「ダンシング・クィーン」オム・ジョンファ、涙は大切に

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女優オム・ジョンファが泣いた。

自身が出演した映画「ダンシング・クィーン」(イ・ソクフン監督、JKフィルム制作)が公開11日目の29日、観客200万人を突破したというニュースを聞いたからだ。首都圏の舞台挨拶だけ回ってきた彼女は、この日、自身のTwitterに共演したファン・ジョンミンと紙で作った涙をつけ、ヒットを祝う写真を公開した。多くの人々にうれしいニュースを知らせるためのセレモニーだったが、もしかすると彼女は今晩、1人家で、たくさんの涙を流しているかも知れない。

オム・ジョンファがこのように嬉し涙を流したことから、彼女がどれほど危機感と絶望を抱いていたのかが分かる。彼女としては、あまり触れてほしくないことだろうが、オム・ジョンファは今年で43歳だ。未婚の40代女優のうち、このように主人公として活躍しているのは、オム・ジョンファがほとんど唯一だ。

同じ年頃のキム・ユンジン、チョン・ドヨンは結婚して、家庭を築いている。また、最近“ハソンキム”と呼ばれ、売れているハ・ジウォン、ソン・イェジン、キム・ハヌルの3人もオム・ジョンファに比べればずっと年下の後輩たちだ。

だから、オム・ジョンファはいつも「寂しい」を口癖にしているのかも知れない。彼氏がいないという意味ではない。自分がお手本にしたい人や、背中を見て追っていきたい人がいないという意味だ。顔も覚えていないくらい昔に亡くなった父と、貧しかった子どものころ。MBC合唱団出身で歌手になり、ユ・ハ監督のオーディションで映画「風吹く日なら狎鴎亭洞に行かねば」を撮影したのが1993年。Araが3歳の時の話だ。

オム・ジョンファは歌手出身の女優のうち、最も成功したケースとして評価され、チョン・リョウォン、ユン・ウネがその道を歩いている。オム・ジョンファが後輩のイ・ヒョリをいつも気にかけている理由も、自分には居なかった道しるべとなり、後輩たちに少しでも役に立ちたかったからだろう。

映画「情愛」「シングルズ」「どこかで誰かに何かあれば間違いなく現れるMr.ホン」「オーロラ姫」「私の人生で一番美しい一週間」など、オム・ジョンファは作品ごとにはっきりとした個性やキャラクターで、演技の幅を広げていった。必要であれば、露出のある演技もしたし、“安全パイ”の代わりに、ハンドルを思いっきり切って、果敢な挑戦に出たりもした。

俳優の成果を興行という冷酷なものさしで計ることはできないが、オム・ジョンファが出演した映画は大体、観客と投資家に喜びを与えた作品の方が多かった。「私のちいさなピアニスト」「ミスターロビンの口説き方」「今愛する人と住んでいますか?」ではつまづいたが、ちょうどその頃1,000万人を動員した映画「TUNAMI-ツナミ-」が公開された。しかし「オガムド~五感度~」「ベストセラー」「ママ」が3連続で興行失敗となり、徐々に暗雲が立ち込めた。「オム・ジョンファはもうダメ」という声も出た。

さらに悪いことは連続で起きた。甲状腺ガンが発病したのだ。重い病気ではなかったが、ガンという言葉の響きのため、オム・ジョンファはさらに萎縮し、人々の目を避けるようになった。

崖っぷちに立っているようなオム・ジョンファに手を差し伸べた作品が「ダンシング・クィーン」だった。「私の人生で一番美しい一週間」を制作したJKフィルムのユン・ジェギュン氏によるオファーだった。「私の人生で一番美しい一週間」で共演したファン・ジョンミンも「一緒にやってみよう」と元気付けてくれた。気難しい俳優ならば、女優がワントップ主人公のように見える「ダンシング・クィーン」というタイトルから問題視するだろうが、ファン・ジョンミンは気にしなかった。

オム・ジョンファは「ダンシング・クィーン」の公開を前に、記者と会った場で「テウン(弟)が俳優として成功して、一番嬉しいのは、私が末っ子まで気にかけなくてもいいということです」と明かした。毎日、家でゴロゴロするだけの弟を最も心配していたのは彼女だった。実質的な一家の大黒柱の役割をしていたので、家庭を築くことも出来ず、休まずアルバムを発売しなければならなかった彼女だ。

オム・ジョンファには、現在の200万人観客動員で、涙を流してほしくない。よりドラマチックで感動的な瞬間のために、今はその涙をとっておいてほしい。そして、40代だからと言って、彼女を芸能界の隅に追いやったりせず、この女優の経験を尊重する投資会社や制作会社が増えることを期待する。オム・ジョンファさん、今日だけ泣いて、明日からはまた、たくましい“オムテンイ(オム・ジョンファのあだ名)”に戻ってきてください。

記者 : キム・ボムソク