【PEOPLE】キム・ギドクを構成する5つのキーワード

10asia |


キム・ギドク

「私は劣等感を食べて育った怪物です」――KBS「トークショー! Do Dream」より


ヤン・ドングン

映画「受取人不明」の主演俳優。
「受取人不明」に登場する主人公の父親はキム・ギドクの父親をモデルにした。朝鮮戦争の傷痍軍人だったキム・ギドクの父親は、彼の兄が勉強を中断したらすぐに「長男よりも弟が勉強してはいけない」と、キム・ギドクに勉強を教えなかった。キム・ギドクは小学校を卒業した後、工場で働きながら、早くから社会に出てお金を稼ぐことになった。キム・ギドクは低学歴のせいで就職が難しかったため、自ら話しているように学歴に強いコンプレックスを持っていた。低学歴であるため防衛兵(兵役の一種:兵役期間が短い軍人、現在の公益勤務要員)として入隊できたにも関わらず、海兵隊(最も訓練が厳しいと知られている)を選んだ理由も「まともに軍隊へ行ってこないとダメだ」と思ったからだ。彼は友達の卒業証書を借りて兵務庁に提示し海兵隊に入隊、除隊後には「自分にも人生というものがあるのだろうか」と考えながらフランスに向かった。

レオス・カラックス

フランスの映画監督。
キム・ギドクはインタビューでレオス・カラックスの「ポンヌフの恋人」とハリウッド映画「羊たちの沈黙」をフランスで観た印象的な作品として選んでいる。キム・ギドクは学歴より能力を認めてくれるフランスの雰囲気が気に入り、絵を描きながら定着し、そこでフランスの疎外された階層の人々に出会う。「ポンヌフの恋人」も路上で生活する男が裕福な女性に出会う物語だ。ジャングルのような世界で暮らす男とその外側の世界で暮らす女性の出会いはキム・ギドクの映画に度々登場する設定だ。また「羊たちの沈黙」に上映されている間、継続してぞっとする雰囲気のサスペンス的な要素が織り込まれたことも、やはりキム・ギドクの映画に影響を与えたようだ。軍人と画家。「羊たちの沈黙」と「ポンヌフの恋人」。人生、好み、才能、彼には中間点がない。

パク・チョルス

キム・ギドクの可能性を初めて見つけ出した監督。
キム・ギドクがコンペティションに出品したシナリオを真剣に読んだ後、本選を通過させ、最終的にそのシナリオが当選した。これをきっかけにキム・ギドクは映画「鰐」で正式デビューする。しかし、彼は「鰐」の撮影中、スタッフが目の前で制作者から殴打されるのを目撃した。希望通り芸術を始めたが、ぶつからなければならない世の中。彼の映画「ワイルド・アニマル」を連想させるほど野生的だった「鰐」は、漢江(ハンガン)で水に溺れて死んだ人を捜し出し、貴重品を盗む男が主人公だったが、その男が水の中で描き出す絵は幻想的と言えるほど美しい。一度も習ったことがない本能的な感覚で、カメラを使って描き出した野生動物が、高層ビルが立ち並ぶジャングルに入ってきた。

チュ・ジンモ

キム・ギドクが演出した映画「リアル・フィクション」の主演俳優。
90分の映画を90分で撮影するという目標で作られたので「リアル・フィクション」だった。実際の撮影時間は3時間30分くらいかかっている。いつも撮影に追い込まれて映画を作っていたキム・ギドクは「リアル・フィクション」を通じて彼がどれだけ早く、低予算で映画が撮れるのかを見せてくれた。彼は「テーマは守っても(場合によって)テクニックは諦められる」と言った。また「リアル・フィクション」でチュ・ジンモは路上画家として暮らしながら、さまざまな試練を経験し、野獣のように爆発する。チュ・ジンモをいじめる人たちは気持ち悪い、お金を持った都会の男たちだ。さらに強い者が弱い者を踏みにじる弱肉強食の論理、お金と権力によって動く街。そして何かを巻き起こすかもしれない野獣。キム・ギドクの映画で最も頻繁に見れるものだ。

チョ・ジェヒョン

「鰐」をはじめとし、キム・ギドクの映画に多数出演した俳優。
特に「悪い男」は、キム・ギドクにとって韓国での最高のヒット作だ。「受取人不明」「悪い男」「コースト・ガード」は、キム・ギドクが荒々しい男たちの物語を集中的に見せていた時期の作品で、「悪い男」はある男が一目惚れした女性を拉致して売春させるという内容のため、批評家の間で激しい論争を引き起こした。キム・ギドクはこの映画を現実世界として受け入れるより、人間に対する物語として観てほしいと願っている。しかし「悪い男」でのチョ・ジェヒョンは、タバコに火付けるだけでも格好良くて、本物の刃物の代わりに紙を鋭く折って戦う。キム・ギドクは野獣のような人生の底辺をそのまま見せているようだが、男の底辺人生は、いつの間にかスタイリッシュに描写され、美学的に強烈な瞬間を作るための道具として使われた。フェミニズム的な面から離れた野獣の芸術は、人間が考えている芸術の理性と倫理の限界にぶつかるしかなかった。

俳優キム・ギドク

キム・ギドクは自身が演出を担当した作品に何度か出演したが、一人だけで出演した「アリラン」を除けば「春夏秋冬そして春」が一番印象的だ。キム・ギドクが「人間は、自分は、あるいは私たちは何なのか」を悩んだというこの映画で、男は四季のような人生を生きて、宗教を軸として精進することでいつの間にか悟りを得る。まるで終わりが無い輪廻の道を歩いていて、突然大きな海を目の前にしたような印象まで与えるこの物語の構成は、流麗な筆致のようだ。「嘆きのピエタ」に至るまで彼の映画は終わりの見えない束縛の世界で何らかのきっかけを通じて涅槃、救い、犠牲の原因を探し求めている。寺院が舞台となった「春夏秋冬そして春」はそれを最もダイレクトに見せた。仏教の輪廻とキリスト教の救いの合体であり、野獣のように思えた男が聖人になる過程である。「マイノリティ・リポート」は「シャーマニズム的性格を有しているので好きだ」という彼にとって、宗教的な悟りとは理性と省察ではなく、野生の本能から得た結果なのかも知れない。

イ・スンヨン

キム・ギドクが自身の最高作の一つとして選んだ映画「うつせみ」の主人公。
キム・ギドクの作品の中で珍しく都会を舞台として撮影した映画だ。男性主人公は留守中のアパートや高級住宅で勝手に寝泊りするが、その家のオーナーはほとんどが危機を迎えた家庭だったり、卑劣な男たちだ。幸せに暮らす夫婦は韓国式の家屋で暮らしている。キム・ギドクは「うつせみ」で観察者の視線で都会で生活する中流階級の男たちを眺めている。彼らが強いものに対して卑屈である弱肉強食の世界に生きる反面、都会の外側に住んでいる男は単独で宗教を軸として精進することで、卑劣な男に縛られている女性と永遠にともにいられる方法を探す。男と世界に対するキム・ギドクの視点は変わらない。だが、彼はこれ以上都会の人に怒らず、代わりに自分のように都会の弱者にならざるを得ない家父長制社会に生きる女性と奇妙な方法で、奇跡のようなシーンを作り出した。「悪い男」で自分のジャングルに女性を引き込んだ男が、女性を通じて都会に出て、その人生に関心を持つようになった。キム・ギドクの変化とは、それだったのだ。

ポン・ジュノ

映画「グエムル-漢江の怪物-」の監督。
キム・ギドクはMBCの時事番組「100分討論」で「グエムル-漢江の怪物-」のスクリーン独占に対する議論に参加し、「グエムル-漢江の怪物-」を「韓国映画の水準と韓国の観客の水準がよく合った最高峰」と言い、「これは否定的でもあり、肯定的でもある話」と評価した。韓国よりも海外でより多くの関心を集め、制作と配給のすべてに対して一人で責任を負わなければならない彼が、大作中心の映画産業を気に入らないのは当たり前だ。その上「私の映画はすべてゴミだ」と言ってからある程度時間が過ぎた後、「自虐のように聞こえるかもしれないが、私の話をひっくり返して受け入れてほしい」という言葉で状況を説明した彼の表現は、マスコミによって刺激的に歪められた。韓国の観客が彼の映画をあまり観ていない状況で起きた様々な論争は、キム・ギドクを問題児として認識させた。もちろん、振り返って見ると、本当の論議はまだ始まってもいなかった。

イ・ナヨン

キム・ギドクが演出した映画「悲夢」の主人公。
「悲夢」はキム・ギドクの映画の中で最も平凡な生活を送る都会の男女が主人公だ。また、男性主人公のオダギリジョーは柔順な性格で、女性主人公のイ・ナヨンは傷ついた心により荒々しい言い方をするという点で、前作の男女のキャラクターがお互いの役割を入れ替えたように思える。同時に二人の男女が夢を通じて経験を共有するという設定は、キム・ギドクの映画の中で男女の恋愛を最も精巧に進行していくことを可能にした。男は夢を通じて間接的ではあるが女性とコミュニケーションをとり、彼らは互いに他の人を愛したが、次第に一つになる。その過程で現実と幻想を行き来するイメージは「悪い男」とはまた違う方向で、キム・ギドクだけの才能を見せてくれた。そのため「悲夢」はキム・ギドクの重要な転機となった。しかし、イ・ナヨンは「悲夢」の撮影中、事故で命を落としかけ、目の前で野生の男の死を目撃した瞬間は、恐怖そのものだった。キム・ギドクは映画を作る原動力を失い始めた。

チャン・フン

キム・ギドクが制作した映画「映画は映画だ」の監督。
キム・ギドクとともに仕事をしながら映画を学んだ。だから彼がキム・ギドクと一緒に準備した「義兄弟~SECRET REUNION」を大型制作会社で演出することになり、論議が起きた。キム・ギドクはこのことに対し「内容の一部は合っていて、傷ついたことも事実だが、もう終わったことですでに和解した」と心境を明かした。しかし、キム・ギドクは「アリラン」で「5年前、雨にあたりながら切実に(私を)待っていた。資本主義に誘惑されて私から去ったのを知っている」という言葉で名残惜しさを表わした。彼は低予算映画を撮影しながら、スタッフたちに給与を与えられず、その代わりに興行収益が良かった場合は、その半分をスタッフの分として渡した。このような過程を通じて彼は、スタッフに自分だけの制作のノウハウを伝授し、彼の影響を受けた監督たちはデビューしながら、少しずつ自分の世界を広げていった。しかし、彼とは違う考え方を持っている人々にとって、彼の世界は受け入れられないかもしれない。チャンスと師弟関係、情や裏切り。人を感情的に強く引き寄せたり、嫌になること。キム・ギドクが誰かを熱狂させ、誰かを怒らせる理由だ。

シン・ドンヨプ

キム・ギドクが出演したSBS「強心臓(カンシムジャン)」のMC。
キム・ギドクが正直なトークをする「強心臓」に出演したことは、それだけでも大きなイシューだった。「なぜ『ヒーリングキャンプ~楽しいじゃないか~』ではなく、『強心臓』なのか質問された」くらいだった。しかし、一人で質問し、答え、撮影して、編集した「アリラン」で、キム・ギドクは自問自答を通じて考えを整理していない。かえって会話が続けば続くほど、感情がますます増幅され、乱暴な悪口を吐き出した後、最終的に銃を持って誰かがいるアパートへ行く構成に繋がる。彼は会話を通じて相手の考えを受け入れ、自分の立場を修正するより、一番強烈な方法で自分の主張を貫徹する。KBS「トークショー! Do Dream」でも彼はMCの質問に対して隠さずに正直に返事をした。だがその内容からさらに深い会話には繋がらない。キム・ギドクには、MCが出演者のコメントに反論を提起する「ヒーリングキャンプ」より、すべての視線が自身に集中した状態で話したいことを吐き出せる「強心臓」の方がより似合っている。“恨みを解く儀式”のような「アリラン」を越えて、キム・ギドクはより優しくなった。だが、昔も今も、彼は自分の話だけをする。その点に限っては、キム・ギドクが映画を作る方が皆には良いことかもしれない。

イ・ジョンジン

キム・ギドクの映画「嘆きのピエタ」の主人公。
「嘆きのピエタ」はベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。海外で「ストーリーの映画ではなく、イメージの映画」でありながら「現実と幻想の境界線を扱っているが、それ以上の希望を持てる」ことを高く評価され、彼の作品は国際映画祭で常に歓迎されている。しかし「嘆きのピエタ」は受賞や高い興行成績以前に、キム・ギドクが自分の最も原型的な姿を見せるという点が、より重要なことなのかもしれない。イ・ジョンジンが演じる残酷な方法で借金の取り立てをする孤独な男は、消え去る清渓川(チョンゲチョン)の工場や荒れ果てた田舎のビニールハウスに行き人を脅かしてお金を奪い取る。そこは力のない者が、力がある者に犬のように屈従して、機械が人を圧倒している。お金のためならば何でもして、生に近い状態の動物を食べ、その渦中にも目に濃いアイラインを描く男。「悪い男」以上に、キム・ギドクは「嘆きのピエタ」を通じて自分の生き方を赤裸々に表現している。彼はそのように生き、世界を見る。

チョ・ミンス

「嘆きのピエタ」のもう一人の主人公。
イ・ジョンジンが、キム・ギドクが描いた男性の最も原始的なバージョンならば、チョ・ミンスはキム・ギドクが描いた女性の最終バージョンなのかもしれない。男を訪ねてきた女は、男の母親であり、恋人であり、女神である。そしてこの男を文明の世界へと導く。男は女が作ったちゃんとしたご飯を食べ、都会のど真ん中に行き、眼鏡をかける。「嘆きのピエタ」で女は男に文明と倫理と感情まで教える。キム・ギドクに女性について質問することは無駄なことだと思う。彼は映画で、まるで何も体験したことがないことを学習する獣の子のように女性を見ているのだ。この純粋だが危険な獣が地獄のような人生を繰り返し、絶妙な話を通じて宗教的な救いに至ることは、キム・ギドクの境地である。キム・ギドクは「嘆きのピエタ」で自分が決して文明化されない野獣であることを見せている。彼が気に入るか気に入らないか、彼を人間が住む都会に引き寄せることは、難しいかもしれない。そのため、ベネチア国際映画祭での受賞は、キム・ギドクの映画を認める以前に、キム・ギドクをどのようにしてこの世の中に引き寄せるかを悩ませている。好きでも嫌いでも文明の外側のルールで考える存在。そして、この世にただ一つだけ存在する映画を作る芸術家。キム・ギドクに必要なことは、絶えず映画を作り続けることで、人々はこの世でただ一つの映画を観て、新しい刺激を受ける“キム・ギドク保護地域”なのかもしれない。映画を作ってこそ幸せでいられるこの男は「嘆きのピエタ」を通じて自分の世界をより一層さらけ出す方法を覚えたようだ。それならば私たちは、彼をどのように受け入れればいいのだろうか。

記者 : カン・ミョンソク、翻訳 : チェ・ユンジョン