映画「凍える牙」緩んだ構成、力の抜けた狼犬の空しい鳴き声

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出世には縁がなく、出世に繋がらない捜査ばかりを担当している警察強力第5班の“後片付け”専門の刑事・サンギル(ソン・ガンホ)は、同じチームになった巡察隊出身のウニョン(イ・ナヨン)が気に入らない。心を込めたアドバイスと言えるのは、「ここで男に勝とうとすれば、最後にはここにいられなくなる。時には加減したほうが良い」ぐらいだ。

しかし、ウニョンは自身に任された都心の連続自然発火事件を黙々と捜査し、被害者の遺体に残された動物の噛み跡で、狼と犬の変種である狼犬が殺人兵器として使われていることに気付く。この事件の裏に麻薬を利用した未成年の性犯罪者がいることを突き止めたウニョンは、彼らを追いかける。昇進の評価点数を気にして、上司に報告をせずに捜査をするチーム長のサンギルとことごとく意見が合わないのも、ウニョンにはストレスだ。

結局二人は強力班から孤立してしまう。サンギルはひとまず危機を逃れようと必死となり、ウニョンは犯人と内部の敵を同時に相手しなければならない二重苦を強いられる。捜査網が狭まると、犯人は予想外の場所で足跡を絶ち、ウニョンは罪悪感に悩まされている元警察犬訓練士がこの事件に介入されていることを知ってショックを受ける。

映画「凍える牙」は、狼犬と冷酷な犯罪組織を一網打尽する二人の刑事の活躍を期待して見ようとすれば、少なからず「裏切られる」ような映画だ。残酷な犯罪者を裁く刑事のストーリーは、この映画のアウトラインにすぎない。「凍える牙」が伝えたいのは、どこにも属することができず、彷徨っているボーダーラインにいる人々の物語と、彼らとのコミュニケーションだ。小説「凍える牙」を脚色した映画「凍える牙」は、原作があるからこそ一層繊細に描くべきだった。ウニョンの心の変化や内面の声にもっと耳を傾けるべきだった。

「強力班」という男社会に溶け込めずに空回りしているウニョンは、男性でも女性でもなく「中性」としての存在を強いられる。強力班の刑事にとってのウニョンは、捜査手法や犯人を逮捕するコツを教えるべき後輩ではなく、溜まっている捜査費用の領収書を片付けてくれたり、カラオケで一緒にブルースを踊れるような目下の人間に過ぎない。既婚でも未婚でもなく、バツイチで家族もいないウニョンは完璧な一人ぼっちであり、疎外された人物として描かれる。

孤独な彼女だからこそ、殺人兵器として利用されている狼犬を見て、恐れるよりは狼犬の悲しい目にどこか自身と似ているという感情を抱くようになり、憐憫へと発展していく。野獣でもなく、ペットでもない狼犬と、疎外されているウニョンの境遇がまるでデカルコマニーのように重ね合わされるのだ。

残念なことに、このようなウニョンの憐憫に馴染むことは容易でない。繊細な筆で描くはずの絵を、太い筆で描いたような鈍い感じがするのは、原作を生かせなかった脚色や演出のせいだ。あまりにも膨大なストーリーやソースを手に入れたために選択と集中に失敗し、シーンの繋ぎ合せのような印象を受けた。映画「マルジュク通り残酷史」「卑劣な街」で、疎外されている人物の寂しさを上手く演出してきたユ・ハ監督は、映画「霜花店(サンファジョム)-運命、その愛」の頃からどういうわけか自身の色を失っているのではないかという気がする。劇中でソン・ガンホが昇進した後輩に「初心を忘れるな」とベルトをプレゼントするシーンを言及したら言いすぎだろうか。

「“熱演”はしない」という言葉の通り、イ・ナヨンを支えているソン・ガンホの演技は捨て所がない。わざと高い声を出したり、大げさな仕草をしなくても、彼の感情と心臓の鼓動は十分客席に伝わった。映画「義兄弟~SECRETREUNION~」「青い塩」に続き、後輩との共演に力を入れている彼の活躍は、演技以外の部分も含めて尊重したい。

最近の興行成績はあまり良くなかったが、イ・ナヨンもウニョンというキャラクターを完璧に演じ切り、見応えがあった。“いつ雨雲が雨を降らせるのか分からない”という言葉の通り、イ・ナヨンを見ていると、いつその無表情から雷が落ちてくるのかが楽しみである。顔の筋肉を最小限に動かしながらも豊かな感情演技をこなす彼女は、ベテランといえる演技を見せてくれた。

時間の関係で削除されたが、ウニョンの胸のうちをナレーションで表現していたのなら、映画がより一層輝いたのではないだろうか。そうすれば、言葉の話せない狼犬とウニョンのシンクロ度が一層高まったのかもしれない。「グエムル-漢江の怪物-」などいくつかの作品を除くと、韓国では動物のストーリーを描いた映画が良い興行成績を上げたことはほとんどない。「凍える牙」がこのジンクスを乗り越えられるのか、注目したい。

映画「凍える牙」は、韓国で16日から公開される。

記者 : キム・ボムソク