紅白出場の歌手・桂銀淑、韓国での音楽活動に意欲「ファンと一緒に泣き、一緒に乗り越えたい」

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写真=聯合ニュース
1980~90年代に日本で活躍し「演歌の女王」と呼ばれた韓国人歌手、桂銀淑(ケイ・ウンスク)が韓国で37年ぶりとなるアルバムをリリースした。

このほどソウル市内でインタビューに応じた桂銀淑は、薬物犯罪や詐欺などで自身のキャリアを台無しにし、周りを失望させ迷惑をかけてしまったことに深い後悔の念をにじませた。それでもニューアルバムのタイトル「Re:Birth」のように、生まれ変わるという決意で再び歌に向き合おうとしている。

「私の努力とエネルギー、すべてがついえました」「積み重ねてきた時間が崩れ落ち、苦しい。他の人たちに心配させることなく生きようとしていたのに」。桂銀淑は繰り返し過去の過ちを悔いた。

1977年にCMのイメージキャラクターでデビュー。魅力的なハスキーボイスで79年に歌手デビューすると、翌年にMBCテレビの歌謡祭で新人賞を受賞し、スターへの階段を駆け上がった。数年後突然日本に渡ったのは「人間関係への失望」からだという。

85年に「大阪暮色」で日本で演歌歌手としてデビューし、88年に「夢おんな」で日本有線大賞グランプリ、同年から94年までNHKの紅白歌合戦に連続出場を果たした。90年には日本レコード大賞アルバム大賞も受賞している。小泉純一郎元首相がファンクラブ会員だったことでも知られる。多くのファンに支えられる一方で、韓国人歌手への風当たりもあったが、「韓国人としてのプライドと名誉を守ろうと頑張りました」と振り返る。

ところが2007年、覚せい剤所持容疑で逮捕された。ビザ延長を認められず、翌年に韓国に帰国した。自分なりに堅実に生きてきたが、契約を巡る人間関係の中でうつ状態になり、混乱と孤独、喪失感に見舞われたという。

ただ、桂銀淑は今、日本で挑戦したことに後悔はないと話す。「苦労もしたが、やりがいも大きかったです。しんどい時間を包み込んでくれた日本のファンへの感謝は言葉ではあらわしきれません」と話す。

韓国に戻ったものの、なかなか再スタートを切れなかった。名声とイメージは地に落ち、世間の非難におびえ、閉じこもる日々が続いた。ようやく前向きになり、14年にアルバムをリリースすると発表して活動を始めたが、アルバムは出ず、意欲が失われた。その頃の心境を「日本では韓国人として生きたが、ここでも境界人のように生きる苦しみを感じ、周りの人たちから裏切られたという気がしました」と語る。

15年に薬物使用、さらに詐欺罪で起訴され、懲役1年2ヶ月の実刑判決を受けた。「ずっと歌だけで生きてきたのに、人生にブレーキがかかってしまいました。お金に替えられない大切な時間だったのに……胸が痛み、つらかったです。数十年、ファンは親のように私を包んできてくれたのに、本当に申し訳ないです」。娘が再びステージに立つ姿を祈り続けた母も満期出所の2ヶ月前にこの世を去り、桂銀淑は自分を厳しく責め続けた。

応援する人たちの助けでアルバム発売に向けレコーディングを始めたのは昨秋のこと。「どこまでも応援してくださるファンに借りを返すという気持ちで、もう一度歌いたい」という気持ちが強い。

タイトル曲「道」には、人生を振り返り、傷として残った時間からの回復を願う気持ちがこもっている。同曲を含む新曲9曲と、自身の代表曲をリメイクした3曲、計12曲を収録した。

桂銀淑は「もう一度、歌でファンと一緒に泣き、一緒に乗り越えたいです。ヒットしなくてもステージで歌うことさえできれば満足です」と語る。「音楽は私の人生であり、影です。歌の中に出会いの祝福、痛みの涙、楽しい思い出、すべてがあります」。歌でこれらをファンと共に感じ合い、自分自身を取り戻したいと願う。

記者 : 聯合ニュース