「建築学概論」イ・ヨンジュ監督“過去を描くことに嘘をつきたくなかった”

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※この記事には映画「建築学概論」の結末に関する内容が含まれています。

「長い月日が過ぎて私の心が疲れ果てた時、私の心の奥底で消えて行くあなたの記憶が再びよみがえってくるかもしれない」

映画の中で重要な役割を担っている韓国グループ展覧会の歌「記憶の習作」は映画「建築学概論」が呼び起こす情緒に対する最も正確な注釈のように聞こえる。基本的に平凡な初恋の物語ではあるが、それと同時に初恋だった唯一無二の時間に対する恋しさがこの映画には詰まっている。習作という文字通り、数多くの未熟なことが綴られている。その時だからこそ起こりそうなミスとして記憶される懐かしさがある。そのため、この初恋の物語は切なく重苦しいと言うよりは、その時だからそうだと、未熟だったがその時はそれしか方法がなかったと観客を慰めてくれる。

「建築学概論」のシナリオを書いて演出をしたイ・ヨンジュ監督の作業は、映画の中のソヨン(ハン・ガイン)の家をリフォームするスンミン(オム・テウン)の作業に似ていた。新しいものを創作すると同時に過去の記憶を抱くという点で。

建築学科出身として30歳になった頃、映像分野に転向して、「30代全般を『建築学概論』のシナリオを構想しながら過ごした」という彼は、果たして思い出を今ここでどのように再構成して設計したのだろうか。その図面に対するまた違った注釈がここにある。

―「建築学概論」は再会した初恋に関する映画だ。多くの観客の思い出をくすぐると思うが、刺激したい感情があったのか。

イ・ヨンジュ監督:2003年に草稿を書いて昨年までずっとシナリオを書いたけれど、特別な感情を狙ったというよりは自然に書けたようだ。「初恋だった人が訪ねてきたらどんな気持ちかな」という疑問で始まって、その時の思い出を振り返ること自体を楽しみながら書いた。

「エンディングで主人公たちが上手く行くかどうかは重要ではなかった」


―それでは話を面白くすることが重要だったのか、それともほのかなエンディングにすることが重要だったのか。

イ・ヨンジュ監督:私がよく知っている感情だと思っていたし、誰もがよく知っている感情だと思った。「建築学概論」の草稿を書いた時、小学校の同窓会に行って、20年ぶりに会った友達とお酒を飲んでいるうちに昔の話をするようになった。例えば美術の時間のとき、グループごとに机をくっつけることになっていたけど、その時に右往左往しないため、歌を歌いながら移すことにしていた。その話をしていた時みんなが手を打ちながら「そうだったね。何の歌だったんだろう」と言っていた。シナリオもこのような気持ちで書いた。ある人は過去志向的だと言っているけれど、過去志向は悪いのか。前だけ見て生きろと強要されるようだけれど、この好みは悪いのか。依然として私の映画に同意してくれない人々はいる。

―すなわち経験的にはみんなが共有出来る感情だが、それを映画として観る価値があるのか。

イ・ヨンジュ監督:そのような質問にものすごく憂慮していた。初恋のような話って面白いかな。地味で、あまりにも穏やかだから、こんな話もいっぱい聞いた。だからかMYUNG FILMSの前に他の制作会社で準備をした時はソヨン(ハン・ガイン)に悪い夫がいる三角関係の設定を始めとしてあらゆる設定が追加された。けれど映画は、特にラブストーリーは好みの細かい部分まで合意をした上で、制作しなければならない。だけど不思議にもシナリオが草稿の時からたくさん変わったけれど、決して他の話には変わっていない。このように修正すれば興行収入が保証されるだろうと考えながら、あれこれ修正していれば何でもなくなってしまうから、バランスを取ることが一番大変だった。

―バランスといったら。

イ・ヨンジュ監督:中学校の生物時間に学んだことだけれど、木に色んな要素が必要な時、それらの平均値と同じ位成長するのではなく、最も不足した要素に合わせて育つという。それは映画を作ることと似ているようだ。俳優、シナリオ、季節、場所など色々なものが一つになったけれど、そのうちの一つだけ欠乏していても、各要素の平均に至らない結果が出ると考えていた。変数に対してとても憂慮していたプロジェクトだった。説得出来なかったら手が付けられないほど崩れる映画だから。

―論理的な説得ではない直観的に共感しながら受け入れるジャンルだから。

イ・ヨンジュ監督:どこかで特別講義をした時、「映画を一言で定義してほしい」と質問されて「趣向の戦いだ」と答えたけれど、趣向とは論理的に説得出来ることではない。正解はない。だからデザインや映画が難しいのだ。趣向を説得するということが。

―論理的な説得ではない直観的に共感しながら受け入れるジャンルだから。

イ・ヨンジュ監督:どこかで特別講義をした時、映画を一言で定義してほしいと質問されると趣向の戦いだと答えるけど、趣向とは論理的に説得できることではない。正解はない。だからデザインや映画が難しいのだ。趣向を説得するということが。

―それならシナリオを書きながら制作会社の要求と色々な変数の中で必ず守ろうとしたことは何か。

イ・ヨンジュ監督:現在と過去を行き来する構造は一度も変わったことがない。周囲の人に二人の過去がもっと面白いからそれを中心にして書いた方が良いと言われた時も妥協しなかった。そうしたら青春映画になってまた違う話になると思ったからだ。そして男が女の家を作ることと二人が昔、建築学概論の授業を聞いて都市を旅する設定も変わらなかった。ただしエンディングは色んなバージョンに変わったけれど、エンディングで彼らが上手く行くかどうかは重要ではなかった。

―現在と過去を行き来する構造の中で過去を美しく描いているが、また今を生きていかなければならないということを重視している。

イ・ヨンジュ監督:生きるということがそうだと思う。昔を思えば本当に懐かしいけど、朝起きたら一日一日が懐かしいわけではない(笑) 今はそうするしかない、それに思い出はいつも美しく描かれる。そこに陥ったら青春映画になってしまう。幼かった頃を思えば懐かしいこともあるけれど反省することと、苦々しくて二度と経験したくないことも多い。その点では嘘をつきたくなかった。

「建築家が建築主を理解する過程が恋愛と似ている」

―それがリアリティだが、幼い時スンミンとソヨンが最後に会って別れる場面で“なぜ初恋はいつもバカみたいに終わるのだろう”と思いながら共感した。

イ・ヨンジュ監督:初恋だけがそうなのか、最初はみんな未熟だから。その時は1、2才上の先輩もなぜそんなに大人に見えたのか、なぜそんなに勇気が無かったのか。こんなふうに成長して行くのだと思う。例えば私は幼い時よりよく怒る。我慢しなくても良いということを習ったから。大学1年生の時、クラブの友達とジーンズを買いに行って試着した時、「お似合いです」と言っていた店員が買わないという私たちの言葉に態度が激変して「早く脱いでください」と怒った時があった。まだ今でもどうしてそのとき怒らなかったのか後悔している(笑) 今ならあり得ないことだ。その時は純粋だったんだな。それと同じように大人になったスンミンは悪賢くなり、ソヨンの性格も荒れているだろう。

―それも一種の成長なのか。

イ・ヨンジュ監督:若い頃スンミンがソヨンにひどい事を言って背を向けた理由は、自分が傷つくのが嫌で、他人を傷つけて逃げたからだ。誰でも最悪な状況に陥ったらそうすると思う。そんな状況から逃げ出せる要領というのが図々しさではないだろうか。自分が卑怯だったということを客観的に規定する作業だから成長だと言えるだろう。

―その癪に障る男が回想シーンでは純真な建築学科の1年生として描かれたので興味深く感じられた。

イ・ヨンジュ監督:個人的にはスンミンとソヨンが小学校の運動場を歩きながら初雪が降る日に会う約束をしたことに対して「君がそう言った」「言ってない」というシーンを書きながらドキドキしていた。ソヨンは淡い記憶でスンミンがそう言ったと思っていて、スンミンはそれを思い出したけれど、知らないふりをした。多分そのとき二人はドキドキしていただろう。今だけを見たら平凡な話だけど、過去に行ってきたら現在の空気が変わる、そういうことを深く考えながら書いた。

―だからなのか、まもなくアメリカへ旅立つスンミンがそれでもソヨンの家を完成させるんだと「俺が終わらせるから。そうさせてほしい」と話す姿には多様な意味を帯びている。

イ・ヨンジュ監督:仕事としての責任感もある。デザインというものはシナリオと似ていて自分の子供のようだ。造っている途中で他人に任せることは悲しいことだ。また、建築家は建築主が何を好きなのか、部屋がいくつ必要なのか、その理由は何なのかについて話し合わなければならないので、建築主を理解することが出来るようになる。その過程が恋愛と似ている。

―未完成で終わった初恋を締めくくる感じもした。

イ・ヨンジュ監督:何か他の事を代わりに話すことは嫌いだが、スンミンは昔ソヨンの家を作っていたのにそれを途中で止めていた。それを完成させることだと思う。

―だからスンミンがソヨンの家を作る過程が重要である。初めから済州道(チェジュド)を考えていたのか。

イ・ヨンジュ監督:MYUNG FILMSから提案を受けた。色んな面で有利だと言ってくれた。済州道(チェジュド)は風景が良くて家賃が安い。また、MYUNG FILMSでその家を資産として残しておいて、後で活用する計画もあったので。私は反対する理由が一つもなかった。シナリオに沿ってもソウルではない地方の小都市だったら良かったから。

―なぜ地方でなければならなかったのか。

イ・ヨンジュ監督:ソヨンの故郷へ行くことが重要だった。ソヨンを地方出身として設定した理由は、江北(カンブク)で暮らしている人は江南(カンナム)で暮らしている人に対して不快に思っているし、江南で暮らす人は江北の人にあまり関心がないけど、地方から来た人は特別な先入観がないからただ雰囲気を吸収する。江南の人みたいなのに順天(スンチョン)出身の場合もある。ソウルで生まれて同じ場所で長く暮らしてきたスンミンは、もっと遠い場所へ飛び立つ準備をして、ずっとどこへも留まることが出来なかったソヨンは、どこか留まる場所を夢見るという構図を考えた。

「次の作品が映画監督としては初めての作品となるだろう」

―本人が建築学科出身として済州道(チェジュド)の家の設計にたくさん関わったのか。

イ・ヨンジュ監督:建築主として積極的に参加した。実際に建築を引き受けていたク・スンフェ所長は大変だっただろう。同じ学科の同期で20年来の友達なので、仕事をしながら結構イライラしたと思う。

―建築のことが分かる建築主は建築家にとってどんな意味があるだろうか。

イ・ヨンジュ監督:建築家が一番会いたくないクライアントである。ク・スンフェ所長は本当に大変だった。2つの理由で大変だったと思う。1番目はデザインが気に入らなくて文句を言ったときがあって(笑) また、2番目は私の条件が本当に多かった。映画を見れば分かるだろうが実際にあった家をリフォームすることになって、昔のシノプシス(ドラマや舞台など作品のあらすじ)からずっと守ってきたことは、落書きがある昔の家の外壁を内壁にすることだった。それは、家に関する思い出を残すことが重要だったから。だからク・スンフェ所長に2つの面と屋根を残してくれとお願いした。だが、建築家は私に何を言っているんだと怒っていた。そのセリフをそのままシナリオに入れた。「なぜ何も許可してくれないんだ」映画の中でソヨンが拒否したデザインは、実際に私が拒否したものを小道具として使った。

―本人がデザインした中で最も重要視したことは最終的に思い出を残すことだったのか。

イ・ヨンジュ監督:最初から珍しいデザインにこだわってはいなかった。カッコいいけど人が暮らせないデザインである。過激で刺激的なデザインは本当に作りたくなかった。私が「建築学概論」を作りたかった理由の一つは住宅設計をしたいからだった。建築事務所に勤めていた時は主にオフィス中心にデザインをしたけれど、建築の中での主役は住宅だ。お金にはならないが本当に難しい。

―今回の映画は一石二鳥という訳だ。

イ・ヨンジュ監督:建築のことを払い落とす作業だった。最初、建築から映画へ転向した時は異国に来たような感じがして、「建築学概論」を書きながらもっと深刻になった。監督として始めて演出を務めるために準備しながらシナリオを書いた時、この作品をもって建築に対する記憶を払い落として完全な映画人にならなければならなかった。

―建築とは初恋のようなものなのか?
イ・ヨンジュ監督:そうだ。浪人して90年度に入学したけれど、以前試験を受けた時も建築学科に応募した。1999年度に映画へ転向しようと思ったけれど、1998年度まで建築以外のことをするとは思ってもみなかった。

―映画の情緒とも密接だが、初恋のような学問と共にした本人の20代をどのように記憶しているのか。

イ・ヨンジュ監督:いつも夏だった。正確に言えば二十歳の時の1年間。最も時間を満喫していた。延高戦(延世大学と高麗大学の対戦、二つの大学の祭り)の時は白楊路(ペギャンノ)の大通りを塞いで多くの人たちが道端に座ってお酒を飲んだり汽車ごっこをした。女の子たちは家に電話して、遅く帰っても良いかおねだりした。もう二度とこない時間だということを自覚していたのだろう。

―言い換えれば今回の作業は初恋を手放すという気持ちだったのでは。

イ・ヨンジュ監督;「建築学概論」の映画自体がそうだった。大げさではなく次の作品を撮る時は映画監督として初めての作品となるだろう。個人的な意見なしで、客観的にどんな話が面白くて商業的にヒットするのか悩みながら書けそうだ。

記者 : ウィ・グンウ、写真:チェ・ギウォン、編集:イ・ジヘ、翻訳:チェ・ユンジョン