Vol.2 ― SUPER JUNIOR 「今がとても幸せなので、このまま走り続けたい」
10asia |
リョウク:3rdアルバムでは、自分のスタイルを作らなきゃいけないという思いが強くなりました。自分のカラーを出さないといけないのに、何だかほかの歌手のマネみたいに感じてしまって。イェソン兄さんとキュヒョンの3人で、ものすごく悩んだんです。キュヒョンと僕は中国でSUPER JUNIOR-Mの活動をしながら、暇を見つけては韓国に帰ってレコーディングをしていました。だから、家に帰る前にレコーディング室に行ったんです。そんな中で自分のカラーを見つけられたみたいです。
―リョウクさんはボーカリストなのに、ファンが映画「花美男連続ボム事件」での演技が印象的だったという反応が多いですよね。
シウォン:リョウクは“影の功労者”なんです(笑) 僕も撮影する時、リョウクに尋ねてみました。どうやってするんだ?って。そしたら、一言で答えるんですよ。「感じたままにするだけ」だと。
全員:お~~~。
シウォン:それで、僕の方がたくさん勉強しました(笑)
リョウク:ホント言うと、俳優業をやっているメンバーがたくさんいるので、彼らを見て学びました。
「20代半ばだけど、気持ちは中高生の時で止まっているみたいです」
―「花美男連続ボム事件」ではナレーションで「僕たちはコピリ(高校生の隠語)です」というのがありましたが、SUPER JUNIORは普通のコピリ生活を送れなかったのでは?ドンへ:正直、高校での思い出はあまりないですね。中3の時から学校にあまり行けなかったから、朝起きたら学校、学校が終われば事務所、午前1~2時に帰宅というようにデビューする前まではこんな生活をしていました。
ソンミン:何年もずっとね。
ドンへ:その時も不満みたいなものはなかったし、むしろ「家へ帰りなさい」と言われても、「もう少しやる」と言っていました。僕たちだけで残って、事務所の玄関に鍵をかけて下着姿で練習もしてました。高校に対する思い出があまりないのは残念だけど、その時間があったから、今、この場所に来れたんだと思います。
―「花美男連続ボム事件」で、みんな一緒に映画を撮ったけど、気分はどうでしたか?
ドンへ:キュヒョンは色々あったので、たくさん参加することはできなかったけど、一緒に何かをするという事が、とても嬉しかったです。13人全員「うん、もちろんしなくちゃダメだ」という雰囲気だったので。
―それぞれ忙しいと思いますが、普段、一緒に過ごす時間はありますか?
ドンヘ:夜というか夜中は、そういう時間があります。夜中にとりあえず一緒にご飯を食べますね。たまにサウナに行くときもあります。
リョウク:イトゥク兄さんは、サウナに行くことが多いね。
ドンヘ:高齢者だから(笑) ご飯を食べて、寝る前にイチゴジュースに牛乳を混ぜたのを作ってあげないといけないんです。
イトゥク:そうなんです。「ドンヘ~、俺のジュースにハチミツ入れて~」って。
リョウク:朝起きたら、イトゥク兄さんには高麗人参を(笑)……冗談です。
―どんなに忙しくてもご飯と寝るのは宿舎なんですね。
イトゥク:行く所がないからです。僕の実家は恩平(ウンピョン)区なんで、近いんですけど、もう6ヶ月以上帰っていません。今では実家より宿舎の方がずっと楽なんです。実家へ帰っても荷物もないし、する事もないんですよ。
ドンへ:一緒にご飯を食べなければ一人でご飯を食べなければいけないんですよ。みんな外に出て遊ぶ性格でもないし、一緒に居なければ退屈になったり憂鬱になるから、お互いにまず「ご飯食べよう」と言います。
イトゥク:リョウクは料理が本当に上手です。「いちご食べる?」と言いながら、いちごも洗ってくれて。
―メンバー同士、仲がいいんですね。
イトゥク:僕とドンヘ、それからウニョクは知り合ってもう10年になります。ソンミンは9年。僕たちは今、20代半ばですが、初めて知り合った中学生、高校生のときのまま、時間が止まってしまったみたいです。だからまだ子供だなって思うこともあるし、そのころの感情が今でも残っています。
ソンミン:大人になりきれてないよね。
―イトゥクさんはグループに対する愛着が深いような気がします。SBSの「スターキング」という番組で、キュヒョンさんが歌を歌っているときに涙ぐんでいましたよね。
イトゥク:僕とキュヒョンが交通事故にあった時一緒に居たから、詳しい状況を全て分かっていたんですよ。だからキュヒョンを見ていると、「本当に無事でよかった」って思うんです。
ソンミン:また泣いた。なんで泣くんですか~(笑)
「外国で会話をする時がすごく面白いです。英語を使って分からない単語があったら中国語を使ったり」
―キュヒョンさんは、もう身体は大丈夫ですか?大きな怪我だったのですごく心配しました。キュヒョン:もう問題はありません。僕がケガをして2ndアルバムの活動ができる状態じゃなかったんですが、病院のベッドで3ヶ月寝ていたとき、一緒に活動したいってすごく思いました。それで手術して活動に合流したんです。
シウォン:だから、キュヒョンがステージに上がるたびに不安でした。一度、キュヒョンがステージにふらふらしながら上がったことがあったんです。僕のソロパートが終わって、後ろに下がったらキュヒョンがちょっとよろけたんです。その瞬間、「生放送だけど、キュヒョンを抱きかかえてステージから降りなきゃダメかな」って思いました。
イトゥク:病院の先生が、キュヒョンが回復したのは奇跡だって言ったんです。僕とキュヒョンは同じ病院に入院していたんですが、先生が「2人とも回復するのが早くていいね。イトゥクさんは若いし、キュヒョンさんはまだまだ幼いし」って。
全員:アハハハハ
イトゥク:だからすごく嬉しかったんです(笑)
シウォン:若いって言われたから嬉しかったんでしょ?(笑)
―13人が一緒にいればみんなの意見が食い違う時も多いと思うけど、意見の調整はどのようにするんですか?
ドンへ:13人だから、お互いに意見を出せば良い意見が出ます。良い意見だったら他のメンバー達もしっかり受け入れるし、ケンカもするけど、遊んだり、泣いたり、メンバー達と一緒にいれば常に楽しいですね。だから、アジアで成功出来たんだと思います。
―中国で最初に活動する時はどうだったんですか? 韓国とは環境が違うと思います。
キュヒョン:不思議でした。僕は中国では外国人じゃないですか。なのに、他の国の人達が歓声を上げてくれて、感動しました。
―昨日は中国語を話して、今日はタイ語を話すという状況もあると思いますが、いかがですか?
キュヒョン:僕という人を好んでくれるファンを見ながら、本当にたくさん愛されてるんだなあと言う気がするんです。
イトゥク:僕はスーパージュニア-Tとして日本で活動をするために日本語を学んでいて…アジアツアーで中国へ行ったんですけど、自分でも無意識に、日本語で「はい」と答えていました(笑) それに、中国からタイに行ったから「ニーハオ」と言わなければいけないのか、「サワディカ」と言わなければいけないのか分からなくなっちゃいました。
シウォン:会話をする時が、かなり面白いです。英語使って分からない単語が出れば中国語を使ったり。
以前、タイに行ったことがあるんですが、デパートの壁にSUPER JUNIORの写真が貼ってあったんです。
イトゥク:すごく嬉しいのは、僕達が行けば期待以上の反応をしてくれます。80年代末に香港の俳優たちが韓国でCMを撮った時のような感じ?―そういう話をすると、年齢を感じさせちゃいますよ。知らないフリをしないと。
イトゥク:ハハ。それじゃ、僕のおばあちゃんに聞いた話ってことにしておきましょうか。とにかく、海外でも本当に熱烈な応援をしてもらえるんです。僕たちは以前、オートバイのCMを撮影したことがあるんですが、その時タイで最多販売台数を記録したそうです。それで僕たちの名前をつけたバイクが発売されたって言うんで、2日前にもタイに行ってきたんですが、本当に感激しました。
ソンミン:僕たちの口から言うのもなんですが、韓国で活動するときはファンと会える機会も多いので、ファンもいつも追っかけるという状態ではないです。でも、タイではたまにしか会える機会がないから、何日もずっと追いかけてくるファンが多いんですよ。デパートに行くと、あまりにも人がたくさん集まって動けなくなっちゃうくらい。
イトゥク:だからもし可能なら、言葉がもっと上手になって、僕たちだけのバラエティ番組をアジア全域で放送できたらいいなって思います。
「今がとても幸せなので、この状態で走り続けていけたらいいです」
―シウォンさんは映画「墨攻」で、一人で海外での撮影に臨みましたが、いかがでしたか?シウォン:まず、より強い責任感が生まれましたね。僕ひとりのミスが、チーム全体のマイナスになるから。それに撮影中は精神的なプレッシャーが大きかったです。撮影現場に行くと、4つの言語が使われているんです。中国語、日本語、英語、韓国語。四方八方から異なる言語が聞こえてくるから、もう落ち着かなくって。ちょうどその時はSUPER JUNIORのデビュー準備の真っ最中で、徹夜で撮影をして、空港に向かう車の中と飛行機の中で仮眠を取って目が覚めると韓国に到着。こんな生活を1ヶ月半繰り返していたので、精神的に疲れてしまっていました。
―アン・ソンギさんとアンディ・ラウさんという“生きる伝説”と共演できた気持ちはどうでしたか? アン・ソンギさんからアドバイスなどはありましたか?
シウォン:アン・ソンギさんの場合は一言、「肩の力を抜いて楽にやれ」でした。今の僕だったらできなかったと思うんですけど、その当時の僕は、自分の置かれている状況をアン・ソンギさんに話して「自分がどうしたらいいのか分かりません」って言いました。するとアン・ソンギさんは、いつもヒマワリの種を食べながら「気楽にやれ」って言ってくれたんです。それからアンディ・ラウさんは、最初の共演シーンを撮影するまで、共演するという実感が湧きませんでした。初めて撮影したシーンでテイクと言われた後になって、ようやく実感して足がガクガク震えました。そのときアンディ・ラウさんと一緒に撮ったシーンというのが、いちばん重要なシーンだったんですが、今思うと、残念です。もうちょっとうまく演じられたはずなのに……。
―個人活動を活発にしていますが、それぞれ考えている今後の道というのはありますか?
イトゥク:他のメンバーがどう考えているかは分かりませんが、僕はSUPER JUNIORを頑丈なものにしたいです。個人がそれぞれ成功するということではなく、根っこが頑丈でなければいけないと思っています。韓国国内でSUPER JUNIORというグループ全体が成功して名声を得て、初めて海外での反応もいいものが得られると思うんです。だからドンヘが言ったように、30~40代になってもずっとアルバムを作って活動したいです。個人的には司会業に関心があります。
ソンミン:僕は機会があれば、俳優として活動したいと思っています。
リョウク:僕はシンガーソングライター。高校の作曲科を卒業したこともあって、作曲はずっと続けているんです。
ドンヘ:俳優もやってみたいし、メンバー一人ひとりに1曲ずつ曲をプレゼントしたいです。アルバムに収録されるか、されないかは関係なく。
キュヒョン:僕はまだ子供なので(笑) いろいろチャレンジしてみたいです。
―キュヒョンさんはオリンピアード受賞の経歴が話題になっていましたが、またその勉強を始める気はないんですか?
キュヒョン:はい。そのつもりはありません。
イトゥク:キョヒョンのお父さんが、大きな予備校の校長なんです。
―ということは、将来は予備校を経営するアイドル?
キョヒョン:次期校長です(笑)
―宣伝する必要がないですね(笑)
キュヒョン:校長自らが広告に出たりしてね(笑)
シウォン:僕は計画を立てることもいいんですが、実現しなくてがっかりすることがあるから、ただ与えられたことを一生懸命やって、認められる人間になりたいです。
全員:おぉ~~。
―では最後の質問です。これはイトゥクさんが答えてくれればいいと思うのですが、今後、SUPER JUNIORがどんなグループになるといいですか?
イトゥク:今の状態を維持できればいいです。メンバーそれぞれが個人活動も一生懸命やって、グループとしても一生懸命やって、そうやって10年後も20年後も続けていけたら嬉しいです。今がとても幸せなので、今後どうやって変わっていくかよりも、このままの状態で走り続けていけたらいいと思います。
記者 : カン・ミョンソク、写真:イ・ウォンウ、編集:イ・ジヘ