「僕らの日曜の夜」30年の歴史の墜落“派手な復活を期待する”

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危機にある「僕らの日曜の夜」視聴率低迷…いつまで続くだろうか?

MBCバラエティ番組の象徴である「僕らの日曜の夜」が揺れている。「私は歌手だ2」と「勝負の神」の放送の順番を変えるなど、それなりに努力はしたが、視聴率はさらに低下した。最近同番組の視聴率は、3~5%にとどまっている状態だ。10%半ばから後半の安定した視聴率を記録しているKBS「ハッピーサンデー」、SBS「ニュー!日曜日は楽しい」などと比べれば、残念な成績だ。“30年の歴史”を誇る「僕らの日曜の夜」としては、屈辱と言わざるを得ない。

写真=MBC

韓国のバラエティ番組の歴史を塗り替えた「僕らの日曜の夜」30年の歴史

MBC「僕らの日曜の夜」は、1981年「日曜日の夜の大行進」というタイトルで放送をスタートしてから数多くのヒットコーナーとスターを輩出したMBCのバラエティを象徴する番組だ。

コントコメディショーで第一歩を踏み出した「日曜日の夜の大行進」は、1984年に「日曜日の夜のニュース大行進」にタイトルを変え、ニュースとコントを組み合わせて高い人気を得た。特に、同番組で「地球を離れなさい」「先に人間になれ」などの流行語をヒットさせ、全国的なスターになった“ハクサイ頭”キム・ビョンジョは、約3年間番組の人気を牽引した一番の功労者だった。

しかし1987年、民正党事件でキム・ビョンジョが降板してから「日曜日の夜のニュース大行進」の視聴率は日増しに低迷していった。この間KBSは、シム・ヒョンレ、キム・ミファなどを前面に出した「ユーモア1番地」「ショー!ビデオジョッキー」を制作し、視聴率を逆転させた。結局、「日曜日の夜のニュース大行進」は視聴率奪還のため、1988年に「僕らの日曜の夜」と番組名を変更し、新しい顔ぶれを大勢迎え入れるなど、電撃的な変身を図った。

パク・ミソンの「変わった女」、イ・ギョンシルの「トルムク少女」(自転車に乗ってスターを追いかけるコーナー)などで徐々に雰囲気を盛り上げた「僕らの日曜の夜」は、1990年代に入り、名実ともに最高の人気番組に生まれ変わることになる。主流だったコントコメディを大胆に諦め、「習ってみよう」「隠しカメラ」などのバラエティショーを初めて披露し、爆発的な反応を得た。「僕らの日曜の夜」の成功後、韓国芸能界の流れはコントコメディからバラエティショーに完全に変わることになる。

写真=MBC
それだけでなく、「僕らの日曜の夜」はチュ・ビョンジンをメインMCに起用するというチャレンジもした。同番組を皮切りに、専門のMCとキャスターの専有物だった番組のMCをコメディアンが担当することになったのだ。現在、様々な番組で活躍している多くのコメディアンMCは、皆「僕らの日曜の夜」の恩恵を受けたと言っても過言ではない。

このような実験的な精神をもとに「僕らの日曜の夜」は、1990~2000年代まで約20年間安定した人気を博してきた。「習ってみよう」「やるならやる」「人生劇場」「シネマ天国」「緊急救助もしもし?」「良心冷蔵庫」「イ・ギョンギュが行く」「新装開業」「健康宝鑑」「ラブハウス」「ゲリラ・コンサート」「すごい挑戦」「ブレーン・サバイバル」「経済よ、遊ぼう」など、数え切れないほどのヒットコーナーが生まれ、イ・ギョンギュをはじめイ・ホンリョル、キム・グクチン、キム・ヨンマン、シン・ドンヨプ、イ・フィジェ、パク・スホン、パク・ミョンス、イ・ユンソク、キム・ジンス、キム・グラ、イ・ギョンシル、パク・ミソン、イ・ヨンジャ、チョ・ヘリョン、パク・ギョンニムなど、当代の名MCがそれぞれのコーナーを担当した。

特に、イ・ギョンギュは1988年から2008年まで20年間「僕らの日曜の夜」のメインMCとして活躍しながら100余りのコーナーを披露し、MBC芸能大賞を6回も受賞するなど、MBCのバラエティを代表する大物になった。

写真=KBS

「僕らの日曜の夜」の翼のない墜落、その理由は?

このようにきらびやかな歴史を誇った「僕らの日曜の夜」にブレーキがかかり始めた時期は、2008年中盤だった。メインMCのイ・ギョンギュが降板し、「おにぎりコンサート」「オッパバンド」「クイズ・プリンス」「うちのお父さん」「ハンターズ」「恵みの雨」「熱い兄弟たち」「今日を楽しめ」「新入社員」「家をあげます」「風に乗って」「ルルルラルラ」「夢にも」など、数多くのコーナーが1~2ヶ月おきに始まったり、なくなったりする混乱した状況が展開されたのだ。

これに比べライバル番組であるKBS「ハッピーサンデー」、SBS「ニュー!日曜日は楽しい」は目を見張るほど成長した。「1泊2日」「男子の資格」を前面に出した「ハッピーサンデー」と、「ファミリーがやってきた」「ランニングマン」「K-POPスター」「ジャングルの法則」などを次々とヒットさせた「ニュー!日曜日は楽しい」は、「僕らの日曜の夜」の牙城を切り崩し、各放送局を代表するバラエティ番組として注目を集めた。日曜の夜に「僕らの日曜の夜」の影響力はさらに縮小するしかなかった。

では「僕らの日曜の夜」はなぜこのように“翼のない墜落”を続けているのだろうか?

一番目の理由は、“スタープレーヤー”の不在である。KBSとSBSが、それぞれカン・ホドンとユ・ジェソクで注目を集めたことに対し、「僕らの日曜の夜」には中心となるメインMCがいない。イ・ギョンギュだけがカン・ホドンとユ・ジェソクに対抗できる唯一の存在だったにも関わらず、「僕らの日曜の夜」は“旧体制の清算”という名目で逆に彼と決別した。これは、「僕らの日曜の夜」には取り返しのつかない悪材料になった。

イ・ギョンギュは「僕らの日曜の夜」が好むか好まざるかに関わらず、最後まで一緒に行かなければならない人物だった。「僕らの日曜の夜=イ・ギョンギュ」という法則が自然に感じられるほど、彼は「僕らの日曜の夜」の象徴的な存在だった。このような人物と決別することは、同番組の最大の強みである“30年の歴史”という伝統を諦めることを意味する。イ・ギョンギュの存在感と底力を信じず、冷酷に降板を通知したことは、あまりにも性急な決定だった。

結局イ・ギョンギュは、20年間出演した「僕らの日曜の夜」を離れ、KBS「ハッピーサンデー-男子の資格」で大ヒットした。危機論を一蹴し、ネームバリューを最大限に高めただけでなく、人生初のKBS芸能大賞を受賞し、華麗に復活した。「僕らの日曜の夜」としては、後味が悪いだろう。

二番目の理由は、トレンドに遅れたことだ。「無限に挑戦」の登場以来、韓国バラエティの大きな流れは“リアルバラエティショー”に移った。だが、「僕らの日曜の夜」は、このような流れに素早く対応できなかった。KBSが「1泊2日」「男子の資格」で、SBSが「ファミリーがやってきた」「ランニングマン」を通じて積極的にトレンドに乗ったことと対比される。目まぐるしく変わるバラエティ番組で、トレンドに遅れることは致命的な欠点である。

過去の「僕らの日曜の夜」は、芸能界のトレンドをリードする先駆者の役割だけでなく、あらゆる世代に合わせた番組だった。だが、今の「僕らの日曜の夜」はヒットコーナーがなく、陳腐なフォーマットの繰り返しでトレンドに乗れず、視聴者の関心から遠ざかっている。このようなマンネリを克服できないなら、「僕らの日曜の夜」の視聴率不振は続くしかない。

写真=MBC

危機にある「僕らの日曜の夜」解決策はないのか?

「僕らの日曜の夜」が作り出した30年の歴史は、韓国のバラエティショーの流れとそのつながりと同じであり、それだけ韓国芸能の歴史に残した足跡も大きい。「僕らの日曜の夜」のように長い時間、同じブランドであらゆる世代から人気を得ながら時代を風靡したバラエティ番組もなかなかない。だが、現在「僕らの日曜の夜」が直面している危機的な状況は、過去の栄光が色あせるほど致命的だ。根本的な解決策を見つけることが重要だ。

まず、出演者の全面的な交代が必要だ。KBS、SBSにそれぞれイ・ギョンギュ、ユ・ジェソクを奪われた状況であり、残っている“ビッグカード”カン・ホドンは、一番有力な候補だ。ユ・ジェソク、カン・ホドンと縁のなかった「僕らの日曜の夜」だが、今回だけは状況が違う。11月、放送に復帰する予定のカン・ホドンに「僕らの日曜の夜」のMCは、十分おいしい話だ。「僕らの日曜の夜」とカン・ホドンの利害が一致しているわけだ。

もし、「僕らの日曜の夜」がカン・ホドンを中心に新しく再編されるなら、現在の固定化した構図を十分に揺るがすことができる。カン・ホドンはリアルバラエティだけでなく、キャラクターショーにも長けたMCだ。トレンドの最前線に立っている彼が導く「僕らの日曜の夜」なら、以前とは確かに差別化できる性格を持つようになるだろう。さらに彼は“イ・ギョンギュの直系弟子”の象徴まで持っている。「僕らの日曜の夜」が彼にオファーしない理由がない。

出演者の交代とともに、コーナーの改編も重要だ。すでに人々の関心から遠くなった「私は歌手だ2」と「無限に挑戦」のノ・ホンチョルとハハをそのままコピーしてきた「勝負の神」だけではライバル番組に勝てない。芸能界の流れを変えるような画期的なアイテムを開発することが難しいならば、少なくともトレンドに乗るという誠意は見せなければならない。

「1泊2日」「男子の資格」「ランニングマン」などは、すべて「無限に挑戦」が作ったリアルバラエティの大きな流れから出た番組だが、今はそれぞれ自活力を持って独自の領域と個性を確保している。「僕らの日曜の夜」もトレンドであるリアルバラエティを拒否せず受け入れるとともに、それなりの枠内で変形、変奏する努力をしなければならない。ときには、トレンドに積極的に乗り差別化を図る柔軟な態度が求められる瞬間もある。

最後に、忍耐心を持って待たなければならない。一つのコーナーが定着し、頂上に上がるまでは少なくとも1年以上の時間がかかる。「1泊2日」「男子の資格」「ランニングマン」も最初からうまくいったわけではなく、一段一段とゆっくり上がってきたコーナーだ。「僕らの日曜の夜」も同じである。毎週出てくる視聴率に一喜一憂せず、長い目で見て充実した企画に集中してほしい。1~2ヶ月おきにコーナーが変わる番組は、視聴者の信頼を得られない。

写真=資料写真

「僕らの日曜の夜」名誉を守れ!

1981年から2012年までここ30年間、「僕らの日曜の夜」は数多くの危機を克服しながら成長してきた。そして、今「僕らの日曜の夜」はもう一度成長するため、ひどい成長痛を経験している。果たして「僕らの日曜の夜」は、今回も危機をうまく乗り越え、名誉を守ることができるのだろうか。MBCバラエティの象徴で、韓国バラエティの歴史の生き証人である「僕らの日曜の夜」の“派手な復活”を心より期待してみる。

記者 : キム・ソンギュ