言葉通り、人それぞれの人生があり、ただスピードが違うだけだから。フェイだけではなく、すべてのガールズグループにとっても他人事ではないだろう。とにかく夢を叶えた。フェイは「母の歌が好きでした。小さい頃から歌手を夢見たそうです」と話した。またフェイはmiss Aの歌が1位でないと残念に思うのは当然のことだが、「歌手なら誰もが耐えるべきことですから」とも語った。

彼女は強かった。流暢な韓国語とは言えないが、彼女の韓国語には覚悟が込められていた。そして彼女の話を聞いていると、彼女が難しいと言った卵焼きが思い出される。焦らずにフライパンを加熱してから丁寧に巻いていかないと柔らかく焦げない卵焼きが作れないように、歌手フェイの人生は遅くても丁寧に作る立派な料理になるだろう。

記者 : イ・スンロク、写真 : クァク・ギョンフン